このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2012年12月31日月曜日

追憶 314

ある日、Kが帰宅して二階にある自室へと向かった。
部屋の扉を開けると知らない老婆がベッドに正座して座っていた。
白い着物を着た老婆を見たKは、握っていたドアノブをゆっくりと戻した。
あり得ない光景に驚いたのだろう。
状況をある程度噛み砕き、それを半ば無理矢理飲み込んで再びドアを開いたが、そこには既に老婆の姿はなかった。
このように「見た」体験や金縛り体験などを簡単に話して聞かせてくれた。
わたしは霊体験をしたことがなかったので、Kから聞いた話が本当かどうかは分からなかったが、当時のわたしは自身の心が高揚していることに気が付いていた。
目に映らないものが見えるというのは、中学生だったわたしの心を非常に強くくすぐったのであった。
Kは「面倒くさいぞ」などと言っていたが、わたしは怖さと好奇心の狭間で揺らいでいた。


2012年12月30日日曜日

追憶 313

思い返してみると、霊の話題に人を通して触れたのは中学校のKとの出会いからだった。
(「追憶」を長く書いてきたが、ここまで書くのを忘れていた…)
それまで、霊感や霊体験というものを実際のものとして話す人には会ったことがなかった。
わたしが幼い頃に周りの大人たちが「悪さをしたら山から鬼が来るぞ!」とわたしを脅していたのが、ある意味で霊?というものとの関わりであった。
そんなものである。
周りには霊体験をしたことのある人もいたとは思うが、それを誰かから聞くことはなかった。
そんなわたしだったからか、Kの話にはある種のカルチャーショックを受けたのである。
Kの話によると、お母さんが所謂「見える人」だったようで、霊感が強かったそうである。

母親が一人台所で夕飯の準備をしていたら玄関が開く音がして誰かが家の中に入ってきた。
母親は子どもの内の誰かが小学校から帰って来たと思い「ただいま、くらい言ったら…」と振り返ったところで絶句した。
そこには畳一条ほどもある大きな男の顔が、台所の入口から左反面を覗かせて浮いていたのである。
声も出せないまま硬直していると、巨大な顔は覗かせている左反面を少しずつ引っ込めながら、奥の部屋に姿を消した。


2012年12月29日土曜日

追憶 312

しかしながら、それが無駄になったとは思ってはいない。
そのような経験があってこその、これからの道なのである。

わたしが意識的な観点や力を使って人や霊の問題を解決し、助けになりたいと思うようになったのは友人からの影響が大きいであろう。
わたしには霊との関わりが強い?男友達が二人いる。
一人は小学校の同級生であったY。
もう一人は、中学校の同級生であったKである。
この二人は霊に対する反応や関わりがある意味対極な立場にあった。
小学校の同級生であったYは、その柔らかな性格や気質がそうさせるのか、霊に対して受け身であり、いつも攻撃を受けては苦しんでいるようなタイプである。
中学に進学してからは、保健室登校気味になっていた。
一方、中学校の同級生であったKは、幼い頃からガキ大将であり、活発で攻撃的な性格である。
彼は霊の存在も認識していたが、特に苦しめられるようなことはなかった。
きっと、自分なりに乗り越えてきたのであろう。
Kは霊と喧嘩するようなタイプである。




2012年12月28日金曜日

追憶 311

わたしは意識的な観点や力によって、苦しんでいる人や霊の問題を解決し、そこに価値を見出し、貢献することを夢として所有した。
これは大雑把な夢ではあるが、何の目標も持たないよりはましであるだろう。
とりあえずの目的地を設定しておけば、進んで行くことはできる。
その過程において、具体的な目的地や新たな目的地というものが派生してくるだろう。
とにかく、大きく、大雑把でも良いので何かの夢を持つことが大切なのである。
夢を持てば意識が変わる。
意識が変われば一日が変わる。
一日が変われば明日が変わる。
明日が変われば一週間が変わる。
一ヶ月、半年、一年…
というように、徐々に状況は好転していくに違いないのである。
何の夢も目的意識もなく過ごせば、人生は詰まらない場所になってしまうのである。
わたしは自分なりの夢や目的意識を持つことで人生がようやくスタートしたような感覚を得た。
今までの20年間は、暗闇を彷徨うような生き方であり、それは土の中で自らの種皮を必死で破ろうとしている種子のようであったと思う。

2012年12月27日木曜日

追憶 310

誰かが手を差し伸べてくれたくらいでは、人の心や人生は変わりはしない。
そんなに簡単なことではない。
それはこの20年間の人生によって十分に理解したつもりだ。
これまでたくさんの人がわたしに対して思いやりの心を以て救済の手を差し伸べてくれたが、わたしは変わることができただろうか?
残念ながら、それは叶わないことであった。
多少は変われたかもしれないが、結局、自分以外の存在は人生の補助的な役割でしかなく、最終的には自分自身で決めなければならないのである。
変わるか?変わらないか?それを決めるのは自分次第なのである。
温かな思いやりの手も、それを掴んで立ち上がらなければ意味がない。
立ち上がったとしても自らの脚で踏ん張り、立ち続ける必要がある。
人は結局は自力なのだと思う。
自立しようとしなければ変われない。
大人になって夢を描くということは、現実と闘いながらそれをするということである。
子どもの頃のように無責任にただ夢を描くことはできない。
どうしても現実が迫り来るのである。
そこで大切なのが自立心であるだろう。
自立心が夢を描かせてくれる。
周囲からの温かな手を無駄にすることなく自立しようとする気持ちが人を自立させ、現実と向き合うだけの日々に終止符を打ち、それ以上先に存在している夢に辿り着くことを可能にするのである。

2012年12月26日水曜日

追憶 309

わたしの心はいつの間にかに恐怖という名の錆(さび)に犯され、夢を描くことを忘れてしまっていた。
振り返ってみると、わたしにはやりたい職業がなかった。
求人誌に載っている仕事でやりたいと思うものはなかったのである。
いつの頃からか、心を侵食した恐怖によってわたしは夢を奪われた。
人生が楽しいなんて思えなかった。
何のために生きているかなんて、誰も教えてはくれなかった。
わたしは瞑想によって自らの心と向き合い、自分自身が本当に求めている生き方というものがどのようなものであるのかを知らなければならないのだろう。
そうでなければ、わたしは夢を描くことができない。
夢を描くことができなければ、進むべき道が分からない。
進むべき道が分からなければ、幸福へは辿り着くことができないのである。
豊かな人生を生きるためには、豊かな心が必要である。
わたしが瞑想をするのは、いつの間にかに忘れていた豊かな心を取り戻すためなのである。

2012年12月25日火曜日

追憶 308

豊かさというものの形は人それぞれに違っているであろう。
しかしながら、その根底はどこかで繋がっているような気がする。
それがどのような豊かさの形であったとしても、心が満たされていなければそれは実現しないのではないだろうか?
人は時と経験を重ねるにあたって、心の豊かさを見失ってしまう気がしてならない。
多くの大人たちは自らの現状に不満を抱えながら生きている。
その度に心は荒(すさ)び、豊かさを失う。
子どもは社会の現実を知らない。
生きていくということが闘いであることを知らないから、好き勝手に夢を描き、いつかそれが叶うと信じて眠りに落ちる。
しかしながら、多くの大人たちは厳しい生存競争を闘わなければ生きていくことはできないと思っている(教え込まれる)ために、現状への不満と将来の不安を抱えながら浅い眠りを彷徨(さまよ)う。
不満や不安を抱えながら生きている心が豊かさを保てる訳がない。
現状への不満と将来の不安と闘っている大人たちの心が豊かなはずがないのである。

2012年12月24日月曜日

追憶 307

日課の瞑想は、その度にわたしの感覚を少しずつではあるが磨いてくれているようであった。
それは、錆びた刃物を研いでいくように、わたしの心にこびり付いた錆を落としていく作業である。
心の錆を落としていく度に、本当に少しずつではあるが自らの意識が「世界」に浸透していくような気がする。
わたしを取り囲む様々な存在に対して自らの意識が手を伸ばし、直にそれに触れる。
それは、目で見て、肌で触れる感覚(五感)とはまた違う形でわたしの中にその対象を認識させるようであった。
心の眼で観て、心で直に触れるような感覚である。
それは、感覚を超えた感覚…
いや、それは本能への帰依であるだろう。
わたしたち人間は、本能から脱することで理性を保つことを覚えた。
そして、理性は人間を動物から文化を持つ人へと進化させた。
しかしながら、理性はある意味、本来持っている力を抑えるという側面もあるだろう。
人は理性によって文化を得る代わりに、本能の中に備わる意識的な力を(ある意味)見失ってしまったのではないだろうか?


2012年12月23日日曜日

追憶 306

わたしの身体が自らの意思以外の動力を使って勝手に動くのは、大天使ミカエルの意思、自らの魂の意思、そして、もっともっと大きな何かの意思であるような気がしてならない。
それが何なのかは分からないが、とても大きなもの(意思)であるように感じる。
自然(地球)とか、宇宙とか、そのような壮大なもののようなものであるとは思うが、それは大き過ぎてわたしには何なのか分からないのである。
しかしながら、この状況は自らに与えられた使命のような気がしてならない。
わたしを動かす力の追求と解明。
この感覚(力)を磨き上げ、研ぎ澄ますことがわたしの目的であると思える。
初めにわたしは、意識的な力によって人や世の中の役に立ちたいと思って準備を始めたが、それがようやくスタートラインに立てたような気がした。
これから、わたしはその道を歩いていく。
これからの一歩一歩の積み重ねが、わたしを自らの目的や理想へと近付けてくれるはずである。
わたしはせっかく掴んだチャンスを手放してはいけないと考えていた。
今までと同じやり方では必ず失敗する。
しっかりとした心構えを以て道を歩まなければならないと、決意を新たにするのであった。

2012年12月22日土曜日

追憶 305

それは自分以外の誰かや何かの意思である。
自分以外の誰かや何かの意思を自らの意思として表現しているのである。
わたしたちは誰かや何かの意思を意識的、無意識的に取り入れて、行動に取り組むことがある。
大抵がそうであるかもしれない。
自分自身の独自の意思によって選択し、行動している人は稀であろう。
厳密にはいないかもしれない。
それは、自分自身の手で種から作物を収穫するようなものだし、砂から鉄を作るようなものだからである。
わたしたちは既に何らかの製品に囲まれながら生活している。
それは、既に何らかの意思(文化)に囲まれながら生活していることと同じなのである。
わたしたちも様々な意思を以てそれを価値観としているが、その価値観の形成には既に存在している誰かや何かの意思というものが大きく携わっているのである。
わたしたちは知らず知らずの内に外側の意思を取り入れ、それを自らの意思と照らし合わせて新たな意思の形を作る。
それが行動として表現されるのである。

2012年12月21日金曜日

追憶 304

身体が自らの意思に反して動くことがある。
身体というものは単純で、習慣にさえ動かされる。
習慣も意思の積み重ねでしかないが、それを超える意思によって身体を動かすのは決して簡単なことではない。
大抵が習慣に軍配が上がってしまう。
瞑想の時のわたしの動きは、反射的な動きに似ているように思えるのであった。
「咄嗟(とっさ)の行動」というやつである。
習慣とは違うが、自らの意思とは違う動力によって生み出される行動という点では共通しているのではないだろうか?
わたしたちは緊急時に、自らの意思とは違う動力によって行動することがある。
物が落下する時や歩きのおぼつかない幼い子どもが転びそうになった時など、咄嗟の行動によってその危険を回避しようとするのである。
そう思ってなくても動いている。
それは、自らが認識することができないような早さで、事態の把握、それを解決するための行動。
という流れが、瞬時の内に行われているのかもしれない。
しかしながら、それを説明することはできないであろう。
咄嗟の行動とは、気が付いたらそうなっているものである。
これは自分自身の意思ではない他の動力によって、その行動が生み出されているということを意味しているのではないだろうか?

2012年12月20日木曜日

追憶 303

瞑想をしていると身体がわたしの意思を離れていく感覚が増えてきた。
そこに恐怖心は微塵も無い。
むしろ、安心感を感じるのであった。
わたしは自らの身体が自らの意思を離れていく感覚が好きであった。
それは大きなもの(意思)に繋がっているような心地の好い気分であったからである。
この方向性は正しい。
根拠は無いがそう信じることができる。
しかし、不思議である。
ただ座っているだけなのに身体はメトロノームのようにゆらゆらと左右に揺れる。
そのうちに気持ち悪くなって吐き気を催す。
そしたら、ゲップと共に口から気体のような液体のような黒いものを吐き出し、それを光の杭で突き刺して浄化する。
その一連の流れが自らの意思ではないのである。
わたしも幼い頃に記憶に無い悪さで叱られたり、やりたくもない悪さをしていたことがあったが、これもあれの延長であろうか?

2012年12月19日水曜日

追憶 302

人生という場所は、つくづく自分自身との闘いの場所だと思わされる。
それは、自分自身の弱い心(破滅的、消極的な意思)との闘いである。
自分自身の弱い心に負けてしまうと、状況はおもしろくない方向へと進んでしまう。
それは、弱い心に負けた自分自身の破滅的、消極的な意思がおもしろくない方法や方向を選択してしまうからである。
結局は、自分なのである。
人生をおもしろくするのも、つまらないものにするのも、すべては自分自身の責任なのだ。
わたしがこれまでの20年間の人生を自らがおもしろくなかったと思うのは、弱い心に負けて破滅的、消極的な意思によってそうなるように選択し、行動したからに他ならない。
それは誰の責任でもない。
すべては自分自身が決めたことなのである。
だから、これからの人生を豊かなものにするためには、自らの弱い心に勝らなければならないのである。
自分自身の弱さに打ち勝つことができない者に、人生の豊かさを手にする資格などないのである。
強く生きる者だけが、豊かさを得るのは自然の摂理なのだ。

2012年12月18日火曜日

追憶 301

建設的な思想を所有することができなければ、積極的な思想は所有することができない。
劣等感などの破滅的な思想では、消極的になるばかりであるだろう。
少なくともわたしの中ではそのような働きが存在している。
そのため、自らの内に存在している破滅的な思想を少しでも取り除く必要があるのであった。
それは少しでも豊かに人生を生きるためである。
好きなことを好きなだけするための準備である。
建設的な思想と積極的な行動力を持ち合わせなければ、好きなことを好きなだけすることはできないであろう。
不満を抱え、文句を言いながら好きでもないことをしなければならなくなるのである。
わたしの今までは正にこれであった。
楽しくなかったのである。
わたしは少しでも好きなことをして生きていたい。
自分なりの楽しさや豊かさを追求していきたい。
そのためには、心が強くなければならない。
建設的で、積極的で、行動的でなければならない。
これからわたしはそのような自分を目指すのである。

2012年12月17日月曜日

追憶 300

わたしの心の中には、多くの破滅的な考え方や消極的な感情が詰まっている。
それは、これまでの経験が導き出した結果であるだろう。
幼い頃のわたしはやんちゃで、手の付けられない悪ガキであった。
それはある意味では、積極的な心を所有していたということである。
もちろん、幼い頃の自分を正当化しようなどとは思わないが、手の付けようが無いほどの悪さをしていたのは、積極的な行動力を持っていたからに違いないであろう。
それが悪さであったにしても、積極的な行動力は評価することができるはずである。
もちろん、結果として散々な目に会い、多くの苦しみを味わうことにはなったが、それが苦しみであったとしても何かを味わうことができたのならば、自分自身にとっては良いことであると思える。
消極的な思想によって行動力に乏しければ、必要な経験を得ることはできないであろう。
それが自分自身にとって、この世界にとってどのような意味を持ち、どのような働きをするのか?ということを知るためには、積極的な行動力によってもたらされる多くの経験が必要なのである。

2012年12月16日日曜日

追憶 299

楽しみを感じ喜びの中に在る時、その心は軽い。
楽しみや喜びを感じている時に心が重いとは思わないはずである。
その反対に、退屈を感じ苦しみの中に在る時、その心は重たい。
人は退屈や苦しみを感じている時には、心が重たいと感じるのである。
これは感覚でしかないが、その感覚は誰しもが得るものであるだろう。
心が重たいのならば、それは沈んでしまう。
心が沈んでしまうと、気分が落ち込んでしまう。
気分が落ち込んでしまったなら、思考や感情は十分に働くことができずに、必要
な問題を解決し、必要な価値を生み出していくことができなくなってしまう。
そうなれば、状況は展開を見せることができない。
状況の停滞は更なる問題を引き起こし、人生はその豊かさを失ってしまうのである。
人が人生を豊かに生きるためには、どのような意識を抱えるのか?ということが重要になってくるだろう。
人は自らが思い、考える人物にしか成り得ないのである。
心が建設的で軽ければ、積極的で行動的な人物になるだろう。
心が破滅的で重たいのならば、消極的で理論的な人物になる。

2012年12月15日土曜日

追憶 298

毎日の瞑想によってもたらされるものは、自らの内に存在している破滅的な思想との対峙である。
瞑想をする度にわたしは自らの弱さや未熟さ、汚く濁った感情や心と向き合わなければならなかった。
毎回のように口から黒いものを吐き出しては、黄金の杭によってそれを浄化していた。
その度にわたしは身体が軽くなるという不思議な感覚を味わうことができた。
毎日不思議には思っていたのだが、破滅的な感情が取り除かれる時にいつも身体が軽くなるので、そこには何らかの理由が存在しているのではないか?と考えるようになった。
下世話な話になるが、車や酒に酔った時に嘔吐すると胸がすっとして楽になる。
そこから体調は回復に向かう。
わたしは自らのこの状況がそれとよく似ているように思えるのであった。
医学的なことは分からないが、身体が体調を整えるために胃の中の食物を吐き出す。
これと同じように心が健康になるために、それを害する破滅的な感情を吐き出すのではないだろうか?
そして、心と身体は一つに繋がっているために、心が軽くなると同時に身体も軽くなるのではないかと思える。
破滅的な思想は重たく、建設的な思想は軽い。

2012年12月14日金曜日

追憶 297

すべての人間、人生は思想によってもたらされる。
その人間がどのように考え、選択し、行動するか?人格や人生はそこに尽きるだろう。
所有する思想が豊かなものであるのならば、それに伴って豊かな考えや選択や行動を取ることができる。
豊かな考えや選択や行動は、当然豊かな状況をもたらし、豊かな人格と人生を導くであろう。
大事なのは「自分がどうあるのか?」ということである。
破滅的な思想によって消極的になり、自虐的、否定的、排他的…
このような破滅的な状態(心境、思考法)になってしまうと、人生が豊かなものになることは有り得ないことなのである。
少なくともわたしは破滅的な状態にあって、喜びや楽しみを感じたり、充実感を得られたことなど今までに一度もなかったのである。
わたしたちは喜びの中で豊かな人格を築き、豊かな人生を生きなければならないだろう。
すべてはそのための経験であり、修行なのである。

2012年12月13日木曜日

追憶 296

自らを観察していると、多くの破滅的な思想を抱えていることが分かる。
今までは気が付くことができなかったが、頭の中や心の中に蓄積する黒いものがもたらす違和感や気持ち悪さ、それが渦巻いている。
わたしがそうであったように、大抵の人はこの違和感や気持ち悪さに気が付いてはいない。
それが普通であると思い込んでしまっているのである。
振り返ってみると、思想がもたらす人間(人格)への影響について周りの大人と呼ばれる者たちは、わたしに何も話してはくれなかった。
教育が思想にまでは届いていないのである。
だから、わたしは道に迷い、多くの悪さを働いたのである。
人のせい、環境のせいにするつもりはないが、子どもは皆素直である。
周りの大人がそうであると言えば、それが真実で、他にはないと思い込んでしまうのだ。
思想的な教育、啓発的な教育があれば、わたしの人格は違ったものであったのかもしれない。
過去を変えることはできないので、このような考えは意味を成さないが、人は皆、その思想から教育すべきである。

2012年12月12日水曜日

追憶 295

黄金の杭は一瞬の抵抗をみせて黒いものに突き刺さった。
その瞬間に気持ち悪くなり、吐き気と共にゲップが出る。
すると、目の前の黒いものが少しずつ色を薄め、やがては完全に消えてしまったのである。
それと同時に吐き気も治まっていた。
心地よい風が胸の中を通り抜けるようであった。
爽やかな気持ちでまぶたを開くと、わたしはまるで生まれ変わったのではないかと思うくらいに胸の中が軽いことに驚いていた。
わたしは今までにない軽やかな気持ちを抱えて幸せだった。
自らの内に存在している破滅的なもの(思考や感情)が、自分自身に対してどれ程悪影響なのかを実感した出来事であった。
あの時、黒いものはキラキラとした光の粒になって空?天?へと昇っていった。
破滅的な意識は重く、建設的な意識は軽いということも理解することができた。
気持ちが重い、軽いなどと表現するのは、多くの人が意識的なものに対して質量を感じているからであるだろう。

2012年12月11日火曜日

追憶 294

意思は選択と行動をわたしに与える。
思ったことは意識的に行動として表現される。
しかしながら、今回のそれは無意識の内に表現される行動であった。
わたしは目の前の空間に右手を伸ばして、人差し指と中指だけを立てた。
そして、そのまま腕を振り下ろす。
するとそこには黄金の杭が姿を現すのである。
わたしはそれをどうしても掴みたいという欲求に引っ張られ、従うのだった。
黄金の杭は意識的なものであるにもかかわらず質量を感じる。
不思議ではあるが、感触も重さも認識することができるのである。
それはまるで、物体を掴んでいるように錯覚するようであった。
黄金の杭を掴むわたしの次なる欲求は、それを目の前の黒いものに突き立てたい、というものであった。
わたしはその欲求に素直に従うことが重要であることを知っている。
わたしは大きく右手を振りかざすと、勢いよくそれを振り下ろした。

2012年12月10日月曜日

追憶 293

ゲップと共に吐き出された黒いものは物体ではなく意識的なものである。
わたしには認識することができているけれど、一般的には目には映らないものである。
わたしの中の破滅的な思考や感情が体内に蓄積し、それが今のわたしには異物として認識されるようであった。
それらを気持ち悪く感じるのは、わたしにとっては必要の無いものだからであるだろう。
もしも、必要なものであるのならば、心地よく感じると思うのである。
それはわたしの求める理想に対して必要ではなかったり、そこに辿り着くためには不要なものなのであろう。
わたしの身体か魂か、大天使ミカエルかハクとコンか…
どのような判断が働いてこのような結果に行き着くのかは分からなかったが、それが気持ち悪いという感覚を覚えるだけで、それが異物なのは理解することができた。
吐き出した黒いものは煙のようでもあり、コールタールのようでもあった。
わたしは漠然と、目の前に吐き出した黒いものをそのままの形で置いておくのは間違っていると感じていた。

2012年12月9日日曜日

追憶 292

ある時から、吐き気に似た気持ち悪い感覚が襲ってくるようになった。
急に気怠さと同時に車酔いのような感覚が襲うのである。
この感覚はわたしにとってはとても苦しいものであった。
何が原因となって吐き気に似た感覚に襲われるか分からなかったし、胸に込み上げる「異物」を吐き出したいとは思うのだけれど、それは叶わないことであった。
わたしは気持ちの悪い吐き気を抱えたまま日常生活を送った。

ある日、何かが内側から刺さるような感覚と共に胸が痛くなった。
鋭利な異物が胸に詰まっているような感覚である。
それは、いつものように気持ち悪い感覚も備えていた。
吐き気と痛みに同時に襲われる。
わたしはこの苦しみをどうにかしようと思い、何度も胸を叩いてみた。
すると、何かが込み上げるような感覚があり、次の瞬間には大きなゲップをしていた。
口からは、ゲップと共に大量の黒い液体が吐き出された。


2012年12月8日土曜日

追憶 291

わたしは自らの持っている個性や力が知りたかった。
どのような形で世の中に貢献し、生きていくことができるのか?
それはわたしの人生テーマでもあるだろう。
わたしが瞑想を続け、意識的な力を磨こうとするのは、それが誰かのためになることを願うからである。
人の心の傷をかばい、苦しみを抱えてさまよう霊を救うことができれば最高であるだろう。
そんな気持ちが根底にあった。
とにかく、わたしは今まで迷惑をかけてきた分、誰かや何かの役に立ち、誇れる人生を歩みたかったのである。
瞑想を続けていると少しずつではあるけれど、自らの感覚が優れていくのが分かる。
以前よりも意識的な存在を感知する力は増えたし、自らの感情も制御することができ、心も落ち着いてきたように思える。
それに、自らを成長させるための啓発的な時間も増えてきたように思える。
読書などの外的学習や、目の前の出来事を自分なりに解釈しようとする内的学習の機会も増えた。
今までは、気にすることもなかったことに対して、何かを学べるようになっているように思えるのである。

2012年12月7日金曜日

追憶 290

毎日毎日、わたしは一日も休むことなく、時間を作っては瞑想を続けた。
ある時、何かの作業をしながらでも瞑想することができることに気が付いてからは、瞑想によって自らの内に向き合う時間を飛躍的に伸ばすことができた。
結局のところ、瞑想とは思考の整理であり、感情の整頓である。
頭と心を極力素直にして、より純粋な発想を得るための作業なのである。
だから、決まった形がある訳ではなく、決まった方法など有りはしない。
目的を達することができれば、形や方法などを気にする必要はないのである。
なぜ、思考と感情を整理整頓し、より純粋な発想を必要とするかといえば、純粋な発想こそに価値があるからである。
人は自らの個性と役割を担って生まれてきた。
誰もが自らの持てる力(個性)を使い、世の中に貢献しなければならないだろう。
世の中に貢献することこそが、自らの担う役割である。
しかしながら、ほぼすべての人物がそのことを忘れているか、知らない。
すべての人は自らの個性を使い、役割を果たすという使命を持っているということを思い出さなければならないのである。

2012年12月6日木曜日

追憶 289

日々の仕事と生活はわたしにとっては厳しいものであった。
真鯛の養殖に加えて、巻き網漁もしていたからである。
早朝2時半から沖に出て漁をし、5時に市場に魚を下ろす。
つかの間に仮眠と朝食を済ませ、8時頃から真鯛の給仕を始め、12時に帰宅し、昼食と仮眠をとる。
14時からはまた真鯛の給仕を始め、18時からは巻き網漁の仕掛けに出掛ける。
19時に帰宅し、また2時半には沖へ出る。
こんな毎日を繰り返していた。
わたしにとっては自由な時間もないような厳しいスケジュールであった。
何よりも睡眠が摂りたくて仕方がなかった。
しかしながら、わたしはそのようなスケジュールにおいても瞑想は続けなければならなかった。
それは、わたしが本当の意味で生きるためである。
自分自身のやりたいこと、進みたい道を開拓するためであった。
毎日の仕事や生活は厳しいけれども、そのような状況においても自分のやりたいことや進みたい道を開拓するための努力を怠ってはならないのである。


2012年12月5日水曜日

追憶 288

これまでの20年間は、馬鹿なわたしに努力の大切さや重要性を分からせるためのものであったに違いない。
「努力することがなければ何も掴めないぞ」「才能に自惚れるなよ」ということをわたしに伝えたかったのであろう。
20年という貴重な時間を使って得られたことが「努力しろ」とは、我ながら情けない。
性根を叩き直さなければならないだろう。
わたしは再び怠慢や傲慢に塗(まみ)れ、劣等感に飲み込まれないために何があっても努力を諦めないことを心に決めた。
どれ程の努力ができるのかは分からないが、小さなことでも積み重ねれば大きなものになるという単純明快な算段である。
今はまだ、先のことは分からない。
現状は全くもって安定を見せない。
わたしはどのような形で生きている意味を見出すのだろう?
どのような形で人や世の中に対して貢献することができるのであろう?
そんなことは全く見えてはいなかった。

2012年12月4日火曜日

追憶 287

何事にも練習が必要である。
大切なことは、何事もただシンプルであり、より古典的であるだろう。
何事にも地道に、そして直向(ひたむ)きに向き合うしか上達する方法はない。
楽をしようとしたり、奇跡や幸運を待っているようではならない。
やった分だけ物事は動く。
楽をしようとしたり、奇跡や幸運を待っているだけなら、何も動かないし得られない。
どのような力や状態を得るためにも、地道に努力する以外に方法は無いのである。
わたしは今までの経験でそれを痛いほど思い知らされている。
自分で言うのも変だが、わたしはどちらかと言えば感が良く、要領やセンスも良かったように思える。
しかしながら、そんなわたしは努力をすることが嫌いであった。
その結果、20年という歳月を生きても、結局は何も持ってはいない人間になってしまったのである。
感が良く、要領やセンスも良かった…
しかしながら、努力という最も大切なことを軽視し、無視したから何も実らなかったのであろう。
感や要領やセンスが悪ければ少々厳しくはあるが、努力することができなければ絶望的である。
わたしは絶望を選んだのである。



2012年12月3日月曜日

追憶 286

自らの中に存在していた劣等感の塊を吐き出したとしても、すぐにその呪縛から解き放たれるということはない。
そのようにおいしい話は無いのである。
一時的には劣等感から解放されるであろうが、その状態が永続するような奇跡的な安定など、この世界には存在しない。
状態を維持し、より良くしていくのであれば、そのように努めなければならないのである。
今のわたしは劣等感から解き放たれた状態であるが、努めを怠ればまた同じ状態へと舞い戻ってしまうだろう。
何事にも努力が必要なのである。
わたしはこのチャンスをきっかけとして、劣等感に飲み込まれない自己を確立していかなければならない。
それは、自分自身の内に在る弱い心との闘いである。
己に負けるようであるのならば、どうしようもないであろう。
劣等感はすぐさまわたしを暗闇の中に引き摺り下ろしてしまうに違いない。
最大の敵は自己に在る。
これからは、それに負けないようにしなければならない。

2012年12月2日日曜日

追憶 285

優越感を得るためには、人並みの努力でも足りない。
人の何倍もの努力をし、人と自らを遠ざけなければならないだろう。
周りの人たちと同じ場所で仲良しこよしをしていてもだめであろう。
人は人と同じではならないのである。
人と同じことでは優越感など得られるはずもない。
自らを高め、唯一の存在、特別な存在になる必要があるのである。
人よりも何かで優れていなければならない。
それが自信を生み出し、優越感を導いてくれる。
そう信じたい。
人よりも優れていない者が持てる自信などありはしないだろう。
優越感など、夢のまた夢である。
わたしはエキスパートにならなければならないと決意した。
わたしの場合は、この意識的な力によって唯一の存在、特別な存在を目指す。
誰よりも優れるために、誰よりも努力を重ねる。
誰よりも優れた時、わたしは自信と優越感を得ることができるだろう。
わたしはその感覚を得るために生きることを心に決めた。

2012年12月1日土曜日

追憶 284

わたしは劣等感を生み出すよりも先に、優越感を生み出さなければならない。
何よりも自分自身に対して自信を持つことが大事であるだろう。
自分自身を信じることができれば、自分でも気が付いていないような力を内に理解し、それを使って何かができるかもしれない。
それに、こんなわたしでも誰かや何かの役に立つこともできるかもしれないのである。
劣等感を克服する生き方は簡単なものではないだろう。
それは、並大抵の努力では叶わないはずである。
ただ当たり前に生きているだけではならない。
人並みの努力でもならない。
優越感を得るためには、それ以上の生き方が求められるのである。
現にわたしは、今までの生き方では劣等感を克服することができなかったのである。
人並みの努力をしてきたか?と聞かれれば、決してそうとは言えない。
わたしは努力すること、問題を解決すること、苦しいこと、嫌なことから逃げてきたのである。
そんなわたしが劣等感を抱えるのは当然の報いなのであった。

2012年11月30日金曜日

追憶 283

吐き出したどす黒いものは宙を漂い、やがて何処へともなく消えてしまった。
次の瞬間には自らの感覚に戻っていた。
瞼を開いて部屋の空気を眺めたその時、身体にのしかかるようにして急に疲れが襲い、わたしはその場に座っていられなくなって身体を倒した。
目を閉じて考える。
わたしの中には膨大な量の劣等感が蓄積されていた。
それは幼少の頃から心の中に積りに積り、頑(かたく)ななものとしてわたしの価値観や人格を支えていた。
幸いなことに、今回はそれを一旦リセットする機会を得ることができた。
ある意味、これはわたしに対して、誰かがもう一度人格形成をやり直すチャンスを与えてくれたように思える。
より良い人格を築き、より豊かな人生を実現させるチャンスが与えられたのだと思えた。
わたしはこのチャンスを逃す訳にはいかない。
今までどれだけ多くの人に迷惑をかけてきたことか。
これは人生をやり直すチャンスなのである。
ここで間違ってはいけない。
期待に応えなければならない。
ここで間違ったら、わたしには次は無いように思えた。

2012年11月29日木曜日

追憶 282

その時、胸に込み上げるものがあった。
それは吐き気にも似た違和感である。
わたしにはその吐き気にも似た違和感が気持ち悪くて仕方なかった。
わたしの中の何かがそれを拒絶し、体外へと排出したがっているのである。
しかしながら、それは簡単には取り除けそうもなかった。
胸の中に溜まり、どうすればそれを吐き出すことができるのか分からなかった。
すると、わたしは自らの右手が胸を叩くのを認識する。
それをきっかけにして、胸の中の吐き気にも似た違和感が一気に込み上げる。
わたしは大きなゲップをしていた。
しかしながら、普通のゲップではない。
口からどす黒いものを吐き出すのである。
それはわたしの中に存在していた劣等感だろう。
黄金の杭によって砕かれたそれは、液体の様でもあり、気体の様でもあった。
空中を漂うそれはとても汚かった。
嫌悪感を覚えるのである。
それを吐き出すと胸がすっとして、何とも言えない心地良さが残るのであった。

2012年11月28日水曜日

追憶 281

「お別れだ…」

わたしは小さく呟くと、掲げた右手を振り下ろした。
硬い岩に金属を突き立てるような感覚と共に、黄金の杭は劣等感の中へと飲み込まれていった。
真っ黒な劣等感の中に入り込んだ黄金の杭は激しく輝きを放つ。
ひび割れるようにして、劣等感の内部からは金色の光が溢れ出していた。
あまりの眩しさに耐え兼ねて瞼(まぶた)を落とす。
すると、わたしの視界には光が届かなくなった。
わたしの目の前には真っ黒な瞼の裏側が映っている。
しかしながら、瞼を開いても、わたしの目の前にはもう劣等感は存在していないだろう。
直感的に先ほどとは違う場所にいると分かる。
わたしはもう心の中にはいないのである。
この真っ黒な瞼の裏側が、現実(肉体)のものだと理解することができた。
わたしはゆっくりと瞼を持ち上げようとした…
が、微動だにしなかった。
わたしは一瞬たじろいだが、すぐさまその状態を受け入れるのであった。

2012年11月27日火曜日

追憶 280

わたしは黄金の杭を掴む右手を高く振り上げた。
わたしは自らの手で自らの劣等感を殺す。
黄金の杭を突き刺せば終わりである。
そうは確信していたが、それがとても難しかった。
なぜならば、目の前の劣等感がわたしの心を揺さぶるからである。
黒い球体の中から声が聞こえてくる。
それは劣等感の意思である。
それはわたしを庇護(ひご)してきたことを訴える。
劣等感が存在していたからこそ、恐怖から逃れることができた。
自らの内に逃げ込み、慰めてもらえた。
劣等感のおかげで挑戦することもなく、失敗して苦悩することもなかった。
わたしは劣等感によって苦しみを遠ざけ、護られてきた。
安心や安全の中に暮らすことができた…
劣等感は自らが如何にわたしにとって有益であるのかを訴える。
自らがいなければ苦しみを受け取ることになると…
でも、わたしはうんざりしていたのだ。
苦しみを遠ざけ、安心や安全の中に暮らし、負け犬のように生きていくことが。
偽りの平和や幸福を豊かさだと思い込み、それが正しいことだと信じ込もうとするくだらなさに。
弱い心になんて浸りたくはない。
劣等感に苛(さいな)まれ、背中を丸めて生きていたくはない。
わたしは劣等感にお別れを告げなければならない。
もう、一緒には行けないと…

2012年11月26日月曜日

追憶 279

それはどこからともなく沸き起こる自信であった。
黄金の杭がわたしの励みとなって生み出される力であるだろう。
自らの弱い心を倒せと投げ掛けてくる。
わたしは自らの抱える劣等感を倒すことができる。
わたしにならば乗り越えられる。
わたしの言うことを聞け。
お前はわたしの一部でしかないのだから。
お前にわたしを左右する権利は無い。
わたしの人生はわたしが決める。
手出しはするな。
わたしは自らを奮い立たせ、自信というよりは憤怒にも似た感情をたぎらせていた。
金輪際、わたしは劣等感には負けたくなかったのだ。
自信がなく、弱い自分とは決別するべきであると確信していたのである。

2012年11月25日日曜日

追憶 278

前方に浮遊する黄金の杭は、わたしに自らを掴めと命令する。
わたしはそれを掴まなければならないという強い気持ちに導かれるように右手を伸ばした。
黄金の杭はわたしに強い意思を投げ掛けてくるようだった。
その強い意思はわたしを正しく導いてくれそうな父性を感じさせる。
その意思に従うことが、わたしにとっての最善であると、どこかで思えるのであった。
わたしは深くも考えずに、黄金の杭から発せられる意思に従うことにした。

目の前には見上げる程に肥大した劣等感が、まるでわたしを阻(はば)む壁のようにそびえ立っている。
劣等感が大き過ぎて、わたしにはその先が見通せない。
わたしの視界を塞ぎ、進路を閉ざしているのである。
わたしが先へと進み、豊かな心と人生を得るためには、この劣等感を正しく処理しなければならない。
正しく導かなければ、一層わたしの足を引っ張ることになるだろう。
ここで失敗したら、豊かな心と人生は手に入らないかもしれない。
今までのわたしならば、劣等感を正しく導くことはできなかったであろう。
しかしながら、今は違うように感じる。
黄金の杭を掴んでいると、劣等感さえ正しく導くことができるような気持ちになるのであった。

2012年11月24日土曜日

追憶 277

わたしの中には何故かそのような感情が湧き上がっていた。
自らの中に居続ける劣等感を制御しなければならないという強い気持ちが溢れてくる。
わたしは熱意に燃えていた。
その時、わたしは自らの右手が前方へと差し出されるのを認識する。
差し出された右手は人差し指と中指だけを伸ばした状態で静止している。
その状態に対して、わたしは心を静め、意識を集中するべきだと考えていた。
深く息を吐き、心を止める。
一瞬の静寂がわたしを包み込み、鼓動さえも遠くなる。
すると、静寂に従うように、前方に差し出された右手はその場から一直線に振り下ろされた。
右手が描く軌道には黄金に輝く光が残されていた。
激しく輝く光が徐々に和らぐと、そこには黄金の杭が出現していた。

2012年11月23日金曜日

追憶 276

自らの心の内に存在している劣等感と向き合うことによって、それを乗り越えなければならないのだ。
それは、わたしが自らの人生を生きるためであろう。
夢や理想を実現し、自らの仕事(生まれてきた意味、生きる理由)を果たすためである。
そのためには、この劣等感という感情は必要ないのである。
劣等感をこのままの状態で所有しているのであれば、わたしは一生、本当の意味での自らの人生を生きることはできない。
これは、わたしが自らの人生を生きるための闘いである。
人生という道は自らの力で切り開く他ないのだ。
だからわたしは自らの劣等感と真正面から向き合う。
今までは理由を付けて避けてきたが、これからは違う。
力によって捻り潰さなければならないのである。
劣等感に飲み込まれるような人間が、夢や理想を実現させることなどできないのである。


2012年11月22日木曜日

追憶 275

人が人生に夢や理想、目的や目標を実現化するためには、心の力が必要である。
心が劣等感などの破滅的な感情によって萎縮してしまえば、それらを追求する力を生み出すことはできない。
人は誰しも、何らかの劣等感を抱えている。
それが自らを妨げていることは分かっていても、多くの人はそれを乗り越えることができずにいるのである。
わたしの心の中に存在している劣等感が何を起源とし、具体的にどのような形をしているのかは分からないが、そのために自分自身に自信が持てないのは理解していた。
何らかの劣等感を抱えているために心が晴れないのである。
まるで足かせをしているような感覚なのであった。

わたしの目の前に存在している黒く大きな塊。
これはわたしの心(感情)である。
わたしの人格を形成している柱の一本だと、直感が教えている。
きっとわたしは、自らの心の中に存在している劣等感と向き合わなければならないのであろう。

2012年11月21日水曜日

追憶 274

ある日の瞑想中にわたしは自らの破滅的な感情と向き合う機会があった。
わたしの心は幼い頃から歪んでいた。
劣等感にも似た捻(ひね)くれた感情が心に根を張り、それを蝕(むしば)む。
それは自力によって容易に取り除くことのできるものではなかった。
誰しも何らかの劣等感を抱えている。
それは、心の形成の失敗である。
未熟な価値観が植え付ける歪んだ種。
それが劣等感である。
しかしながら、人は皆唯一の存在であり、本来ならば優越感の塊なのだ。
自らの個性に対する間違った価値観がそれを歪めてしまう。
周囲と違うことや、勝手に劣っているという思い込みが人に劣等感を植え付けるのである。
劣等感は人から自信を奪う。
自信を失った心は活動を停止する。
心が躍動しなければ、力は生まれない。
ならば、目標の設定や目的意識の所持、夢や理想の追求などの人生における重要な仕事をこなすことはできない。

2012年11月20日火曜日

追憶 273

「これ(黄金の杭)はお前を護り、多くの者を救う光となる。心して扱いなさい。力には相応の責任が伴う。見誤ってはならない。お前の意思が光の行く先を決める。正しく導くことだ」

大天使ミカエルが告げると、わたしは黄金の杭を持つ右手を自らの胸に押し当てた。
すると、黄金の杭は音も無く胸の中へと収まった。
胸の中へと入り込んだ黄金の杭は、そのままわたしの心に突き刺さった。
それは、わたしの心に対して強烈な正義感を注入してくるようである。
わたしの歪んでいる心を強制的に正すような、正しく叱られているような感覚である。
わたしにとってそれはとても心地の好いものであった。
心の中に澄んだ水が湧き出て、大地を潤すようである。
正義感は人に責任感をもたらす。
それも、建設的で貢献的な責任感である。
正義感がなければ人は正しく進むことはできないだろう。
わたしは正しく進むことを誓った。
今はまだ何が正しいのか?分からないが、わたしにはそれを追求する必要がある。

2012年11月19日月曜日

追憶 272

黄金の杭を掴んだ時、わたしは漠然とした可能性を眺めた。
しかし、それはわたしを救うであろう希望の光に見えた。
今はまだ、洞穴の中から望む微かで滲んだ光ではあったが、わたしはそこに向かって歩むことができる。
希望の光を目指すことができるのである。
辿り着いた場所がどのような所なのかは分からない。
今のわたしが希望だと思い込んでいる光が絶望であるかもしれない。
しかしながら、洞穴の中で唯一わたしに望むことができたのがその微かで滲んだ光だったのである。
人は無限の可能性に繋がっているだろう。
しかしながら、自身の状態や状況からすべてを手にし、それを手繰り寄せることはできない。
人は盲目的であり、見えているものなどたかが知れている。
わたしに見えたのが、微かで滲んだ光だけだったように…
微かでも、滲んでいても、目の前に希望の光が見えたなら歩まなければならない。
一歩でも、半歩でも、行動を起こさなければならないのである。
わたしはこの洞穴の中から抜け出すことを誓った。
あの微かで滲んだ光を頼りに進もうと決めた。

2012年11月18日日曜日

追憶 271

強烈な父性に抱かれて、わたしは素直に黄金の杭を掴んだ。
すると、その瞬間にわたしは心を雷によって撃ち抜かれたような衝撃を受けた。
美しい光の束が心を通り抜けるような感覚である。
わたしの心は激しく脈打っていた。
それはまるで、新しい玩具を与えられた子どものような心境であった。
その玩具を使って、頭の中に様々な楽しい想像を繰り広げる。
どうやって遊ぼうか?
どのような人物に成り切ろうか?
どこで遊ぼうか?
誰と遊ぼうか?
わたしが掴んでいる黄金の杭に対しての具体的な想像は生まれなかったが、物凄く大きな可能性を感じる様は、正に新しい玩具を与えられた子どもの心境なのである。
躍動する心は、わたしの寂れた心に働きかけ、土を耕す。
楽しい想像力は人の心の大地を耕す。
それは、柔らかく良い土壌を作る。
良い土壌には多くの命が芽吹くだろう。
今のわたしの心には命の芽はあまり吹いてはいないかもしれない。
しかし、いつの日か多くの命の芽が育つ。
それは、大きく育ち、やがて豊かな実りを恵むだろう。


2012年11月17日土曜日

追憶 270

その杭は黄金の輝きを放ちとても綺麗だった。
わたしはその杭に見惚れてしまう。
それは、暖炉の炎を眺める時のような感覚である。
思考を無にして、ただぼんやりと景色を楽しむ。
あの安心感がそこにはあった。
黄金の輝きを放つ杭にはそのような不思議な魅力がある。
その時、美しく透き通った男性の声が聞こえた。

「それを掴みなさい」

その声は直接的に脳裏(もしくは心)に届く。
何の汚れも干渉もない、美しい調べであった。
その声の主は大天使ミカエルである。
わたしはその言葉が自分にとっては正しいことを知っている。
何の疑問も持たず、ただ素直にそれに従った。

黄金の杭は優しさと強さを併せ持つような光を放つ。
それをわたしは強烈な父性のように感じた。
神が存在するかは分からないが、宗教が神を「父」と現すのはこういうことなのかもしれないと思った。

2012年11月16日金曜日

追憶 269

ある日の瞑想中に、わたしは自らの身体が自らの意思の外で動いていることに気が付いた。
身体がふわふわと軽くなり、メトロノームのようにゆらゆらと左右に揺れることに加えて、右手が徐々に前方へと差し出されていた。
嫌悪感はなかったので抵抗などはしない。
むしろ、これから一体何が始まるのだろう?という期待感が膨らんでいくのであった。
わたしの右手は指先を美しく伸ばした状態で、前方に対して真っ直ぐに突き出されていた。
そして、おもむろに人差し指と中指だけを残して残りの指をたたむと、その2本の指を伸ばした右手をその場から勢い良く振り下ろした。
その時に、わたしは無意識の内に例の口笛を鳴らした。
右手の動きと口笛(呼吸法)は絶妙に合わさっている。
わたしの耳?には口笛の甲高く歯切れの良い音が何度も反響していた。
すると、目の前に一瞬金色の光が現れて視界を塞いだ。
そして、次の瞬間には目の前の暗闇を切り裂くようにして、「金色の杭」のような物が浮遊していたのである。

2012年11月15日木曜日

追憶 268

鳴りもしない口笛と(無意識の内に)指を鳴らす練習は、それから毎日続いた。
気が付いた時にはそのどちらかをやっているのである。
仕事をしていても、食事をしていても、入浴時にも気が付いたらそれらを練習するようになっていた。
それは、とても自然的であり、あくびをすることやくしゃみをすることのような生理的現象のような感覚である。
それらはわたしの生活と感覚に対して徐々に溶け込んでいくのであった。
何のための口笛と指を鳴らす行為なのか?という疑問と不思議はあったが、それ自体は別に嫌な訳ではなかったので、それを良しとした。
日を追うごとに口笛は音を奏で始め、指は無意識の内に良い音を鳴らすようになっていった。
初めの頃は「フーフー」と空気の抜けるような口笛も、短い息を肚(はら)から吐いて「シュッ!」っと短くて甲高い歯切れの良い音を奏でるようになっていた。

2012年11月14日水曜日

追憶 267

なぜそうなるのか?
それにどのような必要があるのか?
それがどのような意味を持つのか?
今のわたしには全く分からなかった。
ただ、上手く鳴らない口笛を身体が勝手に練習し、その技を身に付けようとしているように思えた。
今後、わたしが進む道に対して、それは何らかの意味と必要性を持つことなのだろう。

それから、もう一つ変化したことがあった。
それは、指を鳴らす行為である。
親指と中指を弾いて音を鳴らす。
昔のアメリカ映画で、男性がウェイターを呼ぶ時にするあれである。
最初は親指と中指を擦り合わせたいという欲求から始まった。
その欲求に導かれるように進むと、指を鳴らしたくなる欲求に駆られる。
しかしながら、欲求に対して反応している訳ではない。
不思議なことに、わたしが自らの意思によって動かさなくても、身体は勝手に動いているのである。

2012年11月13日火曜日

追憶 266

「大天使…ミカエル…」

先ほどの雷によって、大天使ミカエルという名前は心に焼き付いたようだった。
忘れようにも忘れられないほどの衝撃であったからだ。
こんなに心に衝撃が走ったのは、好きな女の子に振られた時以来である。
わたしは大天使ミカエルという名前を生涯忘れることはないだろう。
頭とお腹を押さえたまま、わたしは寝転がった。
そして、そのまま眠りに落ちた。

大天使ミカエルに出会ってからというもの、わたしの身体には小さな変化が現れ始めていた。
瞑想時に出ていたゲップは明らかに頻度を増し、以前に比べると簡単になっていたように思える。
それから、これは新しい変化であったが、口笛を鳴らすようになっていた。
もちろん、自分が鳴らしたくて鳴らすのではない。
それをしたいという欲求が溢れ、身体がそれに従うのである。
口笛と言っても、メロディを奏でるようなものではない。
号令を掛ける時のホイッスルのような、短く鋭い音の口笛である。
口笛というよりは、呼吸法であるかもしれない。

2012年11月12日月曜日

追憶 265

目を閉じて、心の口を開く。

「大天使ミハエル様。いらっしゃいますか?」

返事はない。
わたしは目の前の暗闇に同じ問いを投げた。

「わたしの名前は大天使『ミカエル』だぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!!!!!」

その時、わたしの頭の中に閃光が走った。
わたしは雷にでも打たれたのではないかと思った。
その声は黒雲に轟く雷鳴そのものであったからだ。
全身を何万ボルトもの電流が一気に通過していくような感覚によって、瞑想から強制的に弾き出されてしまった。

「!!!!!!!!」

わたしは言葉を失っていた。
思考が紡げない。
耳の奥では甲高い金属音が鳴り響いている。
心臓は激しく鼓動し、なぜか全身はピリピリと痺れていた。
荒れる呼吸をそのままに、わたしは胸と頭を押さえた。


2012年11月11日日曜日

追憶 264

これまで、意識的な存在と接する中で不思議なことはたくさんあったけれど、今回の体験はその中のどれよりも不思議に思う出来事であった。
正直なところ、わたしの中では「天使」という存在の位置付けができてはいなかった。
だから、天使と聞くと笑いそうになるくらであった。
状態が回復したら、もう一度交信を試みようと思った。
わたしが見たのが幻覚ではなく現実なのか?
「天使」は本当に存在するのか?
それを確かめたかったのである。

しばらくして、わたしは身体の自由が効くのを確信し、ゆっくりとその場に座った。
まだ身体には重さが残っている。
しかしながら、頭は冴えているように思う。
わたしはもう一度自らの心へと向かい、あの天使に会うために再び瞑想を始めた。

2012年11月10日土曜日

追憶 263

状態が回復するのを待ちながら、わたしは先ほどの光景を思い返していた。
わたしの中には様々な疑問があった。
先ずは「天使」という存在である。
天使と言えば、お菓子のロゴに使われていたエンゼルくらいしか思い浮かばなかった。
背中に鳥のように翼を持つ人間が天使という認識があるくらいで、天使に関する知識も記憶もわたしの中には何もなかったのである。
もちろん、「大天使」なんて名詞は知らない。
今でに聞いたことも使ったこともないと思う。
あの時、わたしの前に立った白人の青年には鳥の翼は生えていなかった。
しかしながら、彼は自らを天使と名乗った。
訳が分からない。
わたしは霊に触れ過ぎて頭がおかしくなってしまったのではないか?
わたしが見たのは幻覚で、聞いたのは幻聴だったのではないだろうか?
どちらかといえば、触れ合って来たのは仏教や神道の文化である。
天使?ヨーロッパ?キリスト教?
わたしには本当にこのくらいの認識しかなかったのである。
考えても答えに辿り着けそうもなかった。





2012年11月9日金曜日

追憶 262

わたしが彼の手を取ると、視界が真っ白な光によって覆われ始めた。

「わたしはお前と共に在る。忘れてはならない。世界に光を導かん…」

薄れ行く視界の中で、彼はわたしにそう告げた。
視界を白い光が完全に包み込むと、次の瞬間には暗闇の中に放り出されていた。
わたしの目の前には暗闇が広がっていたが、それはとても懐かしく愛おしい暗闇である。
わたしはゆっくりとまぶたを開いた。

わたしは座った状態で瞑想を始めたが、覚醒した時にはその場に倒れ込んでいた。
瞑想時のように身体が異様に重たかった。
しばらく動けそうもない。
わたしは体力か精神力か分からないが、状態が回復するまでその姿勢のまま待つことにした。

2012年11月8日木曜日

追憶 261

圧倒的な威圧感に対して、わたしは背を向けたい気持ちでいっぱいだったが、それは許されなかった。
蛇に睨まれた蛙の心境である。
圧倒的なものと対峙した時、人は動くことができないのだろう。
わたしは青年に魅入られていた。
その時、青年がおもむろに右腕を差し出した。
それはわたしに向けられているようであった。
美しい指先を眺めていると、青年が口を開いた。

「わたしは大天使『ミハエル』。お前の盾となり、剣となる者。お前を守護する者。お前に力を与えよう…この手を取りなさい…」

自らを天使と名乗る青年はそう言ってわたしに差し出した手を更に伸ばした。
わたしは彼の雰囲気に圧倒されていた。
魂が痺れるという表現が正しいのかどうかは分からないが、心の深い場所が震えているようである。
わたしに選択の余地はなかった。
その美しい手を取らなければならないと強く思ったのである。
わたしは力を振り絞って、彼の右手を掴んだ。

2012年11月7日水曜日

追憶 260

わたしが自らの体力(気力)に限界を感じた時、男を包み込む後光が一瞬激しさを増した後で和らいだ。
わたしは目を細めてその光景を眺めていた。
後光が和らぐと、男の姿を確認することができるようになった。
そこには、白人の青年がいた。
あどけない表情を残す青年は、肩よりも少し短い美しい金色の髪の毛と、新雪のように白く透き通る美しい肌を持っていた。
身体の線は細くしなやかではあるが、引き締まっていて強靭さも感じられる。
冷静さと情熱、そして、思いやりを浮かばせる表情は、微笑をたたえて知的である。
白人の青年は上半身が裸で、下半身は光に溶け込んで確認することができない。
そして、背後から彼を包み込む金色の光が彼を幻想的に見せていた。
その光景を目の当たりにしたわたしには畏怖の気持ちが芽生えていた。
只者ではない異様な威圧感…
わたしは泣いてしまいそうだった。



2012年11月6日火曜日

追憶 259

顔を上げた先には一人の男が立っていた。
わたしは男の姿を逆光の中に浮かび上がる輪郭を認識することで、かろうじて理解するのであった。
男の背後から差し込む金色の強烈な光が眩しくて、男の輪郭以外をうかがい知ることはできない。
わたしは眩しさに耐え兼ねて目を細めた。
今のわたしには顔を上げているだけでも大変なことである。
しかしながら、男から視線を外すことはできそうもなかった。
どうしても、男に魅かれてしまうのである。

2012年11月5日月曜日

追憶 258

自らのひざと手の甲を眺めながら、わたしはどうにか立ち上がろうと試みた。
すると、突然にわたしの目の前に人?の気配が現れた。
今までこの空間にはわたし以外には誰もいなかった。
そこに突如として現れた気配に驚いたが、疲労感がすぐにその驚きを掻き消した。
その時、わたしの脳裏には一つのイメージが浮かび、そのままそこに焼き付いてしまった。
それは、逆光の中に佇む人の姿だった。
背後から差し込む強烈な光が、人の姿を黒く染めている。
そんなイメージが脳裏に流れ込んできて、勝手にわたしに見せるのであった。
わたしにはこのイメージが目の前に現れた人の気配に関連しているのではないかと思えるのであった。
わたしはそれを確認しなければならなかった。
理由は分からない。
ただ、そんな気がするのである。
わたしは気力を振り絞って顔を上げた。

2012年11月4日日曜日

追憶 257

白い翼を引き抜いた時、わたしの疲労は限界に達していた。
自身の身体が自分のそれではないような感覚である。
切れかけの蛍光灯のように、意識が点滅するような感覚に襲われる。
それを何とか保っているのが現状なのであった。
その時に気が付いたのだが、座る自分自身を見ていた視点は何時の間にかに消えていた。
座っているわたしの中に「わたし」はいたのである。
わたしは身体の重さに耐え切れなくなり、その場に手を突いて頭を垂れた。
背中の翼が重くてふらついた。
肩で息をする。
疲労は一向に回復する兆しはない。
どうすればこの状況を打開することができるのかを考えたが、身体が動かせないのでどうすることもできなかった。

2012年11月3日土曜日

追憶 256

背中へと伸びた意識的な右腕は、そのまま背中の中に入っていった。
そして、その指先に何かが触れる感触がしたと思えば、それを掴んでいた。
それは、濡れた鳥の翼の感触そのままであった。
わたしの右腕はそれを引き抜こうとしているようであったが、うまくはいかない様子である。
すると、それを助けるようにして左腕が動き始めた。
右腕と同じように頭上へと高く伸びて、そのまま背中へと向かった。
背中に入ってた左腕は、右腕に同じく翼を掴んだ。
そして、それを力任せに引き抜き始めたのである。
しかしながら、簡単にはいかない。
しばらく格闘し、わたしはかなりの労力を費やして一対の白い翼を引き抜いた。

2012年11月2日金曜日

追憶 255

その時、わたしは自らの右腕がゆっくりと高く振り上げられるのに気付いた。
自分でそうしているのではなかった。
それはわたしの意思を離れたところで行われていることである。
身体が重たいので、腕一本を上げるのにも一苦労だった。
それを支えていると、今度はその腕が背中に向けて傾き始めた。
わたしはその方向には腕が曲がらないことを知っている。
しかしながら、腕は何の違和感もなく背中へと伸びていく。
幼い頃、ソフトビニールの人形で遊んだ。
はめ込み式の腕は肩を支点として一回転したものである。
今、わたしはその光景を思い出していた。
自らの腕が変な方向に曲がるのを見て、わたしの思考の中には「?」が列をなしていたが、どうやらわたしの常識は通用しないようである。
わたしは自らの肉体が動いているのを感じたいたが、それと同時に意識的な自分の身体?も連動しているようであった。
そのため、肉体的には関節の可動範囲を越えてはいないものの、意識的な身体はそれを無視しているのである。
だから、わたしの肉体である右腕は背中に触れてはいなかったが、意識的な右腕は背中へと伸びていくのであった。

2012年11月1日木曜日

追憶 254

意識が二つあり、視点も二つあるのは不思議な感覚だった。
しかしながら、それが自然に行われているので、無理矢理にそこから抜け出そうとは思わなかった。
わたしはその状況に身を委ねることにした。
わたしの身体はまるで全身が鉛にでもなったように重たい。
しかも、全身が硬直しているかのように力が入っている。
わたしは全身の重さに耐え兼ねて、自然と前屈みになった。
それと連動して呼吸が荒くなる。
その状態はとても苦しかったが、別に嫌ではなかった。
それは、これから何か大切なことが行われるような感覚があったからである。
苦痛に耐えながら、わたしはその時を待った。

2012年10月31日水曜日

追憶 253

疑問が解決する時、そこには何らかの行動が伴う。
どのような疑問も考えるだけでは解決することはないのである。
疑問が解決に向かうためには、状況が少しでも動くことがなければならない。
幸いなことに、わたしの体内に白い鳥の翼が存在しているという疑問は、自分自身の動きによってすぐに解決することができた。
その時突然に、わたしは目の前にうずくまるわたしの背中に吸い込まれるような感覚に陥った。
考える間もなく、わたしは目の前にうずくまっていたもう一人のわたしの中に入り込んでいた。
しかし、不思議なことにそれを俯瞰する自分の意識も残っているのである。
主体となる意識はうずくまる自分の中にあるが、そんな自分自身を俯瞰している客体となる意識にも繋がっているという不思議な感覚であった。
自分自身の視点を持ちながら、それを客観する視点も持っているという状態である。

2012年10月30日火曜日

追憶 252

不思議なことに何の混乱も無かった。

「あぁ…これは自分だ…」

そう思うだけであった。
しかしながら、わたしはその背中から視線を離すことができなかった。
それは、うずくまるわたしの背中が透けているように見えたからである。
背中だけが半透明に色を薄め、その内部には白い何かを確認することができた。
わたしは体内にある白い何かがとても気になり、その存在が何であるのかを確かめる必要があると感じるのであった。
凝視するような感覚で背中の中に存在している何かに対して意識を集中すると、カメラのピントが合うようにしてそのディテールがはっきりとしてくる。
わたしにはそれが白い鳥の翼にしか見えなかった。
それが濡れた状態で体内に無理矢理収まっているように見えるのである。
わたしはそこで初めて違和感を覚えて、疑問を持った。
何故にわたしは自らを俯瞰(ふかん)しているのか?
何故わたしの体内に白い鳥の翼があるのか?
わたしの中にはこの状況に対する疑問が溢れていた。

2012年10月29日月曜日

追憶 251

何百、何千もの光が一点を目指すと、わたしの視界には真っ白な光が溢れた。
そこには一筋の暗闇も残ってはいない。
ただ、汚れの無い純白だけが視界を覆い尽くすのであった。
わたしは何気なく真っ白な世界を進んだ。
何かに導かれるようにして足(意思)が向かうのである。
そして、しばらく進んだところでわたしは足を止めた。
それは、目の前に人の背中があったからである。
視線の先に一人の男が全裸で膝(ひざ)を抱えるようにして座っている。
男は背中を丸め、膝を抱える腕に頭を伏せていた。
わたしはぼんやりとした頭で男に近付き、声をかけようとしたところであることに気が付いた。
それは、わたしの目の前で膝を抱えて座っている男がわたし自身であるということであった。

2012年10月28日日曜日

追憶 250

物事がうまくいく時、それはいつもスマートで無駄がない。
物事がうまくいく時には、一連の流れが美しいのである。
この時のわたしは、まるで見えない何かに導かれているかのように思考の群れをすり抜けていた。
先へと進むほどに音が消えていく。
それと同時に景色も薄れていく。
やがて、わたしの周りには何も無くなった。
暗闇だけがわたしを包み込み、孤独の中に投げ出される。
この時、わたしの意識は輪郭を失い、まるで夢を見ているかのようにぼんやりと世界を眺める。
目の前に広がっているのはただの暗闇ではあるが、それが陽炎(かげろう)のように揺らめいているように思えていた。
わたしはただぼんやりと目の前の闇の先を眺めていた。
すると、そこにどこからとも無く白い一筋の光が飛んできて、暗闇を引き裂いた。
それにつられるようにして、一筋の光が何本も飛んできては目の前の一点を目指した。
わたしはその光景をただぼんやりと眺めていた。

2012年10月27日土曜日

追憶 249

騒がしい思考が通り過ぎる時間は、その時の瞑想によって違う。
比較的早くすり抜けられる時もあれば、全く以ってすり抜けられない時もある。
自分自身の心境が影響しているようには思うが、それは日常の中で調整するものであるだろう。
しかしながら、今のわたしには目の前のことをがむしゃらにこなすだけで精一杯であり、心境を整えながら生きられるほどの余裕はなかったのである。
日々の生活の中で乱れる心を整えることは、口で言うほど簡単なことではなかった。
だから、毎回の瞑想で思考をすり抜けられる訳ではなかった。
うまくいく時もあれば、断念することもあったのである。
今回はうまくいくような気がしていた。
ざわつく思考の中にあっても、心は比較的穏やかであったし、集中力が持続しているように感じていた。

2012年10月26日金曜日

追憶 248

ある日の夕刻、わたしは自らの心と向き合うために一人部屋のベッドの上で瞑想に励んでいた。
カーテンを閉めて照明を落とし、できる限り集中することができるであろう環境を整える。
わたしは静かにまぶたを閉じた。

心の中に入ると、騒がしい思考の群れが現れる。
群衆のざわめきの中に入るような感覚である。
わたしはそれらを無視する。
思考は意識の表面に存在している。
所謂、顕在意識と呼ばれる場所である。
思考に対して意識を合わせと、顕在意識に 捕らわれてしまう。
それでは自らの心の中に入ることはできない。
顕在意識にとどまってしまっては、自らの心と向き合うことはできないのである。
瞑想において大切なことは、顕在意識を通り越して潜在意識にまで到達するということなのである。
わたしは思考の群れが通り過ぎるのをただひたすらに待った。



2012年10月25日木曜日

追憶 247

わたしには将来の夢というものがなかった。
就きたいと思う職業もなかったし、やりたいことも無かった。
わたしが心からやりたいと思えることは求人誌には載っていなかったのである。
成りたい自分がわたしの周りにはいなかったのである。
もちろん、尊敬する人はたくさんいたが、その人たちの生き方には憧れなかった。
わたしはきっと変わっている。
「ヘンテコ」である。
自分でそう思う。
だけど、そこが自分で愛おしく思えることもある。
長い物には巻かれたくないし、好き勝手に自由に生きていたい。
人が決めたことは大嫌いである。
社会には不適合だと思う。
しかし、そんなわたしでも何らかの形で社会や誰かの役に立ちたいと思う気持ちを強く持っている。
それは、うまいこと社会に潜り込んでいる人たちよりも強いであろう。
それは、幼い頃からたくさんの悪さをして、たくさんの人たちに迷惑を掛けてしまったという過去が負い目となっている
のもある。
しかしながら、今は負い目よりも、人としてまともに成りたいと思う気持ちが強いように思える。
わたしの中には社会や誰かに貢献することこそが「まとも」であるという価値観が、何時の間にかに備わっていたのであった。

2012年10月24日水曜日

追憶 246

そのような心境の中で見付けた道が意識的な存在との交流であったり、その問題を解決したいと思う気持ちだったのである。
わたしには何ができるのか分からないが、自分にしかできないこと、自分だったらできることを探し、それを追求していくことが必要であると強く信じていたのである。
わたしにとっては意識的な観点こそが「それ」であるように感じるのであった。
わたしが進むべき道はこの道である。
まだ歩き始めたばかりで何の景色も見えないが、努めて歩き続けていれば必ず何らかの景色が見えてくるはずである。
これは、わたしが生きる道を作る闘いでもある。
この世界において、唯一意地になってしがみ付くことができることなのではないかと思える。
この道だけは逃げ出したり、諦めたりしない自信がどこからとも無く溢れてくる。
わたしの人生においてはとても大切なものであると感じるのだ。
世の中にはわたしのやりたい仕事はない。
それは、わたしの見識が狭く、能力が乏しいこともあるだろうが、意識的な存在や感覚に勝る快感は存在してはいないのである。
あの恐怖や危機感がたまらなくわたしを感じさせるのである。

2012年10月23日火曜日

追憶 245

今までの人生において、わたしは嫌なことから逃げ続けてきた。
気に食わないことは投げ出し、難しいことは諦めていた。
努力や辛抱という言葉が嫌いで、何一つ積み上げてきたものがなかった。
その結果、わたしにはこれと言って誇れるようなところなどないのである。
わたしは自らの現状に絶望していた。
仕事はあるが、それはわたしが極めたいと思える道ではなかった。
そもそも、養殖の仕事は自分のために始めた訳ではない。
それは、家族を支えるためであった。
その仕事を除いてわたしには何もない…
わたしの兄も親友と呼べる友も、自らの道を求め、一心不乱に歩んでいる。
わたしにはそれが、己の人生の道を開拓しようと努めているように映るのであった。
わたしもそう成りたかった。
ところがわたしには歩むべき道がない。
養殖の仕事には真剣に取り組んではいても、それにはわたしの心を満たすほどの力はなかった。
どこを目指して歩むべきなのか?
このままで良いのか?
考える時期でもあったのである。

2012年10月22日月曜日

追憶 244

わたしたちの中に心があり、思考があり、感情があり、意思が存在しているのは、極自然なことなのである。
信じる信じないではなく、当たり前に「それ」なのである。
素直さを取り戻すことができれば、目には映らないものや姿や形が無いものを否定する気持ちなど生まれることはないのである。
自らの心の中に闇の部分が存在していることをここへ来て改めて認識することが許されたわたしは、それを何とかして解きほぐし、純粋で清らかなものに戻したいという思いがあった。
今までの人生では多くの人に多大な迷惑をかけてきた。
わたしの心の中には幼い頃からずっと闇が存在していたのである。
これからの人生において、わたしはその闇を克服しなければならない。
変に折れ曲がり、複雑に絡まり合う感情を正しく導かなければならない。
一つでも、小さくても誰かや何かの役に立ちたい。
誰かや何かから必要とされる唯一無二の存在になりたい。
自らの心の闇に触れて初めて、わたしはこのままではいけない、変わらなければならない。
それも、建設的な方向に…
そう考えるのであった。

2012年10月21日日曜日

追憶 243

霊や神が存在するのも、自身の心や感情が存在しているのも物質的な観点からは証明することができない。
科学が万能ならば、心理学など必要ではないだろう。
心や感情が臓器によるものならば医学で十分である。
わたしたちは姿や形を持たないけれど、確実に存在している存在とも、世界を共有しているのである。
わたしの場合は自ら望んで意識的な存在を認識するようになった。
それだけなら、ただの妄想や幻覚として片付けることもできる。
しかしながら、そこに肉体の反応が加わればどうであろうか?
それは単なる妄想や幻覚とは意味合いが違ってくるのではないだろうか?
それに、幼い頃から意識的な存在を認識して生きている人も数え切れないほどいるだろう。
霊や神などの意識的な存在の存在を信じるかどうか?ということは問題ではない。
宗教ではないため、信じる信じないの世界ではないのである。
自然の中の自然な感覚として、物質的な存在と意識的な存在とは共存しているということを理解して欲しいのである。



2012年10月20日土曜日

追憶 242

心や意識を持っているからこそ、人は何かを認識することができるのである。
脳や心臓などの臓器を人工的に生かしても、何かを認識することはできないであろう。
わたしたちの生きる世界には、物質的な存在と意識的な存在とが共存している。
物質的な存在と意識的な存在とが共存することによってのみ、世界は成り立っているのである。
わたしたちは思考や感情を無視することはできない。
自らの心も否定することはできない。
姿や形はないかもしれないが、それはわたしたちの中に確実に存在しているものなのである。
科学では心を証明することはできないであろう。
それは、科学は物質的な姿や形として存在しているもの以外には及ばないからである。
科学は姿や形として存在しているものにしか触れることができないのである。
科学を根拠にし、意識的な存在を否定する人も自らの中に意識的な心が存在していることを認めなければならないだろう。
物質的な観点から物事を見るのは楽である。
目の前の認識することのできる事象だけを批評していれば良いだけだから。
しかしながら、わたしたちの生きる世界は物質的な観点から自身が認識することができる事象だけで成り立っている訳ではないのである。

2012年10月19日金曜日

追憶 241

破滅的な闇が体内や心境や思考に溜まると、わたしの判断以外の判断がそれを実行するのであった。
それが何の判断であるのかは分からなかった。
一種の防衛本能かもしれないし、わたしを守る意識的な存在の働きかけなのかもしれない。
原因は分からなかったが、この時の瞑想以来わたしは「自動闇排出能力」?を得たのであった。

意識的な存在と、物質的な存在は絆のようなもので結ばれている。
二つは連動している。
わたしたちの心と肉体が結ばれているようにである。
例えば、何かショックな出来事で心を痛めるとする。
その時あなたは胸が痛くなる感覚に襲われるであろう。
胸に物理的なダメージなんてありはしないにもかかわらず、心が痛めば胸も痛くなるのである。
恋をした時、胸が締め付けられる感覚を経験したことがあるだろう。
脳と心臓が働いてそのような痛みを得るという考えもあるであろうが、脳や心臓などの臓器が恋をするであろうか?
脳と心臓がショックな出来事を認識するだろうか?
それは、意識という心が成せる業なのである。
心の表現を具現化しているのが、肉体なのである。

2012年10月18日木曜日

追憶 240

わたしが自らの内に存在している闇をそう解釈した時、胸に込み上げる不愉快さを感じた。
すると、わたしは一つ小さなゲップをしていた。
ゲップと共に黒い煙のようなものが口から飛び出して頭上に溜まる。
黒い煙のようなものを吐き出す度に、わたしは少しずつ不愉快さを消化することができた。
わたしは小さなゲップを何度も繰り返し、胸の中の闇を少しずつ吐き出した。
すると、わたしは何時の間にかに闇の中から脱出していた。
わたしの意識は肉体(普段の感覚)に戻っていたのである。
小さなゲップは普通のゲップとは感覚が違っていた。
普通のゲップは胃に溜まったガスを排出するものであるが、小さなゲップは胸に溜まる闇を排出するような感覚のものである。
意識的なもので、破滅的な闇を体外に排出しているようである。
わざと空気を飲み込むとゲップを出すことができるが、あれに近い感覚である。
しかしながら、自らの意思によってそれをコントロールすることはできなかった。


2012年10月17日水曜日

追憶 239

思い返してみると、自らの弱さと真剣に向き合えたのはこれが初めてであるかもしれない。
大抵の場合は、向き合うことを拒絶していたり、はぐらかして逃げていたものである。
自らの弱さと強制的にでも向き合えたことは、わたしにとって良いことであるだろう。
それがどのような結果をわたしに導くかは、今のところ分からない。
しかしながら、今のわたしにも理解することができることがあった。
それは、自らの弱さ(コンプレックスやトラウマ)を否定しながら生きてはならない、ということである。
弱さも自分自身である。
自分自身の一部であり、大切なものであるということであろう。
人の気質は変えられない。
性格くらいは変えられるが、元々持っている気質を変えることはきっとできないだろう。
闇の中にいると、「自らの気質と共に生きろ!」と言われているような気がするのである。
弱い自分も受け入れ、力に変えていく。
それが大切なことであるように伝えているようであった。

2012年10月16日火曜日

追憶 238

この中にいると、自分のダメな部分を否応なしに見せ付けられる。
それは、わたしが回避したいことであった。
わたしは自分自身の弱さと向き合うことが嫌で仕方がなかった。
弱さが心を支配すると自分が自分でなくなり、わたしという人格はどこかへ放り出されるようであった。
自分自身がまるで知らない人であるかのように感じてしまう。
よそよそしくて、不安になる。
そうなると落ち着かないし、楽しむことなどできなかった。
自分でも、なぜそのような状態に陥るのかは分からなかったが、わたしの中には陽気な自分と陰気な自分がいて、その二つの気質が主人格を争っているようであった。
コンプレックスやトラウマという言葉が当てはまるのかもしれない。
自らの容姿や性格…
自分自身にコンプレックスやトラウマが存在しているのであろう。
もしかしたら、前世の生き方にもその原因があるのかもしれない。
わたしは暗闇の中で自分自身と向き合えた気がした。

2012年10月15日月曜日

追憶 237

思い返してみると、わたしの中にはいつも劣等感があった。
何に対してなのかは分からなかったが、自分自身に自信が持てなかったり、罪悪感を感じることも頻繁にあった。
それは、自分自身の力の無さや悪さをしたことへの贖罪(しょくざい)の気持ちもあったであろうが、それはもっと深い闇であるように感じる。
それはわたしの中に、わたしが物心つく前から、もしかしたら、生まれる前からあったのではないだろうか?
それは、表面的な何かではない。
何かもっと核心的であり、わたしの気質のような感覚である。
そこには、そう感じさせる何かがあった。

2012年10月14日日曜日

追憶 236

それはどこまでも深い闇であった。
浮いているのか、沈んでいるのかは分からなかったが、その闇の中にいるとわたしは自分自身を感じずにはいられなかった。
それはまるで自分自身との対話である。
自分自身のネガティブと対面しているようであった。
この感情をわたしは幼い頃から知っている。
いつもわたしの胸の中でわたしを痛め付け、心に傷を残そうとする。
しかし、わたしが傷付くと決まって精一杯に擁護(ようご)したりもする。
信用ならない奴である。
しかしながら、わたしはどこかでこの「信用ならない奴」を頼りにしていたのである。
弱い自分をかばってくれるのが劣等感であったからだ。
傷付けられることよりも、擁護してくれることを自分の中で強く印象付け、劣等感の行為を正当化してしまう。
その度にわたしは心を歪ませた。
この感情は常にわたしを困らせていた。
わたしが沈んだ闇、それはいつの頃からか心に芽生えた「劣等感」そのものであった。

2012年10月13日土曜日

追憶 235

胸の中のモヤモヤに意識を合わせると、そこにはコールタールのような黒い物体が存在しているのが見えた。
黒い物体はとても陰湿で、感覚的には「重たい」という表現が合致しているだろう。
それはとても破滅的な臭い?を放っており、わたしは近付きたくないと思った。
しかしながら、わたしはそれを異物として認識している。
どうにかして、体外へと排出しなければならないのだ。
わたしは意を決して、その黒い物体に手を延ばし掴んでみた。
すると、わたしは全身が総毛立つのを感じ、強烈な吐き気と嫌悪感を感じずにはいられなかった。
黒い物体にわたしは沈みそうになる。
黒い物体はわたしを飲み込もうとしているように、心を侵食してくる。
わたしは深い闇に沈んでしまうような感覚に陥り、その中で意識が遠のいていくのを感じていた。

「まずい…」

そう思ったが、わたしは方向感覚を失い、暗闇に身を任せるしかなかった。

2012年10月12日金曜日

追憶 234

ゆらゆらと揺れる身体を感じることは、とても不思議な気持ちであった。

ある日の瞑想時、わたしは胸に何かがつっかえるような感覚に襲われていた。
微かな吐き気が胸を締め付けているようである。
そのモヤモヤとしたものをわたしはどういう訳か異物であるように思ったし、それをどうにか体外へ排出しなければならないと感じていた。
吐き気を感じているから異物だと思ったのもあるが、吐き気以外の直感的な感覚がそれを異物であると認識させるようだった。
わたしはどうにかしてそのモヤモヤを体外へ排出しようとしたが、その方法が分からなかったので、できそうもなかった。
車酔いの時のように吐き気が続くのは苦痛であったが、今のわたしにはそれをどうすることもできなかった。
こんなわたしにもできることと言えば、胸につっかえているモヤモヤが何であるのかを自分なりに探ることくらいである。
わたしは吐き気を我慢しながら、胸につっかえるモヤモヤに対して意識を合わせるように努めた。

2012年10月11日木曜日

追憶 233

瞑想の度に、身体の意思に任せることを習慣付けていると、その動きは次第に滑らかになっていくのが分かる。
その動きはぎこちなさを離れ、とても自然的だった。
それは、瞑想の時間を離れて日常生活の中にも入り込んできた。
何気なく座っているだけであるのに、上半身がゆらゆらと揺れたりする。
意識してその動きを止めるも、やはり揺れている方が心地好かった。
ハクとコンがわたしの両手を使って自らを表現するが、それの身体バージョン?なんて考えていた。
身体には常識では推し量ることのできない意思や力が潜在されているのかもしれない。
そして、その声は普段わたしたちの耳には届いていないのかもしれない。
常識離れした身のこなしをする人は、もしかしたらその声を聞いているのかもしれない。
人は自らの身体の声を聞くことによって、自らや世間の常識を超えることができるのかもしれない。

2012年10月10日水曜日

追憶 232

それから、瞑想の度に身体はわたしの意思を離れて自由に動いた。
とは言っても、あぐらをかいた状態で前後左右に揺れたり、尾てい骨を基準にして駒のように回ることがほとんどだった。
わたしは自らの意思以外の力によって自らの身体が動くこの不思議な感覚の虜になっていて、まるで中毒のようにはまっていたのである。
ふわふわと重力から解放されるような感覚というものは、わたしの心を強く掴んで離そうとはしなかった。
興奮状態とは違うが、心は高揚しているように思える。
その高揚感は心地良く、わたしを虜にしてしまう。
わたしは実験的に何度も意識的に身体の動きを止めてみたが、しばらくするとどうしても勝手に動き始めるのであった。
そして、身体の動きを無理矢理に止めると、吐き気にも似た違和感が襲ってくるような気がするのであった。
それは、この不思議な心地良さを知ってしまったからであろう。
重力からの解放?物質的世界から意識的世界への移行?
何とも表現することが難しいのだが、今までのわたしの常識を覆す出来事であったには違いない。

2012年10月9日火曜日

追憶 231

そう思うと、何だか申し訳ない気持ちが溢れてきた。
今までのわたしは傲慢(ごうまん)であったに違いない。
好き勝手に身体を使ってきた。
心を満たすために必要な欲求を、身体のことを何も考えずに実行してきたのである。
わたしは、自らの身体には別の人格(身体の意思)が備わっていることを知ることができて良かった。
これからのわたしはきっと、自らの身体と協力しながら人生を築いていくことができるはずである。
身体が独自の意思を持っていることを知らなければ、心の欲求を満たすために身体を傷付けていたに違いない。
これからのわたしは、身体のことを気遣いながら生きていくことだろう。

あぐらをかいて座る身体は、尾てい骨を支点にしてクルクルと回っている。
もう既に身体はわたしの意思を上回ってはいるが、「動きたい…任せろ…」という意思に対してすべてを完全に任せてみることにした。
何の抵抗もせずに、何も考えない。
すべてを身体に任せ、預ける。
そうする必要があると感じていた。


2012年10月8日月曜日

追憶 230

しかしながら、意思の伝達はそれを発する側の力量と、それを受け取る側の力量というものが大きく関わってくる。
相手にとって分かりやすく伝える方法を選択しなければならないし、相手の意思をできる限り詳細に汲み取らなければならないのである。
互いの力量が高い程に、意思疎通は高質なものになる。
身体から伝わる声(意思)は、今までに聞いたこともなかった内容のものだった。
しかしながら、それはとても抽象的な形であったために、何となくの感覚でしか理解することができなかったが、身体はわたしのとは異なる独自の意思を持っており、「こう動きたい…任せろ…」そんな内容の意思を伝えてくるのである。
今までのわたしの常識では、身体はわたしのものであり、わたし自身でしかなかった。
それが「別物」なんて考えたこともなかった。
しかしながら、今わたしが感じている感覚は、身体には別の人格?が備わっているということである。
20数年間の常識が覆(くつがえ)され、新たな常識が入り込んでくるのは不思議なことである。
しかしながら、そこには大した違和感は感じなかった。
きっとわたしは、認識の届かない深い部分では身体という別人格のことを知っていて、これまで互いに協力し合って生きてきたのであろう。
わたしが知らなかっただけである。

2012年10月7日日曜日

追憶 229

頭をなるべく空っぽに近付け、できる限りを身体に任せると、わたしは自らの身体から発せられる声?を聞いた。
それは、霊や神が伝える声と同じであった。
何の干渉もなく直接的に頭の中に流れ込んでくる意思。
それが意識的な存在の声である。
わたしたち肉体を所有する存在は肉体(声帯)の力に依存し、それが当たり前だと思っているので意思の伝達は音が主力になってしまう。
自然(三次元空間)の中で生きているわたしたちにとっては、それが手っ取り早くて簡単である。
しかしながら、意識的な世界に存在している者たちに肉体は無い。
わたしたち肉体を持つ生命体からすれば、より高度な手段によって意思の伝達をしなければならない。
それが、意思を直接的に相手に届けるという手法である。
(本当は気持ちを言葉で伝える方が難しいが…)
意思を意思の形のままで伝達するのである。
肉体を持つわたしたちも、ある程度の関係性の中ではそれを使っているが、そこには視覚などの五感の助力や推測などの想像力を駆使した結果、確率の低い意思疎通をしているに過ぎない。
意識的な存在間の意思伝達は、余計な干渉が無い分スムーズで確実なものだろう。
肉体を介した意思伝達との差は歴然であるに違いない。

2012年10月6日土曜日

追憶 228

それは、恐怖という感情でもない。
強いて言うなら「不思議」である。
この頃のわたしは、瞑想をしている時には身体が自分自身の意思に反して動くようになっていたが、日を追うごとにそれはエスカレートしているように思えた。
初めは小さな横揺れだった動きが、今では身体がまるで駒のように尾骨を支点にして回転しているのである。
わたしの頭の中にはクエスチョンマークが列を成していたが、何となくではあるけれどそこにはわたしには理解することのできない深い意味があるような気がしていたので、抵抗することなく身体にすべてを委ねてみることにした。
この先に何があるのか?という好奇心が先頭に立ったことが一番の理由であるだろう。
余計なことは考えず、わたしはとにかく頭の中を空っぽにするように努めるのであった。

2012年10月5日金曜日

追憶 227

揺れている身体に違和感を覚えてそれを止めても、しばらくしたらやはり動き始める。
わたしは身体が勝手に動くことを不思議に思ったが、心地良かったので任せることにした。

瞑想をしている時には感覚というものが通常の状態よりも研ぎ澄まされるようである。
視覚などの外から入ってくる情報が少ないのと、自らの生み出す考えなどの内からの情報が少ないことで、総合的な感覚はきっとシンプルなものになるのであろう。
それで普段は気が付かないものにも気が付くことができるようになる、という訳である。
瞑想中には様々なモノが寄ってくる。
ある日、わたしはいつものように瞑想をしていた。
いつもと同じような感覚の中に静かに座ることができた。
わたしは安心し、自らの内側に向かうことを楽しみにしていたと思う。
しかしながら、その日は楽しい瞑想ではなかった。

2012年10月4日木曜日

追憶 226

瞑想は習慣化し、わたしにとっては日常の一コマに過ぎなかった。
しかしながら、わたしにとってはとても大切な時間であった。
毎日瞑想する中で、わたしはある変化に気付くようになる。
瞑想の時はあぐらをかく姿勢でただゆったりと座る。
背筋は伸ばすようにはしているが、できるだけリラックスして全身の力を抜くように努めている。
その時、わたしは自らの身体が小さく揺れていることに気が付いた。
もちろん、わたしはただ座っているだけである。
しかしながら、微かな揺れを身体に感じる。
わたしの中に小さなメトロノームがあり、それがカチカチとリズムを刻むようである。
本当に微かな揺れではあるものの、それはわたしの意思ではない別の力が働いているような気がしてならなかった。
しかし、そこに嫌悪感は感じない。
むしろ、心地の良さを感じていた。

2012年10月3日水曜日

追憶 225

わたしはその雲を携帯電話のカメラによって写真に収めた。
(画像は違う日に撮影した白龍神の雲)
その時、わたしは自らの心の中に白龍神の意思が流れ込んでくる感覚を覚えて嬉しかった。
その時の意思はとても暖かく、父親が見守ってくれているような力強くも優しい安心感を得ることができた。
姿を見たのは瞑想の時以来ではあるが、白龍神はわたしのことを今でも大切に思ってくれていることを確認することができて良かった。
それだけで、わたしは幸せな気分だった。
わたしの幸せな気分につられたのか、ハクとコン(狐)もわたしの手を使って出てきた。
ハンドルを握る左手(コン)は人差し指と小指がピンと伸び、右手(ハク)はわたしの顔の前でやはり人差し指と小指を立てて狐の形を作り、わたしに何かを話し掛けるように中指と薬指を激しく動かしている。
ハクとコンが出てきたことも重なって、わたしには更に嬉しい帰路となった。

2012年10月2日火曜日

追憶 224

ある夏の正午。
空を掴むかのような巨大な入道雲に囲まれた北灘湾には、太陽の熱が容赦なく降り注ぎ、熱で焼かれた水面にはキラキラと光の粒が弾けていた。
わたしは額の汗を袖口で拭い、最後の餌を鯛の生簀(いけす)に放り込んだ。
その時、北灘湾には正午を知らせるサイレンがこだましていた。
わたしは作業を終えて帰路についた。
小さな船外機船がわたしを海に浮かべる唯一の相棒である。
小さな船外機に火を入れ、わたしは焼ける水面を割いた。
ある程度走ると、何気なく背後の南の空が気になった。
それは、いつも感じていた意思であった。

「白龍神⁉」

わたしはそう感じて振り返った。
すると、そこには南の空を覆い尽くすように巨大な白い鱗(うろこ)が輝いていた。
一瞬だけ龍の姿に見えて、それはすぐに雲に変わった。


2012年10月1日月曜日

追憶 223

「神」を初めとして、意識的な存在を意識していなければこのような感情は生まれてはこなかったであろう。
怠惰(たいだ)で惰性的な考え方が我が物顔で心の中にはびこっていたかもしれない。
わたしは長い間忘れていた畏怖(いふ)や畏敬(いけい)の気持ちを、意識的な存在と出会うことで思い出すことができた。
それは、わたしがこれから人生を生きていく上でとても大切なことである。
人は自分自身でも知らず知らずの内に傲慢になっていることがある。
謙虚さを見失ってしまった時、人はいろんな意味での「光」を失ってしまうのではないだろうか?
意識的な存在を感じれば、わたしは自分自身の存在がとても小さなものに思える。
自然の中に無数に存在している小さな命の中の一つに過ぎないと感じる。
わたしが人間の中で人間の感覚でいたのなら、このように感じることはなかったであろう。
何と言うか、意識的な存在を感じれば価値観が変わる。
白龍神に出会ってから、わたしの価値観は少しずつではあるが確実に変わってきていたのである。

2012年9月30日日曜日

追憶 222

もちろん、知識(理想)と実行力との間には隔たりがある。
今のわたしには乗り越えられることは少ないけれど、乗り越えられないにしても逃げ出すより、逃げ出さずに苦悩を味わった方がマシであると言えるだろう。
そこで、わたしは何か一つだけ、そのことに関しては絶対に逃げ出さないというものを決めた。
それが、わたしにとっては意識的な感覚に対してのものだった。
一つのことだけでも逃げ出さずに立ち向かっていくことができたなら、いろんなことにも逃げ出さずに立ち向かっていけるのではないかと思っていた。
わたしは意識的なことからは、何があっても逃げ出さない。
何があっても背を向けない。
何があっても諦めない。
何があっても文句を言わない。
そう自分自身に誓ったのである。
この気持ちこそが「神」の加護であるように、わたしにはそう思えるのであった。

2012年9月29日土曜日

追憶 221

白龍神は、わたしにそう伝えたように思える。
白龍神が去った後、わたしの中にはこれからどのような試練や困難に対峙することがあったとしても、そこから逃げ出さずに立ち向かって乗り越えなければならないという気持ちが溢れていたのである。
わたしにはこの気持ちこそが白龍神の導きであるように思えた。
「神」というものは本来、人に困難に立ち向かう勇気を与えるものである。
それ以外は本来の「神」ではないだろう。
白龍神に出会ってから、わたしは人生の試練や困難に対峙することがあったとしても、決してそこから逃げ出さずに立ち向かって乗り越えていくことを決意したのである。
それから、養殖の仕事の中で気に食わないことがあったり、父親との衝突などのわたしにとっては大きな試練や困難があったが、白龍神が残してくれた気持ちを胸に自分なりの努力によって向き合った。


2012年9月28日金曜日

追憶 220

神が苦しみを遠ざけ、取り除いてくれるという考えは幻想である。
実際に「神」という意識的な存在に対峙すれば分かる。
残念ながら、彼らはわたしたちを苦しみから救うことなどない。
宗教のように人間にとって都合の良い「神」など実際にはいる訳がない。
甘い言葉を投げ掛けるのは売り子や詐欺師ぐらいである。
甘い言葉には策略が潜んでいるのである。
信じれば救われる?
そんなものは滑稽(こっけい)である。
本当の「神」という存在は、人に試練を与えるという役割を担っている。
本来ならば、「神」とは人間の感情からすれば都合の悪い存在なのである。
「神」は師のような存在である。
厳しくはすれど甘やかすことなどない。
良い師ほど、上質の試練を与える。
「神」は人に試練という苦しみを与える代わりに成長を引き出している。
宗教を信仰し、苦しみから逃れる方法を模索している人物が成長することなどできるだろうか?
成長することができるのは、苦しみを受け入れ、乗り越えた者だけである。


2012年9月27日木曜日

追憶 219

白龍神は飛び去っていってしまったが、わたしは自らの中に白龍神の加護を感じることができた。
白龍神と出会ってから、わたしの心の中には今までにはない安心感が存在するようになったのである。
わたしにとっての加護とは安心感である。
わたしは神に助けてもらおうなどとは考えない。
苦しみを取り除いてもらおうなどとは思わない。
人間は「ジタバタ」しながら生きて、困難や苦悩にぶち当たることが大切であるように思えるのである。
ある意味、地を這(は)うように生きることこそが、人間を高めてくれるのだと思う。
だから、神の加護がわたしの問題や壁を取り除くのならば、きっと神など無能である。
しかしながら、神の加護が苦しみからの離脱だと考えている人は多い。
そのため、大抵の人は苦しみを遠ざけようと神に祈るのである。



2012年9月26日水曜日

追憶 218


「お前の力となろう。お前の一部となろう。我の力となり、一部となれ。さすればお前は力を得よう。我の名は『白龍神(はくりゅうじん)』。この海を統べる者である…」

目の前の巨大な白い龍は、突然にわたしの心の中に強引に意思を投げ掛けた。
わたしは驚きの中にその意思を受け取ったが、これはとても素晴らしい申し出だと思い、すぐにその申し出を承諾した。
すると、白龍神は何も言わずに空に登り、そのまま南の方角へと飛び去ってしまった。
それと同時に視界がブラックアウトして何も見えなくなった。
わたしは自らの肉体の感覚を感じ、ゆっくりとまぶたを開いてみた。
そこには何の変哲もない見慣れた天井が当たり前の顔をして鎮座しているだけで、目の前からは黒い夜空も白龍神も消えていた。




2012年9月25日火曜日

追憶 217

巨大な白い龍はやがてわたしの頭上へと辿り着いた。
何かを確かめるかのように家の上空を何度も旋回している。
その光景に圧倒されたわたしは、それを眺めていることしかできなかったが、この期に及んで慌てるのも分が悪いと思い気持ちを落ち着かせるように努めた。
そんなわたしの心情を察していたかのように、巨大な白い龍は上空から柔らかく舞い降りた。
屋根を突き抜け、天井を貫通し、巨大な白い龍の鼻先はわたしの目の前にあった。
わたしは蛇に睨まれた蛙のように身動き一つ取れなかった。
龍に睨まれた人間である。
わたしは呼吸するのにも気を遣った。
恐怖ではなく、畏敬(いけい)の気持ちがわたしの心を支配していた。
わたしはしばらくの間、巨大な白い龍と視線を交わすのであった。

2012年9月24日月曜日

追憶 216

それは隙間風程度の音を引き連れていたが、次第に大きくなり海鳴りのような音へと変わっていった。
世界が慌ただしい。
胸の奥でも何かが騒いでいる。
しかしながら、わたしの中に不安はなかった。
むしろ、落ち着いている。
わたしの意思ではないわたしが騒いでいるような不思議な感覚である。
頭は冷静沈着なのに、心は緊張しているような状態であった。

黒い空に一際目立つ白色が現れた。
それは徐々に黒色を浸食していく。
白色が大きくなるに連れて、それが龍の形をしていることが分かった。
そして、近付くに連れて、それが山よりも大きな龍であることが分かった。
わたしはいつか海で見た巨大な白い龍を思い出し、目の前のそれを当てはめるのであった。


2012年9月23日日曜日

追憶 215

どこからともなく届く意思に心を合わせるようにして辿っていくと、わたしは天井を突き抜け、屋根裏を通り越し、空を見た。
そこには夜空が広がっていた。
しかしながら、それは月も無ければ星も存在していない夜空であった。
夜空というよりは黒い空である。
ただし、そこに変な感じはなかった。
見慣れた夜空に輝きがないだけである。
雨などで雲が覆っている夜空のような感じだ。
視点はわたしから始まり、夜空を見上げている構図である。
すると、南の空から何かがこちらに向って来るような感覚があり、それは遠くの方からわたしの所を目指しているようであった。
なぜだかは分からないが、直感的にそう思うのである。
わたしは胸の高鳴りを抑えながら、南の空に目を凝らした。
すると、わたしの頬を風が撫でた。

「風?」

わたしは心の中でそう呟いた。

2012年9月22日土曜日

追憶 214

その日は一日、素敵な気持ちの中で仕事を終えることができた。
それから、巨大な白い龍を見ることはなかったが毎日のように大きな意思を感じる。
まるでその意思がわたしの心の扉をノックしてくるようであった。
わたしは海に出ることが嬉しかった。
それは、海に出ればあの意思を感じることができたからである。
大きな意思はわたしを包み込んでくれた。
母なる自然に包み込まれているような、そんな雄大な安心感を感じるのである。
北灘湾に生きるすべての命と何の隔たりもなく一つに包まれているような、そんな感覚であった。
今まではこんな風に感じたことなどなかった。
わたしは一人で「すべての命はひとつに繋がっているんだなぁ」なんてことをぼんやりと考えていた。

ある日の瞑想中、わたしは一人で部屋にいたのだが、部屋の中では初めて海で毎日のように感じるあの意思を感じた。
わたしはいつもと違う感覚に多少戸惑ったものの、その意思を辿ってみることにした。

2012年9月21日金曜日

追憶 213

沖で仕事をしていると、何か別の意思を感じることがあると言ったが、白い龍が腹の中に収まってからというもの、その意思を感じる頻度も上がったように思える。
その意思はとても大きなものであるような気はするものの、大き過ぎるせいなのか漠然としていて掴みどころがない。
強いて言うなら、北灘湾の意思を感じているような感覚なのである。
それは毎日わたしに意思を投げかけてきた。
そして、それは日増しに強くなっていった。
そんなある日、わたしが沖で仕事をしていると、ふと南の空が気になった。
それはあの意思を南の空に感じたからである。
何の気なしに見上げた空には、異様な光景が広がっていた。
そこには真っ白で山よりも大きな龍が優然と泳いでいたのである。
わたしは驚き、自らの目を疑った。
しかしながら、それは一瞬の出来事であり、次の瞬間には跡形も無く消えていたのである。
わたしは陽の光や雲を巨大な白い龍と見間違えたのだろうと自らを納得させた。
しかしながら、心臓はその鼓動を高めている。
見間違いなのであろうか?
しかしながら、確認する手立てはなかった。
わたしは不思議なこともあるものだと思い、何だか嬉しい気持ちの中で仕事を続けた。


2012年9月20日木曜日

追憶 212

ハクとコン(狐)に始まり、白い龍が来てくれたことによって、わたしは意識的な存在との距離が少しではあるが縮まったように感じていた。
気のせいかもしれないが、心に感じていた何かが足りないような感覚が、ほんの少し埋まったようにも思える。
目には映らない存在を感じる感覚も、ほんの少し高まったようにも思える。
意識的な存在を意識し、側にいようとすれば、それを捉えようとする能力は自然と長けてくるのではないだろうか?
絵をやっていれば色彩感覚が養われる。
料理をやっていれば味覚は研ぎ澄まされる。
それと同じことであるだろう。
元々、わたしは霊感ゼロ人間である。
そう考えるとその感覚は当初に比べると大分磨かれているだろう。
白い龍が腹の中に収まってから、わたしは意識的な存在と交流するのが更に楽しみになるのであった。
わたしは毎日、意識的な感覚が働くことを楽しみにしていた。
忙しくて長い拘束時間を有する仕事と腰痛という苦しみを抱えていたが、意識的な感覚が芽生えてくれたおかげでわたしは毎日に変化と楽しみを見出すことができていたのである。



2012年9月19日水曜日

追憶 211

もちろん、何を信じるかは個人の自由だ。
どのような価値観を持っても良いのである。
しかしながら、目に映る形だけを信じることしかできないのは寂しい。
それは、「お金さえもらえれば友人を裏切っても構わない」過剰な表現ではあるが、わたしにはこのように聞こえてしまうのである。
まぁ、目に映る表面的な利益ばかりを求めた結果が、友人である自然を破壊して富を得るという形になっていったのだから強(あなが)ち間違いでもない。
わたしも意識的な存在を感じることがなかった頃は、目に映る形ばかりを求めていた。
罪もない小さな命を殺すのも平気だった。
むしろ、そこに快楽さえ感じているほどだった。
人の気持ちなんて考えられなかった。
自分の考えを押し付け、従わなければ争っていた。
意識的な存在を感じることのなかった頃のわたしは、大切なものが(今よりも)全く見えてはいなかったのである。
人の心も目に映ることはないが確実に存在しているものである。
ある意味、人の心も意識的な存在である。
「神」と同じものなのである。
意識的な存在を感じることは、人の心も感じることに繋がるのではないだろうか?
もちろん、自らの心にも。

2012年9月18日火曜日

追憶 210

協力者が増えると、人は自ら可能性を広げることができる。
自分ひとりではできないことが、二人いればできたりする。
三人、四人と人数が増える程にできることは単純に増えていく。
どのようなことにおいても、協力者の数が可能性を広げるためには有効なのである。
それは、人に限ったことではない。
意識的な存在たちもとても心強い協力者なのである。
近年では、目には映らないものを信用する人は少ない。(推測ではあるが…)
意識的な感覚や価値観が衰退しているのは事実であるだろう。
それは信仰心や宗教的思想の欠落などではなく、科学技術の進歩による自然からの脱却や、氾濫する情報や教育方針などによってもたらされる思想の自由化による道徳心の低下などが原因となっているように思える。
幼い頃は見たこともない「神」という存在を尊ぶ気持ちを持っていたが、成長に従ってそんな気持ちもどこかへと消え失せてしまっていた。
何時の間に意識的な存在や感覚を大切にする気持ちも失っていたのである。
多くの人が同じような感覚の中に生きているだろう。

2012年9月17日月曜日

追憶 209


「我の力を使うが良い」

白い龍はそう告げるとその姿を腹の中に溶かした。

ゆっくりと自分が覚醒していく。
意識的な感覚と肉体的な感覚とがバランスを調節し、わたしという人格を作り上げる。
しかしながら、瞑想に至るまでのわたしの人格と、瞑想から醒めた今の人格には多少の違いがあるように思えた。
どこが違うのかを具体的な形で認識することはできなかったが、心の中が前とは違うのである。
心の中に支えができたような感覚や、以前にも増して自信や安心感が増したようにも思えた。
以前よりも増して充実している。
わたしは嬉しかった。
多少なりにも成長することができたように思えたからである。
多少ではあるものの、わたしのこの変化は白い龍が内側に入り、わたしを守護してくれているからに違いないだろう。
白い龍が側にいるという認識がそう思わせるだけかもしれないが、それはそれで結果としては良好である。



2012年9月16日日曜日

追憶 208

すると、わたしが口を開けるのを見計らったかのように白い龍は勢いよく降下を始めた。
雷のように素早く降下した龍は、有無を言わせずわたしの口から体内になだれ込んできた。
わたしはあまりのことに驚くしかなかった。
人はあまりにも驚愕したなら何も考えられないことを実感した。
思考が紡げない。
頭の中にはまるで漫画のように「!(びっくりマーク)」が幾つも連なっていたのである。
龍を受け入れるために、顎(あご)が外れるのではないかと思う程に口が開く。
口の次には喉が開く。
食道を通り越し、白い龍は腹の中に収まった。
そして、腹の中でどういう訳か身体を絡ませながら球体を作ってみせた。
それは一瞬の出来事であったに違いない。
しかしながら、わたしにはとても長い時間のように思えた。

2012年9月15日土曜日

追憶 207

わたしは高く舞う白い龍の美しさから視線を離すことはできなかった。
その時、わたしは自らの肉体を強く感じた。
感覚が意識的な部分から、肉体的な部分へと移り変わろうとしているようである。
少しずつではあるが、細胞が活動するような感覚、皮膚が空気と触れ合うような感覚、そして何よりも血液が全身を潤すような感覚が蘇ってくる。
普段は当たり前過ぎて何にも感じない感覚ではあるが、このような状況においてはそれが当たり前ではなかった。
肉体的な感覚をとても愛おしく感じるのである。
感覚が意識的な部分から肉体的な部分へと移り変わると、まぶたを閉じて座る自分を認識することができた。
しかしながら、その肉体は自由を得ている訳ではなかった。
感覚としては普段と変わらないが、まぶたを開くこともできなければ、体制を決めることもできなかった。
不思議である。
まぶたを閉じて座るわたしは、頭上の龍を見上げていた。
あまりに高いところを飛ぶので首が痛い。
その時、わたしは自らの口が大きく開くのを感じた。

2012年9月14日金曜日

追憶 206

わたしはどういう訳か、無条件にこの白い龍のことを信用していた。
この龍なら、わたしの求めるものを提供してくれるとでも思ったのであろうか?
今だに謎ではあるが、自分自身でもなぜ初見の白い龍を信用したのかは分からない。
強いて言うなら直感的な心の働きである。

「相(あい)分かった」

わたしの答えを聞くと白い龍はそう応えた。
それはとても力強い声(意思)だった。
すると、先程まで絵画のように微動だにしなかった龍が、まるでキャンパスからその身を剥がすようにして動き始めた。
当初はぎこちなかった動きも徐々に滑らかになり、わたしの目の前で渦を描くように躍動してみせた。
わたしがその光景に釘付けになっていると白い龍は視界から弾け飛び、頭上高くに舞った。
暗闇に煌(きら)めく白い光は、まるで北欧の夜空を支配するオーロラのように美しかった。(オーロラを実際には見たことがないのが残念である…)

2012年9月13日木曜日

追憶 205

目の前の龍はその姿を徐々に鮮明にしていった。
全身を覆う大きな鱗(うろこ)は青白く妖艶な輝きを放っている。
その時、どこからともなく声が聞こえてきた。

「力が…必要か?」

それは太い男性の声だった。
声というよりは意思であるだろう。
心に直接的にとても鮮やかに突き刺さる。
わたしは太い男性の声に対して反射的に応えた。

「はい!力が欲しい!」

それは純粋な気持ちが導き出した答えであったに違いない。
そこには何の打算もなかった。
わたしの中には意識(霊)的な力というものが、人や霊に対して何らかの役に立つという認識しかなかった。
その力が私利を貪る道具になることなど、考えの中にはなかったのである。
何よりも、この龍が美しかったことがわたしの中の様々な選択肢を潰したのであろう。
だからわたしは純粋な気持ちで即答したのである。

2012年9月12日水曜日

追憶 204

それは、黒い背景の中に浮かぶ白い龍であった。
眩しい光を見た直後にまぶたを閉じると、光が残像としてまぶたの裏側に焼き付くことがある。
白い光の残像がまぶたの裏側の暗闇に焼き付いているのを見たことがあるだろう。
今わたしが見ている光景は、その現象に酷似している。
黒いまぶたの裏側に白い龍の形をした光の残像のようなものが見えるのである。
しかしながら、これは光の残像などではない。
なぜなら、白い龍の形のしたものは、その姿を少しずつ鮮明にしようとしていたからである。
それが光の残像ならば徐々に薄れていくのが普通であろうが、それとは正反対の動きをしている。
わたしは高鳴る鼓動を感じながら、目の前の光景をただ眺めることしかできなかった。
怖さや危機感はない。
落ち着きはしないが、安全であるような気はしていた。
光がある程度鮮明になったところで、頭部にはギザギザに尖った角?のようなものが確認できた。
そして、背中にはカジキマグロ(バショウカジキ)のような背びれが連なっていた。
その姿は、わたしの中の龍のイメージそのものであった。

2012年9月11日火曜日

追憶 203

心の中に向かうと、どこか落ち着かないような感覚がわたしにまとわり付いて離れようとはしなかった。
例えるならば緊張感であろうか?
それとも焦燥感であろうか?
何か大事なことを忘れているけど思い出せない時のような気持ちであった。
何とも表現し辛いのだが、心が浮き足立って落ち着かないのである。
わたしは何とか心を静めようと努めた。
心の中に存在している「静寂」を探せば何とかなるはずである。
心が落ち着かない感覚も、静寂の中までは付いて来れないだろう。
そう考えた。
しかしながら、いくら探しても静寂への入口は一向に見付かりそうもなかった。
わたしは諦めて心が落ち着かない感覚に意識を合わさるようにして向き合ってみた。
すると、胸の鼓動が次第に高まり、まるで心臓が身体の外に飛び出してしまったのではないかと思える程に高鳴り始めたのである。
それと同時に目の前の暗闇の中に何かが浮き出てくるのが見えた。

2012年9月10日月曜日

追憶 202

それからというもの、度々わたしの頭の中には何か別の意思が紛れ込んでくるようになった。
初めは勘違いかとも思ったが、こう何回も続くとそうではないような気がしてくる。
しかしながら、わたしにはそれが何なのかを掴むことはできなかった。

(不思議なこともあるものだなぁ…)

そのくらいの位置付けで置いておくことにした。

ある日のこと、いつものように部屋で一人瞑想をしていた。
今日はハクとコンがどこか騒がしい。
どうしたというのだろうか?
いつもはわたしに引っ付いてくるのに、この時は距離を取って近付こうとはしなかった。
何かあるのだろうか?
わたしはハクとコンの異変の原因も知ることができるかもしれないと思い、さっそくまぶたを下ろし、心の中へと向かった。



2012年9月9日日曜日

追憶 201

海に出て毎回ゴミを拾う。
船で走っている時、筏(いかだ)で作業をしている時など、結構な数のゴミが海面を浮遊している。
スーパーのナイロン袋やペットボトルなどが多い。
わたしは毎回少し悲しくなり、少し怒りながらそれを回収するのであった。

そんなある日、北灘湾に正午を知らせるサイレンが鳴り響き、わたしは筏での作業を早めに切り上げて昼食を摂るために家路に着いた。
初夏の陽射しが海面に反射してキラキラと美しかったのを覚えている。
船のエンジン音に紛れて、海を切り裂く音が聞こえる。
それは普段と変わらない当たり前の光景であった。
遠くに見える山の向こうには、入道雲の子どもが生まれていた。
わたしは入道雲の子どもを肴に、潮風を引っ掛けて夏に酔った。
その時だった。
わたしの頭の中には自分以外の意識が流れ込んでくるような感覚があった。
それは突然のことであったし、一瞬のことであったので、わたしは驚いて船を止めた。
アイドリングのためにエンジン音が小さくなる。
わたしは声を聞いたのだろうか?
周りを見渡す。
養殖筏の間にカモメが数羽飛んでいる。

「カモメの鳴き声でも聞いたかな?」

わたしは不思議に思ったが、勝手にそう解釈して再び船を走らせた。

2012年9月8日土曜日

追憶 200

波間を漂うナイロン袋をすくい上げる。
わたしはそれを船に用意してあるカゴの中にゴミとして投じた。
人が不法に捨てるゴミも欲望の現れである。
ゴミを処理する時間や労力を欲張り、その辺に無造作に捨てるのである。
人間の様々な欲望によって自然はダメージを負っている。
わたしには人の欲望を抑える力はない。
経済活動を縮小させる権利もない。
今のわたしにできることと言えば、ゴミを拾うことによって海へのダメージを少しでも和らげることだけだったのである。
人間の持つ欲望からの解放が自然環境を豊かなものにするためには必要なのである。
しかしながら、人間も自然の一部である。
そのため、どうしても自然に対して介入せざるを得ない。
どうしても関わらなければならないのならば、極力迷惑をかけないようにしなければならないし、互いに協力しなければならないという考えである。
わたしも北灘湾を使っている一人であるため、偉そうなことは言えないが、浮遊しているゴミを取り除けば(見た目的には)海は綺麗になる。
海が綺麗になれば、人の心も少しは変わるのではないかと考えたのだ。
結局は、心が原因なのである。
人間のすべての活動は心に起源している。
心が変わることがなければ、自然環境など改善することもないであろう。
そのために、わたしは毎日毎日ゴミを拾うのである。

2012年9月7日金曜日

追憶 199

それは、人間の手が入り過ぎているからである。
今までの「失敗」によって、誰にだって自然(海)が耐えられる限度というものを理解することができる。
そのために、北灘漁協では筏の台数を制限している。
しかしながら、それを守らない業者は後を立たない。
それは資本主義社会が生み出すジレンマである。
経済の拡張と自然環境の悪化は比例せざるを得ない。
人が経済活動を広げる度に、自然の営みに介入しなければならないからである。
人がハードパワーによって踏み込めば、自然はそのベストなバランスを保つことができない。
生態系を維持しているのはソフトパワーである。
自然環境に則した形によって緩やかに変化していく。
しかしながら、人間は自然を克服しようとする。
生産性を高め、より多くの利益を得るためには、自然の速度を無理矢理に歪めてしまった方が有益なのである。
自然環境にとって、人間の持つハードパワー(欲望)は脅威なのである。

2012年9月6日木曜日

追憶 198

生態系に影響力を持つのは気候変動と人為的な働きであるだろう。
近年の北灘湾の生態系の変化というものは気候変動による影響力であるとは考えにくいのではないだろうか?
やはり、人間が生業として人為的に自然に手を加えたことが一番の影響力を持っていたに違いないであろう。
わたしたちは自然からの恩恵を受けなければ生きていくことはできない。
すべての人類、すべての生命に共通することである。
自然から離れて生きていくことなど不可能なのである。
自然環境、小さな生命を無視して築くことのできる豊かさはどこを探しても存在しないのである。
どのような生命も、自然環境のバランスを保つのに役立っている。
一つが欠ければ一つが欠ける。
その繰り返しである。
その結果、自然環境が抱えることのできる生命のキャパは縮小する。
キャパが縮小しているにもかかわらず事業を拡大すれば、支え切れないのは必至であるだろう。
自然環境は単純計算や机上の空論で成り立っている訳ではない。
様々な生命の折り合いがあって初めてバランスという調和が生まれるのである。
残念なことに、今の北灘湾の環境には調和は存在していないように思える。

2012年9月5日水曜日

追憶 197

わたしの家は家業として、ちりめん漁、たて網漁、巻き網漁(真珠、養殖業)など様々な形で海に携わってきた。
幼い頃は深夜二時からのたて網漁や巻き網漁にも良く同行したものである。
わたしが東京から帰っても、たて網漁と巻き網漁は養殖業と並行して行っていたが、獲れる魚の種類と量は比較するまでもなく少なくなっていたのである。
これも自然を酷使した結果であると言うことができるであろう。
近年の赤潮騒ぎも、海のバランスが崩れたことによるプランクトンの大量発生が原因となっているのではないだろうか?
わたしたち人間は、豊かな暮らしの代償として、取り返しの付かない過ちを犯しているのではないのか?
ある時、真珠貝が大量に死滅した。
これによって真珠業者は大打撃を受けた。
原因はそれだけではないだろうが、この騒ぎは業者を始め漁協までもが潰れてしまうという事態にまで発展することになった。
そして、赤潮の影響で養殖魚が大量に死滅した。
つい先日も宇和海ではカンパチなどの養殖魚が過去最大の被害額を叩き出した。

2012年9月4日火曜日

追憶 196

そのおかげでわたしはお金に困ったことがなかった。
大きな家に住むこともできたし、欲しいものはいつでも手に入った。
何不自由なく生きてきたのである。
それはとても有難いことであるだろう。
しかしながら、人間の暮らしが変わっていくのと同じように、北灘湾の姿も変わってしまった。
わたしの記憶には無いことだから聞いた話ではあるが、昔は春になると海岸にもたくさんの海藻が現れ、まるで絨毯(じゅうたん)のように海岸線を覆い尽くしたそうである。
魚の種類も豊富で、ハタタテダイなどの珊瑚礁を棲家(すみか)にするような魚まで普通に泳いでいたようである。
しかしながら、養殖業を始めてからと言うもの、その光景は一変してしまった。
養殖業を始めた頃、養殖魚に与える餌は生餌といって鯵(アジ)や鯖(サバ)などを冷凍したものをミキサーに掛けただけのものだった。
生餌は魚を切り刻んだだけのものなので、それからは大量の油が浮き出た。
その油が北灘湾に漂い、海は油だらけであったという。
養殖筏の碇(いかり)のロープには20cm程の油の層が付着していて、碇を張り直す時には油が層になったものを取り除いてから作業を始めたそうである。
碇のロープを引く手も油で良く滑ったそうだ。
そのような過酷な環境で生きていくことのできる種は限られている。
北灘湾には過酷な環境の中でも生き残っていけるような種類の生物だけが残るだけになってしまった。

2012年9月3日月曜日

追憶 195

悲しいけれど、人間とは利己的な存在である。
資本が絶対的な形で根底にある人間の社会においては、利益を追求することは重要なことであるが、利益というものは自然からしか発生しない訳だから、自然という利益を生み出す母体を傷付けてしまっては本当の利益など得られないのである。
人は自らの利益のために母なる自然を酷使し、搾取してきた。
漁業(釣り、網)、養殖業(魚、真珠)、干拓、排水…
自分たちの利益、生活向上、金儲け…
様々な理由によって人は自然を傷め付けた。
自然を酷使すれば、多くの利益を生み出すことができる。
魚は根こそぎ乱獲してしまえばいい。
好きなだけの数の魚を養殖し、大量の餌を巻き、大量の糞尿を海に流せばいい。
養殖の魚や貝を病気から守るために大量の投薬もいい。
お金がたくさん手に入り、生活が豊かになればそれでいい…
その結果として、北灘湾の養殖魚(業)や真珠(業)は全国的な知名度と多くのお金を手にすることができた。

2012年9月2日日曜日

追憶 194

腰の具合は相変わらず不安定であり、真っ直ぐ座ることはできなかったし、右足はずっと痺れていた。
それでも何とか仕事はできたので有難かった。
騙し騙しではあるけれど動けるということは本当に価値のあることだ。
そんな身体や状況に対して感謝の気持ちが自然に溢れてくる。
幸いなことに、わたしはその感謝の気持ちを北灘湾にも向けることができた。
北灘湾はわたしに仕事を与えてくれるし、家族を養ってくれている。
わたしたちは感謝してもし切れない程の恩恵を受けているのである。
そんな北灘湾に対して感謝の気持ちが溢れるのは人として当たり前のことであるように思うが、自然を自分たちの金儲けの道具としか見ていない人間がいるのも事実である。
悲しいことだけれど仕方の無いことなのである。
養殖業者だけではない。
様々な職種の人たちが生活している場所である。
海の仕事に携わっていない人であっても、感謝するのは当たり前のことであるだろう。
しかしながら、道路や河川や海岸にはゴミが溢れている。
そのほとんどが、地元民の捨てたゴミなのである。
領収書や薬の氏名から名前や住所すら分かってしまう。

2012年9月1日土曜日

追憶 193

養殖の仕事で海に出る。
その度にわたしは海に浮かんでいるゴミを回収していた。
残念なことに、周りの養殖業者の人たちは海に平気でゴミを捨てていた。
彼らにとってはそれが習慣であり、当たり前のことなのだろう。
わたしはそんな習慣が嫌いでゴミを回収し続けた。
もちろん、養殖業者の人たちに直接注意もしたし、ゴミを捨てた側から本人の目の前でそれを回収していた。
彼らはそんなわたしのことを多少なりとも煙たがっていたであろう。
しかしながら、わたしはこの活動が正しいと信じていたし、きっと彼らに良い変化を与えることと信じていた。
何かを変えることは簡単ではない。
特に、人の価値観や習慣を変えることなど至難の技である。
だけど、少しずつ地道にアプローチすれば、変わるものだと信じていたのだ。
わたしは自らの正義に従ってゴミを回収し続けた。

2012年8月31日金曜日

追憶 192

わたしがハクとコンに対しての思いを強める程、わたしたちの絆は強くなっていくような気がした。
ハクとコンは黒い大蛇が去ってから少したくましくなったように思える。
もちろん、わたしも多少なりにたくましくなった。
あれから毎日霊的な出来事が続いているが、ハクとコンはその度に霊の存在をわたしにいち早く知らせてくれた。
まるでセンサーのようである。
わたしが認識することができない霊を、わたしの手を使って狐の形を作って教えてくれるのである。
それは、わたしの霊的な反射神経を育てるのに役立った。
ハクとコンと一緒にいると、直感力が高まるようだった。
それは、意識的な存在とかかわることで育てることのできる基本的な能力なのかもしれない。

ハクとコンがわたしのところに来てから、わたしの霊力は少しずつではあるけれど確実に成長しているように思える。
毎日の瞑想は欠かすことの無い日課となっていた。
仕事の合間や自由に使うことのできる時間はできる限り瞑想に当てた。
とにかく、自らの内側に存在している意識的な世界が気になるし、それに触れるのがドキドキワクワクして楽しくて仕方なかった。
当時のわたしには、20年間見てきた外の世界よりも、始めて見る自らの内側に存在している意識的な世界の方が刺激的だったのである。

2012年8月30日木曜日

追憶 191

ハクとコンは母親の近くを通るのが嬉しかったのかもしれない。
彼らがわたしのところに来たのは、未熟なわたしを助けるためと、この辺りではわたしのところが必要な学びを得るためには最善であったのかもしれない。
もちろん、相性もあるだろう。
わたしは狐たちと話ができたことで、ハクとコンに対して今までにはない親近感を覚えた。
意思を交えたことによって、互いの絆が深まったような気がしたのだ。
この辺は人間と同じようである。
人と人も、多くの会話や意思(思想や意見)を交えることが絆の結束に繋がる。
ある意味で人も意識的な存在であると言うことができるだろう。
それは、その本質に心という意識が存在しているからである。
人も意識的な存在も、心の交流が互いの絆を結束させるためには重要であることをわたしはこの時に学んだ。
それからのこと、わたしはハクとコンに対して、ことあるごとに心の中や言葉で話し掛けたり、感謝の気持ちを送るようになった。
意思疎通が互いの絆を結束させるのであれば、意思が繋がるかは分からないけれど、日常からできる限り意識的な存在に対してこちらからアプローチすることによって、その協力関係が強まるのではないかと考えたからである。
普段から意識的な存在を意識し、それらと交流することが互いの力になるような気がしたのだ。

2012年8月29日水曜日

追憶 190

狐たちの美しい瞳がわたしの中の何かを捉えた時、狐たちはわたしに対して話し始めた。
しかしながら、口を開いて声を発するというような方法は用いない。
意識的な存在は意思を意識的な方法によって伝える。
意識的な存在はその意思を自らの頭の中(心の中)から相手の頭の中(心の中)に直接的に届ける。
意思疎通が基本的な伝達手段なのである。
だから、狐たちはわたしをその美しい瞳で捉えるだけで微動だにしない。
それで事足りるのである。
わたしの頭の中に狐たちの意思が流れ込んでくる。
それは、わたしの右手を使って現れるのが「ハク」という名前であり、左手を使って現れるのが「コン」という名前であること。
ハクが雄であり、コンが雌であるということ。
二匹は互いに二百歳であり、我が家から1kmほどの場所にある小さな神社の隣のセンダンの巨木が母親であること。
わたしの所にいるのは霊力を高める修行のためであること。
など、様々なことを教えてくれた。
いつも疑問に思っていたことがあるのだが、二匹の母親であるセンダンの巨木の近くを車で通る度に、ハクとコンが出てきては人差し指と薬指をピンと立てた状態でその指を激しく動かすのである。
なぜかその辺りで毎度出てきては激しく動くので気にはなっていたのだが、その謎がやっと解けた。

2012年8月28日火曜日

追憶 189

二つの光が輪郭を形成すると、それはいつもの狐たちだった。
二匹とも純白の毛並みに、赤いアイラインが印象的であった。
今までは化粧などしていなかったと記憶している。
二匹はいつもの可愛らしさとは違い、座る姿勢に真剣さが感じられた。
背筋を伸ばした姿勢と澄ましたような表情は、凛としていて美しかった。
わたしは改めて、この二匹の狐が神であることを思い出すのであった。
しかしながら、わたしはいつもの調子で狐たちに話し掛けた。

「今日は聞きたいことがあってここに来たんだけど。実はお前たちのことなんだ。名前とかどこから来たのかとか、簡単なことでいいから知りたいと思ってね。良かったら教えてくれないかな?」

二匹は透き通るような美しい瞳をしていた。
それがわたしの心の中にまで届いているような感覚を得た。
狐たちはわたしの心の中を覗いているのであろうか?

2012年8月27日月曜日

追憶 188

静寂の扉をすり抜けると、わたしは何か自由になるような感覚を味わうことができる。
それは身体を置き去りにし、重力から解き放たれるような感覚であった。
その状態であると、わたしは普段感じることのできないものを感じることができた。
そして、見ることができないものを見ることができた。
不思議なものである。
わたしの心の中に存在している静寂は、暗くて何もない真四角の空間であるような気がする。
これは感覚的なものであるから何とも言えない。
意識的な世界なので、心や価値観のように形は不確定なものではあるだろう。
今のわたしにそれはそう認識することができたということである。
目の前の真っ黒に対して意識を集中してみる。
何もない暗闇を空間の中心に集めるような感覚であった。
それをしばらく続けていると、暗闇の中に何か白っぽい何かのっぺりとしたものが浮き上がってくるのが見えた。
それは水ににじむインクのようにゆらゆらと形を自在に変えながらその輪郭を少しずつ形成しているようだった。
それは目の前に二つ浮かび上がり、互いに追いかけ合うように回っていた。

2012年8月26日日曜日

追憶 187

ある日、わたしは不意に狐たちの素性が気になった。
この狐たちはどこから来たのだろうか?
何でわたしの所に来たのだろう?
大体、何者なのであろうか?
わたしの中では狐たちに対する疑問がくるくると、まるで風を受ける風車の様に回っているのであった。
日課になっている瞑想の時間に聞くのがベストであると考え、それまでは我慢することにした。
わたしはワクワクしていた。

就寝前に瞑想をすることを習慣としていたわたしは、ベッドの上に軽くあぐらをかいて座り、静かに目を閉じた。
そして、意識的にゆっくりと呼吸をする。
すると様々に溢れてくる映像や音を掻き分ける様にして、できる限り心の中の深い場所を探した。
何も考えず、感じることに対して感覚をシフトしていくと、わたしは自らの心の中に吸い込まれる様に沈んでいくことができた。
そこには、静寂に通じる扉がある。
わたしが目指していたのはここである。
この扉の先に静寂があり、その先に意識的な世界が待っているのである。
わたしは導かれる様にして、静寂の扉をすり抜けた。

2012年8月25日土曜日

追憶 186

横になって考えることは、先程の黒い大蛇のことであった。
黒い大蛇はどこから来て、どこへ向かったのだろうか?
黒い大蛇は、一体何者だったのであろう?
それは、わたしには辿り着くことのできない答えであるだろう。
人間であるわたしにはきっと辿り着くことのできない世界である。
しかしながら、黒い大蛇のことが気に掛かって仕方がなかった。
わたしにはどうすることもできないというのに…
それにしても、狐たちが無事で良かった。
そして、わたし自身も無事でいられたことにただただ感謝した。
極度の緊張から解放されたわたしは、安心感の中でそのままゆっくりと眠りに落ちた。

2012年8月24日金曜日

追憶 185

黒い大蛇の姿が完全に暗闇の中に消えると、わたしは悔しいようなどこか安堵したような不思議な感覚に見舞われていた。
全身の毛を逆立てていた狐たちはその威嚇を解いた。
そして、わたしを心配そうに振り返った。
その時の二匹の目には、緊張感から解き放たれた安心感を感じ取れた。
泣いているかのように潤んだ瞳は、朝日を映す朝露のように美しかった。
その目を見た時、「良かった…助かったんだ…」素直にそう思えた。
わたしが覚えているのはそこまでである。
気が付くと、わたしは疲労が蓄積したかのような重たい身体で座っていた。
何時の間にかに意識的な世界から「こちら」に戻ってきたようだった。
頭が上手くは回らない。
何にも考えたくなかった。
思考を使おうとすると、軽く頭痛がした。
わたしは重たい身体に導かれるように、そのまま横になった。

2012年8月23日木曜日

追憶 184

わたしは心に込み上げてくる熱い気持ちを熱い意思にして叫んだ。

「わたしはお前(黒い大蛇)には負けない。そして、お前を助けたい!」

わたしは心に浮かぶ思いを黒い大蛇にぶつけてみた。
すると、暗闇の中に浮かぶ黄色の目玉が一瞬だけだがひるんだように思えた。
高圧的な感情を強いていたそれが、一瞬ではあれ、明らかに動揺したのである。
わたしは既に黒い大蛇のことが怖くはない。
どういう訳か、むしろかわいくさえ思う。
その黒い身体に触れたくて仕方がない。
抱き締めたいという衝動にかられるのである。
その時、狐たちは黒い大蛇を離れて、わたしの前で黒い大蛇に向かって立ちはだかった。
狐たちは相変わらず威嚇(いかく)を続けているようだった。
狐たちの気持ちも分かるので好きにさせた。
しかしながら、わたしは黒い大蛇に触れたくて仕方がない。
いたたまれなくなったわたしがこの気持ちを行動に移そうとした時、目の前から黄色の目玉が忽然(こつぜん)と消えた。
そして、黒い大蛇の全身を背後の暗闇が包み込むように隠していく。
わたしは驚いたが、それをどうすることもできなかった。

2012年8月22日水曜日

追憶 183

苦しみの中にあっても、それを乗り越えてまで生まれてくる思いやりの感情こそ愛情なのではないだろうか?
今、わたしの抱えているこの熱い気持ちはある種の愛情であるように感じる。
この気持ちが心の中に湧き出た時から、わたしは様々な変化を感じていた。
先に話したが、鬱が完全に消え去った。
それから、勇気や熱意が溢れてくる。
わたしの中が何か得体のしれない大きな力によって満たされていくのが分かるのである。
これは、愛情が持つ性質であり能力なのかもしれない。
愛情は建設的な力を与えてくれるのではないだろうか?
愛情が溢れてから、わたしの中には恐怖心が薄れているように感じる。
恐怖心が完全に消え去るということはなさそうだが、上から何かに押さえ付けられているように封じ込まれているような感覚である。
わたしは今ならば黒い大蛇を制することができるのではないかと考えた。
狐たちも心なしかたくましく見える。
これはきっと、わたしの心が力を持ったからだろう。
わたしと繋がっている狐たちもその力を活用することができているのではないだろうか?

2012年8月21日火曜日

追憶 182

それは怒りとは違う感情であった。
気力に満ちた「気合い」である。
それは怒りに似ているけれども決して破滅的な感情ではなく、建設的な性質を以った感情であった。
その時、わたしの中に力が溢れてくるのを感じた。
心の中に黒雲の様に立ち込める鬱がだんだんと晴れていく。
心が清々しく、とても軽かった。
その時、わたしは自らの本当の目的を思い出すことができた。
今ならば本当の目的に従うことができる。
わたしは黒い大蛇を破滅的な感情から救い出してやりたい。
心の中には、黒い大蛇のことを何とかして助けてやりたいという感情が溢れてくるのであった。
それは、愛情であったに違いない。

2012年8月20日月曜日

追憶 181

それを阻止しようとしているのが狐たちであった。
それは、宿主であるわたしの心が破滅的な感情に食われることによって、その守護者である狐たちも同じ末路を辿ってしまうからであろう。
宿主である人間と、その守護者である意識的な存在はその心によって一つに繋がっている。
その心が破滅的な状態に陥ってしまえば、意識的な存在も同じように破滅的な状態に陥ってしまうのである。
狐たちからすると、わたしの心が破滅的な状態に陥ることは阻止しなければならない。
もちろん、わたしもあの苦しい鬱状態はごめんである。
わたしたちの利害は一致している。
何とか黒い大蛇を遠ざけなければならないのである。

狐たちは勇敢に闘っていたが、黒い大蛇には歯が立たない様子だった。
暗闇に浮かぶ黄色い眼光がわたしの背筋を寒くさせる。
わたしは黒い大蛇に睨まれるプレッシャーからくるストレスと、自らの弱さにだんだんと腹が立ってきていた。

2012年8月19日日曜日

追憶 180

わたしの中に流れ込んでくる怒りや憎しみの感情、それは黒い大蛇が抱える感情の正体である。
黒い大蛇はわたしを自らの持つ感情と同じ色に染め上げようとしていた。
それは、わたしを取り込んでしまうことが自らが存在する道だからである。
感情がその存在を保つためには、それを生み出す心が必要である。
心が存在しなければ感情が存在することはない。
感情は、心という媒体無しにはその存在を維持することはできない。
そのため、感情は心に訴えるのである。
ある意味では、感情はそれ自体に意思を持っているように思える。
意思は心が所有しているものではあるが、感情という形で別に存在することができる。
怒りや憎しみの感情に支配されるのは、感情が独自に意思を持ち、その心を支配してしまうからである。
黒い大蛇の持つ破滅的な感情が存在し続けるためには、わたしの心を取り込んだ方が有利なのは明らかだ。
搾取する場所が多い方が有利なのは当たり前のことである。
黒い大蛇の持つ破滅的な感情が願うのはわたしの不幸。
怒りや憎しみに支配される心なのである。

2012年8月18日土曜日

追憶 179

これは自分自身を守るための闘いである。
そして、黒い大蛇を救うための闘いでもある。
黒い大蛇を痛め付け、争うための闘いではない。
自らの正義の名の下に闘うのである。
わたしは強い気持ち(建設的な気持ち)を保つ努力をした。
心の中に存在している思いやりや愛情をでき得る限り拾い集めた。
しかしながら、これが容易なことではなかった。
黒い大蛇の破滅的な感情がわたしの心に流れ込み、その心中を、集中力を乱す。
ただ、思いやりや愛情を保つだけであるのに、それすらまともにできはしないのである。
心に浮かぶのは怒りや憎しみの感情であった。
それは炎のように燃え上がり、心を焼き尽くそうとしている。
それを思いやりや愛情によって消火するという作業の繰り返しである。

2012年8月17日金曜日

追憶 178

こんなわたしではあるが、黒い大蛇を破滅的な状態から救い出してやらなければならないのである。
それは単なるエゴかもしれないが、そうするべきだと胸の中の何かがわたしに伝えていた。
わたしは立ち上がり、強い気持ちでしっかりと脚を踏ん張った。
すると、もう一度頬を風がかすめた。
もう一匹の狐も、黒い大蛇に立ち向かったのである。
二匹は勇敢に闘った。
黒い大蛇はそれを嫌がり、二匹を振り払おうと暴れた。
狐たちは何度も弾き飛ばされたが、その度にまた挑んでいくのであった。
悔しいが、わたしにはその場で強い気持ちを保つことしかできなかった。

2012年8月16日木曜日

追憶 177

わたしはとにかく負けてはいけないと思った。
破滅的な感情に支配されないように自らの意思を建設的な状態に保つことに集中した。
大切なのは黒い大蛇と争うことではないだろう。
敵を作ってしまえば、今度は怒りという破滅的な感情に支配されてしまう。
それでは、本末転倒である。
わたしが破滅的な感情に支配され、鬱状態に陥ったのは黒い大蛇のせいではない。
確かに、黒い大蛇はわたしを破滅的な感情の中に引きずり込むために働き掛けていた。
しかしながら、それで黒い大蛇を敵と見なすのは違うような気がしたのだ。
それでは、建設的な感情から大きく逸れている。
思いやりからかけ離れている。
そして何よりも、そこには「愛」が存在しないのである。
争う気持ちはきっと「愛」を生み出しはしないだろう。
それは「愛」を切り刻むような行為に違いない。
わたしが黒い大蛇と争ってしまえば、破滅的な感情が更に深まってしまうことは必至である。
そうなれば、黒い大蛇にも自らにも救いはないのである。

2012年8月15日水曜日

追憶 176

わたしの頬をかすめ、黒い大蛇に突き刺さったものは狐だった。
先程まで恐怖に震え、うずくまっていた狐の一匹が黒い大蛇に襲いかかったのである。
狐はその小さな身体で黒い大蛇に噛み付いて離れなかった。
その光景にわたしは驚いた。
狐はわたしのことを守ろうとして黒い大蛇と自らの中の恐怖に立ち向かったのだろう。
その時、わたしの中に一筋の光が横切るような感覚があり、その心は鬱から解放された。
心に力が溢れてくるのが分かる。
勇気と熱意が湧き出るように戻ってくるのである。
わたしは大切なことを思い出したような気がした。
黒い大蛇に立ち向かわなければならないと決意した。
自分のことは自分で守らなければならない。
自分の道は自分自身で切り開かなければならない。
目の前に恐怖が横たわっていても、それに立ち向かい、乗り越えていかなければならないということを思い出したのである。

2012年8月14日火曜日

追憶 175

今のわたしは自らの意思によって心境を選択することができない。
それは、黒い大蛇がわたしの心よりも強い力を持っているからだ。
わたしの心は黒い大蛇の破滅的な力によって飲み込まれてしまうのである。
逃げ出そうにもそれは難しかった。
まるで幻術にでもかけられたように心がいうことを聞かないのだ。
わたしは蛇の毒にやられた獲物を連想していた。
そして、わたしもその獲物なのだと悲しくなった。

暗闇の中に大蛇の黄色い眼球が浮かんでいる。
わたしはそれに逆らうことはできない。

「諦めよう…」

わたしがそう思った時、何かがわたしの頬をかすめた。
それは、わたしの後方より飛び出し、黒い大蛇に突き刺さった。

2012年8月13日月曜日

追憶 174

それは人に限らず、霊や神などの意識的な存在からの影響も当然のことながら受けているのである。
それを信じるか?それに気が付いているのか?は関係のないことだろう。
側にいる意識的な存在が建設的な状態にあれば、人は自ずと建設的な状態を築くことができる。
周囲の存在が思いやりを以って激励(げきれい)してくれるのだから、前向きに励(はげ)むことができるだろう。
側にいる意識的な存在が何らかの苦しみを以って破滅的な状態であるのならば、人は破滅的な状態を導くことになるだろう。
不満や悲観を多用する人物の側にいれば、後ろ向きになってしまうのは必至である。
黒い大蛇は何らかの苦しみを以って破滅的な状態にある。
今、黒い大蛇に触れているわたしの心は破滅的な状態だ。
それはまさしく、黒い大蛇が破滅的な状態にあるからである。
それに影響されたわたしの心が破滅的な状態であるのならば、呼び込んだり築く状況は破滅的なものであるだろう。
だからわたしは鬱を抱えているのである。
それは誰にでも言えることである。
人は周囲の環境や状況に対して、自らを順応させるようにできている。
自らの意思によってそれを選択する時もあれば、周囲の環境や状況によってそれを選択せざるを得ない時もあるだろう。

2012年8月12日日曜日

追憶 173

しかしながら、その危機感すら簡単に暗闇の中に飲み込まれようとしていた。
何もかもが嫌になってくる。
心と身体が鉛にでもなったように重たく、しんどい。
もう、何もかもがどうでも良かった。
自らの命すら、どうでもいい…
思考を紡ぐ力が出ない。

「ああ、これが鬱(うつ)という状態なんだ」

わたしはそう理解した。
正確には分からないが、鬱病という状態にある人の苦しみが分かった気がした。

人の本質はその意識にある。
簡単に言えば心だろう。
心境によって人はどのような形にも変化する。
建設的な心境にあれば、人は前向きに在ることができる。
破滅的な心境にあれば、人は後ろ向きに在るだろう。
そして、厄介なことに意識は繋がっている。
周囲の人に何らかの影響を受けるのもこのためである。
意識は意識によって影響を受けているのである。

2012年8月11日土曜日

追憶 172

暗闇に黄色の目玉が浮かんで見える。
その眼光は鋭く、凄まじい敵意を以ってわたしを睨み付けた。
わたしは芯から震えた。
背筋が凍り、全身が泡立った。
逃げなければならないという気持ちと、立ち向かわなければならないという気持ちがぶつかり合い、精神がどうにかなってしまいそうだった。
黒い大蛇はそんなわたしを嘲笑うかのようにゆっくりとその巨体で忍び寄り、この身体に巻き付こうとしているようであった。
わたしは金縛りにあった時のように全く動くことができない。
黒い大蛇の氷のように冷たい鱗(うろこ)が足首に触れる。
わたしの身体を巻き付けるようにして肩まで達したところで、黒い大蛇はわたしの耳に何かを吹き込むような仕草を見せた。
それが何なのかは分からなかったが、そのノイズのような汚い音?を聞いていると、心の中に大きな不安感が生み出されるのを理解することができた。
所有している目的や目標は何時の間にかに影を潜め、すべてのことに対して無気力で無関心になり、心が重たく沈んでいくような感覚があった。
わたしは心のどこかでこの状況に対して危機感を覚えていた。


2012年8月10日金曜日

追憶 171

黒い大蛇が所有する目的はわたしにとっては不利なものであるだろう。
そして、恐怖心や危機感を覚えるほどに怖い。
しかしながら、そのような状況にあっても助けてやらなければならないと思うのである。
意識的な力を以って、人々や意識的な者たちの力になりたいという目的、目標は持っていたものの、この様に大きな恐怖心の中でこの様な心境になるのは我ながら不思議であった。
わたしは黒い大蛇をどうにかして破滅的な感情から助け出す方法を探った。
しかしながら、何の知識もなく、経験も浅いわたしである。
黒い大蛇を破滅的な感情から助け出す最善の方法など分かるはずもなかった。
わたしはとにかく話をしようとした。
話せば何か解決の糸口が見えてくるのではないかと思ったのである。
わたしは黒い大蛇がなぜ今に至るのかを知るために話をしようとした。
すると、黒い大蛇はわたしの気持ちを叩き潰すかのようにプレッシャーをかけてきた。


2012年8月9日木曜日

追憶 170

黒い大蛇は自らの存在を維持するために、わたしを犠牲にする必要があった。
破滅的な力に支配されてしまった存在は、破滅的な状況を次々に呼び寄せる。
彼らはそうしなければならないのだ。
わたしたち人間が命を維持するために呼吸をし、水を飲み、肉を食らうのと同じで、破滅的な存在はその命を維持するために破滅的な状況が必要なのである。
そのため、破滅的な存在は破滅的な状況を必要とし、それを導こうとする。
その様に破滅的な力に支配され、溺れてしまった存在を人は悪霊と呼び、忌み嫌う。
破滅的な状況を次々に呼び寄せるため、嫌われるのは仕方のないことだ。
それが普通である。
しかしながら、わたしはそれとは少し違う価値観を持っていた。
破滅的な力に支配されてしまった者をどうしても悪くは思えないのである。
どうにかして助けてやりたいと考えるのがわたしなのである。
それは、わたし自身がかつて破滅的な力に支配され、多くの人に迷惑をかけてしまったという経験を所有しているということがあるだろう。
彼らの気持ちが何となく分かるような気がするのである。

2012年8月8日水曜日

追憶 169

恐怖を前にして、今度はわたしが弱い者を守る立場である。
恐怖に打ち震える狐たちを守れるのは、わたししかいないのだろう。
それに、これはわたし自身を守る闘いでもある。
この黒い大蛇はわたしに「取り憑いている」からである。
黒い大蛇はわたしが気が付かぬ間にわたしの心の中に侵入し、居座っていたのだ。
黒い大蛇の目的はわたしの不幸である。
わたしを破滅的な状態に追い込むことによって、破滅的な心境を生み出させるのが狙いである。
もしかすると、わたしの命(魂)を狙っているということも有り得るだろう。
そうでなければ、ここまでの危機感や恐怖を感じることはないであろう。
本能が命を守ろうとしているように思えるのであった。

破滅的な存在がその「形」を維持するためには、破滅的な感情や状況が必要である。
破滅的な心を維持するために、破滅的な感情が必要であるのと同じことである。
破滅的な存在は破滅的な状況を欲しているのである。
それは、自らが存在するために必要なことであるからだ。

2012年8月7日火曜日

追憶 168

それは暗闇の中からそれはゆっくりと姿を現した。
艶めく鱗(うろこ)が暗闇の中に更に黒く不気味な光を放っていた。
黄色い目玉がギロリと動き、わたしを捕らえた時、全身が金縛りにでも合ったかのように身動きが取れなくなってしまった。
それは明らかに蛇の姿をしていた。
とは言え、頭だけでもわたしには抱え切れないほどに大きな蛇であった。
蛇に睨まれた蛙のように身動きが取れなくなったわたしに、黒い蛇はゆっくりと近付いてくるのであった。
プレッシャーと共に恐怖心が襲ってくる。
そう言えば昔、子どもの頃に父親とお化け屋敷に入ったことがあった。
あの頃、年長児だったわたしはお化け屋敷の暗さが怖くて、目を瞑(つぶ)り、必死に父親の腕にしがみ付いていた。
結局、わたしは怖くて一度も目を開けることができなかった。
父親の太い腕がとても心強かったことを今も覚えている。
あの時と同じような恐怖心が込み上げてくるが、あの頼もしい父親の腕はここにはない。
その代わりに、守るべき狐たちがここにはいた。

2012年8月6日月曜日

追憶 167

それは暗闇に身を潜ませ、その眼光を鋭く光らせていた。
とにかく嫌な感覚しかなかった。
胸に襲うプレッシャーはわたしに今すぐにそこから逃げ出すように訴え掛けている。
しかしながら、逃げ出したい気持ちはあるけれど、なぜかわたしはその黒いプレッシャーから目が離せずにいたのである。
恐怖も大き過ぎるとその感覚が麻痺して笑えてくる。
それは精神を守るための自衛的な働きであるだろう。
わたしが後に引くことができないのも、それと同じような状態だったからではないだろうか?
蛇に睨まれた蛙のようだ。
わたしは自らの非力さ、そして、意識的な世界の怖さを知ることになる。

2012年8月5日日曜日

追憶 166

目を凝らし暗闇の先を狙う。
鼓動が高まり、場を満たしているようである。
不気味な雰囲気に気分が悪くなる。
この先に何があるというのだろう?
恐怖心はわたしの好奇心を駆り立てた。
本能?はよせと言っている。
しかしながら、気持ちは暗闇の先に潜んでいる危険を求めているのであった。
この時のわたしには好奇心に勝るものはなかった。
恐怖に震える狐たちを背に、わたしは暗闇の先へと進んだ。
ある程度進んだところで、猛烈な異臭と吐き気に襲われた。
その腐敗臭にわたしは思わず足を止める。
生ものが腐ったものと、ドブの臭いが混ざり合ったような強烈な臭いである。
何があるのだろう?
わたしは臭いに耐えながら、暗闇の先を凝視した。
すると、暗闇の中に更に黒いものが存在していることを認識するのであった。

2012年8月4日土曜日

追憶 165

それは危機感や恐怖心に通じるところがある。
わたしはこの場から逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
しかしながら、ここから逃げてはいけないと食い止める気持ちもあった。
わたしは後者の気持ちを必死で掴むことに決めた。
それは、意識的なことに関しては逃げてはいけないと強く感じることがあったからである。
逃げ出したい気持ちと必死に闘いながら、暗闇の先に潜んでいるであろう恐怖の根源に対し、わたしはその意思を必死でぶつけるのであった。
その時、狐たちが暗闇の中にいるのが見えた。
わたしはそのことに安心感を得て、胸の緊張が少し解けた。
しかしながら、それもつかの間のことであり、すぐに緊張が蘇ってくるのであった。
それは、暗闇の中、狐たちが恐怖に駆られて明らかに怯えていたからである。
二匹は震える身体を寄せ合うようにして固まっていた。
普段、あれほど陽気な狐たちがこれほどまでに怯えているのはただ事ではないだろう。
この先に一体何があるというのだろう?
わたしは膨らむ不安と恐怖と必死で闘った。

2012年8月3日金曜日

追憶 164

わたしにとって必要だと思われるものに狐たちは反応しているように思えた。
必要な学びに反応したり、危険を知らせてくれているような気がしていた。
いつもではないが、書店に行けばわたしに必要であろう本を指して止まり、それを掴ませることもあった。
近くに霊がいれば反応し、その存在をわたしに知らせてくれることもあった。

そんな状態が続いていたある日、わたしはいつものように部屋で瞑想をしていた。
様々な思想が目の前を飛び交い、それが少しずつ穏やかになっていく。
いつもならばそのまま静寂の中へと導かれるように落ちていくのであるが、その日は様子が違っていた。
自らの思想の中に何かは分からないが、何とも言い表し様のない違和感があったのである。
それは、心の中に不安を投げ掛けてくるようであった。

2012年8月2日木曜日

追憶 163

こちらから何かができる訳ではないと思われる。
霊感と呼ばれる能力やそれが発揮される状態は、意識的な存在に主導権があるようである。
意識的な存在からのアプローチがあって初めて成り立つものではないだろうか?
お客さんがいなければ商売が成り立たないのと同じである。
購入者がいなければ売り込みも必要がないのである。
本当に霊感というものを所有し、その能力を扱える?人は、それが例えば漫画のように自在に操れるものではないということを知っているだろう。
それを自在に操ろうとしたのがお経や法具や十字架などの道具や方法であるだろう。
それらが意識的な存在に対して有効的に機能するかは疑問である・・・
わたしの場合は、霊感というものについては道具に頼るのはどこか違うような気がするので興味はないが、霊感を自在に操ろうという欲求を持つ者や、霊感に触れたことのない者は、やはりそのような方法に行き着くのであろう。

狐たちはわたしの気持ちや都合などお構いなしに、好きな時に好きなだけ現れた。
その度にわたしの両手は狐の形をしなければならなかった。
それは運転中であろうと、買い物中であろうと関係なかった。

2012年8月1日水曜日

追憶 162

それから、わたしと二匹の狐の奇妙な共同生活が始まったのである。
狐たちはいつも無邪気なものだった。
まるで友達のような感覚である。
かまって欲しいのか良くちょっかいをかけてきた。
「神様」のくせにこんなにも馴れ馴れしくて良いのだろうかと心配になることも頻繁にあった。
勝手なイメージである。

彼らが現れる時は、わたしの身体を使ってその存在をアピールするのが一般となっていた。
幼い頃は指で狐の形を作って遊んだものである。
日光にかざして映る影を楽しんでいた。
あれと同じように人差し指と小指を立て、親指と中指と薬指は前方に突き出すようにして結ぶ。
それを二匹がするものだから、第三者から見ればわたしは両手を狐の形にしている変態である。
狐たちはわたしの手を自在に操り、そこに表情を作った。
しかも、狐たちと接する中で理解したのだが、意識的な力は受動的である。
自分の要望が叶わないのがこの力の特徴であるような気がしてならない。
自分がしたいようにはできないのである。
見たいものを見れるという訳ではない。
やりたいことができる訳でもない。
すべては意識的な存在からのアプローチ次第なのであろう。

2012年7月31日火曜日

追憶 161

わたしの中には自然と感謝の気持ちが溢れていた。
それは喜びが感謝の気持ちを導いていたからであろう。
建設的な意識(思考、感情、存在)は建設的なものを導き出す。
生み出すと言っても良いだろう。
建設的な者に触れていることはとても心地がよかった。
できるなら、この感覚をずっと味わっておきたいと感じるのであった。

次に気が付いた時には、わたしはまぶたを開いていた。
少し夢心地である。
感覚的に「ふんわり」としている。
心地はいい。
その時、わたしは狐たちのことを思い出した。
視野を意識に切り替える(心で感じるようにする)と、肩に乗っている二匹を認識することができた。
わたしはなぜか少し安心した。
狐たちからはとても無邪気な印象を受ける。
二匹は嬉しそうにわたしの頬にその頬を擦り寄せてくる。
言うなれば、狐にサンドイッチされているようであった。
少し邪魔だとは感じたが、まあ何かに支障をきたすということもなかったし、何より嬉しかったので放っておいた。

2012年7月30日月曜日

追憶 160

わたしの返事に対して、狐はとても喜んでいるように見えた。
ぴょんぴょんと身軽に何度も繰り返し飛び跳ねる様は、ウサギが喜んで飛び跳ねている光景に重なるところがあった。
飛び跳ねていた狐たちは同時にわたしを目視し、一つ地面を蹴って高く舞った。
頭より少し上、見上げる高さまで舞い上がった狐たちは落下するようにわたしに向かってきた。
そして、わたしの肩に着地するようにしてそれぞれが乗っかったのである。
狐たちが肩に乗ると、えも言われぬ力が湧いてくるようであった。
例えるなら、長年会いたいと願っていた人に再会できた時のような喜びと興奮が胸に迫るのである。
わたしはそれをとても嬉しく思った。
心の底から力が湧いてくるのが分かる。
感動して涙が溢れてきそうになるのを理性が止めた。
建設的な状態の意識的な存在と繋がるというのが、こんなに素晴らしいものだということにわたしは初めて気が付いたのだった。

2012年7月29日日曜日

追憶 159

霊などの意識的な存在とコミュニケーションを取る時に必要なのが、この意思疎通である。
心や意識という媒体をどれだけ自在に扱うことができるのかによって、霊などの意識的な存在とのコミュニケーションの質が変わってくる。
心や意識を自在に扱うことができるほど、彼らとのやり取りはスムーズになり、その深みは増していくであろう。
わたしが狐の意思を認識することのできるレベルで受け取ることができているのも、毎日の瞑想や意識的な存在への興味が成せる産物なのではないだろうか?
それまでは、霊の意思を具体的になど認識することはできなかった。
以前のわたしならば、その意思を言葉にも似た形で受け取ることなどできなかったのである。
やはり、これは瞑想によって自らの心や意識に触れる時間が増えたために開かれた扉であり、引き出された力であるだろう。
わたしの当初の目的と今の状況は一致している。
わたしは意識的な力を強めたいと考えていたのである。
狐がわたしのところにいて、守護者として力を貸してくれるというのであれば、単純に考えて霊力?が増すのではないだろうか。
わたしは狐の申し出を快く引き受けた。

2012年7月28日土曜日

追憶 158

すると二匹の狐はいつの間にかにその姿を消していた。
わたしが呆気にとられていると、足首に何かの感触を得た。
目線を下ろすと二匹の狐がわたしの足首に絡み付くようにしていた。
わたしはそれを嬉しく思った。
その時、二匹は同時にわたしを見上げた。
そしてその場から消えたかと思うと、わたしの肩にそれぞれが乗っていたのである。
わたしは少し驚いたが、何とも言えない温かな気持ちに心が和むのであった。
感覚的には「ありがとう」と伝わってくるように思える。
わたしはその感覚に対して「気にすることはないよ」と答えた。
すると、右肩に乗っている狐が「これから一緒にいてもいい?」という意思を伝えてくるのが分かった。

これらの会話は感覚的なものである。
それは言葉でも声でもなく、意思というダイレクトな形で伝わってくる。
意思疎通というのが正しいのかもしれない。
仕事でもスポーツでも何かの作業をしている時、言葉を投げ掛けなくても相手の気持ちや欲しているものが何となく理解でき、それに従った行動を起こすことがある。
言葉以外のツールが伝達手段となるのである。

2012年7月27日金曜日

追憶 157

抱き締める力に比例するように、わたしの中には愛情が膨れ上がっていた。
わたしの気持ちが大きくなるほどに、狐の中の鼓動は大きくなるようであった。
そして、その鼓動が大きく広がり、この場を包み込んだ時、それは少しずつ小さくなり、狐の中に収まっていった。
鼓動が穏やかに収まった時、狐はゆっくりとその目を開いたのである。
目を開いた狐はとても穏やかであり、既に自らの状況を悟っているようであった。
その表情は凛と引き締まり、とても美しかった。
その時、もう一匹の狐がわたしの腕に擦り寄るように近付いてきた。
それに気が付いた腕の中の狐はわたしの腕を飛び出した。
それを追うようにしてもう一匹の狐も跳ねた。
わたしから少し離れた場所で二匹は久しぶりの再会を喜んでいるように身体を擦り合せていた。
二匹はとても幸せそうである。
わたしはその光景をとても嬉しく思い、時間の許す限りその光景を見つめているのであった。

2012年7月26日木曜日

追憶 156

重たい身体を何とか運び、わたしは倒れて動くことのない狐の元へと辿り着いた。
倒れている狐はぐったりとして動くことはなかった。
わたしはその場に膝(ひざ)を着き、倒れている狐を抱え上げた。
そして、そのまま抱き締めた。
その時、わたしは狐の中に何やら温かいものを感じた。
それは心臓が脈打ち、体内に血液を送り出すような感覚である。
命の鼓動とでもいうのだろうか?
狐の中に小さな力を感じる。
どのような表現が適切なのかは分からない。
それはまるで、何も無い大地に一つの芽が出たような感覚である。
わたしはそれをとても嬉しく感じ、心は躍動した。
いつの間にかに疲労感は消え去っていた。
わたしはそれに気分を良くし、狐を抱き締める力を一層強めるのであった。

2012年7月25日水曜日

追憶 155

わたしのゲップに合わせて、狐は大量の黒いものを吐き出した。
それがどのくらい続いたのかは分からなかったが、いつの間にかにゲップも吐き出す黒いものも止まっていた。
わたしは酷い疲労感に襲われていた。
膝(ひざ)をついた状態から動けなかった。
狐も地面に伏せるようにしてピクリとも動かなかった。
わたしはこのままで疲労の回復を待つことにした。
酷い疲労感のせいで、少しも動くことができなかったからである。
その時、元気な方の狐が跳ねた。
軽い身の熟(こな)しは美しい放物線を描いた。
その放物線は倒れている狐とわたしを結んだ。
そして狐はわたしの身体にその身を擦り寄せてきた。
不思議なことに、狐がその身を擦り寄せると少しではあるけれど疲労感が取れて楽になったような気がする。
狐は何度も放物線を描いてわたしと倒れ込む狐の間を往復した。
少しずつではあるものの、狐のおかげでわたしは疲労感から何とか脱することができた。
多少は動けるようになった身体を引き摺り、未だに倒れ込んで動くことのできない狐の元へと向かった。
わたしが移動する間も、狐はわたしと倒れ込む狐の間を何度も往復しながら励ましてくれていた。

2012年7月24日火曜日

追憶 154

叫び声が遠くに聞こえる。
それは、眠りに落ちる寸前の周りの音のように、ぼんやりとわたしを包んでいるのであった。
わたしの肉体が叫ぶのと同じように、威嚇を続けていた狐も苦しみ、叫び始めた。
もう一方の狐はそれでも身体を優しく擦り寄せている。
すると、苦しみ叫ぶ狐の動きが止まった。
俯(うつむ)き加減でピクリともしない。
わたしの肉体も叫ぶことをやめている。
その時、胸の奥に強烈な吐き気を感じた。
それは、乗り物酔いを更に酷くしたような感覚である。
そしてその感覚は胸から徐々に上がってきているように思えた。
嘔吐しそうな感覚に襲われた時、わたしは大きなゲップをしていることに気が付いた。
それと同時に狐が黒くドブドブした何か禍々しいものをその口から吐き出した。
それは生のレバーを黒くしたようなもので、感覚としてはとても気持ちが悪かった。
それを見た瞬間にまた吐き気を感じ、わたしはゲップを繰り返すのであった。

2012年7月23日月曜日

追憶 153

わたしは狐に対してでき得る限りの同情をした。
しかしながら、それは人為的な行為ではなかった。
ごく自然に溢れる感情である。
それは「愛」であるだろう。
どうにか狐の力になってやりたいと思ったが、未熟なわたしには何をどうしてやればいいのか分からなかった。
今のわたしにできることは狐の苦しみに同情し、見守ることだけであった。
狐の抱える苦しみをでき得る限り自分の中で想像することくらいであった。
後は威嚇を続ける狐をなだめるようにしている狐を信じることだけである。
わたしが狐の苦しみを同情した時、わたしは遠くに自らの肉体が叫び声を上げていることに気が付いた。
それはわたしの意思ではなかった。
意思に反して勝手に肉体は叫んでいるのであった。
わたしは黒い犬のことを思い出していた。
わたしの心の中にいた黒い犬の時と同じように、肉体は勝手に叫んでいたのである。
これは狐の苦しみを肉体が表現したものに違いないと思うのであった。

2012年7月22日日曜日

追憶 152

わたしたち人間も、いつかはその命や肉体を手放さなければならない時がやってくる。
所謂、死ぬということである。
命ある者は必ず死を迎える。
人は死ぬと肉体からその心(意識、魂、感情、意思)だけが取り出され、残される。
心・・・それが人の本質である。
霊というものが人の本当の姿なのである。
もしも、人の本質が心になければ、この世界に苦しみは存在しないだろう。
心が存在しなければ、苦しみを感じるという感覚さえも存在しないのである。
もちろん、喜びを感じる感覚も。
世界というものは意識(心)によって築かれているのである。
そこに存在する意識の性質によって、その場所がどのような場所になるのかが決まってしまうであろう。
その意識がどのような性質を持つのかは、そこに存在する命が決めることである。
それも、自然に対して大きな影響力を持っている人間が決めることなのである。
人間が何かを苦しめたり、自分自身で苦しんだりすると、その場所には多くの苦しみが生み出され、蓄積してしまうのである。
それによって傷付き苦しんでいたのが狐であったという訳である。

2012年7月21日土曜日

追憶 151

破滅的な感情に支配されたら苦しい。
怒りや悲しみの感情に縛られると、誰もがその状態を苦しみとして認識してしまうだろう。
それは人間だけに限ったことではなかった。
霊や神と呼ばれる意識的な存在であっても例外ではないのである。
感情という意識が作用するのが意識に対してであるため、心という意識を持つ人間、意識自体として存在している霊や神と呼ばれる意識的な存在たちに与える影響はとても大きいのである。
人も霊も神と呼ばれる存在も、触れる意識の状態によって左右されるのである。
狐が影響を受けたのは、自然や命の中に生み出された苦しみの感情であった。
それは破滅的な感情であり、重たく、苦しい。
破滅的な感情の前に、人がひとたまりもないように、それが霊であっても神と呼ばれる存在であっても同じなのである。
意識的な存在とわたしたち人間を別物とする価値観というものがある。
多くの人がそうではないだろうか?
普段、意識的な存在を見ることも触れることもできない人が多いためにそう考えるのは自然なことであろう。
しかしながら、彼らは肉体(形)を持たないわたしたちなのである。

2012年7月20日金曜日

追憶 150

わたしはその感覚に驚いた。
正に吐きそうなくらい気持ち悪いのである。
それが身体的な原因によって引き起こされる現象であるのならば、その理由に対する検討がつかなかった。
急に吐きそうになるほど気分を害することなど、生まれて此の方経験したことがないのである。
これはきっと意識的な原因によって引き起こされる現象であると言えるだろう。
わたしに威嚇を続ける狐が原因であるような気がするのである。
確証がある訳でもないのだが、そうに違いないとわたしの第六感が叫んでいるのである。
きっと、この感覚は正しいであろう。

破滅的な感情は重たい。
気持ちが沈むという感覚は分かるであろうか?
不満や不安、そして心配・・・
それらの苦しみは破滅的な感情である。
それは黒くドブドブしていて重たいものであり、それが集中すると吐き気を伴った苦しみへと変化していくのである。

2012年7月19日木曜日

追憶 149

わたしが決意を新たにした時、初めにわたしのところに来た狐がどこからともなく現れた。
どこからともなく現れた狐はわたしを確認し、それから威嚇を続ける狐の元に向かった。
威嚇を続ける狐の方は、もう一方の狐に対して何の反応もしなかった。
威嚇の手を緩めようとはしないのである。
それほど緊張していたのだろう。
威嚇を続ける狐に構わず、狐はその身体と大きな尻尾を威嚇を続ける狐の身体に絡ませた。
犬がじゃれ合うように身体を擦り付けるのであった。
しばらくそれを続けていると、威嚇をしていた狐の緊張が少しばかり緩んできたように思えた。
この狐は、威嚇を続ける狐のことを大切に思っているようである。
二匹は仲間なのであろう。
その時、わたしは気持ち悪さが胸に込み上げてくるのを感じていた。
それは車酔いをした時のような吐き気であった。

2012年7月18日水曜日

追憶 148

わたしはこの狐がどこから来たのかは知らない。
もしかすると、わたしには直接的な関わりは無いかもしれない。
しかしながら、狐がわたしの目の前で苦しんでいるのは、わたしにも何らかの責任があるからであろう。
それがどのような問題であったにしても、自らの目の前に存在しているのならば、その時点において無関係だとは言えないのである。
わたしはでき得る限りの愛情を以って狐に向き合った。
狐はといえば、わたしの気持ちなどお構いなしに威嚇を続けている。
どうにかしてこの怒りを抑えなければならないと思ったが、わたしに思い浮かぶアイデアは謝罪することだけだった。
でき得る限りの愛情を込めた謝罪の気持ちを狐に向けて伝えた。
人間は愚かだけれど、これから少しずつでも変わっていくことを約束した。
個人的なところからのスタートだけれど、自然やそこに存在している命や意識の苦しみを理解し、それをできる限り多くの人の心に広げていこうと思った。

2012年7月17日火曜日

追憶 147

しかしながら、そのことを理解する機会がわたしたち人間には乏しい。
これは残念なことである。
環境の変化によって自分たちが苦しんで初めて、ようやくそのことを理解するのである。
実際の歴史を振り返ってみても、環境汚染によって様々な弊害(病気や経済的な損失)が生まれ、その問題が実感として(もしくは社会的に)明らかになるまで、人間は何の手も打たなかったのである。
人間は愚かな生き物だ。
問題が明らかになって自分たちが苦しみを味わうことがなければ、それに気が付かない、そして何の手も打てないということもあるだろう。
実際、わたしも赤潮によって家業の養殖の真鯛が何万匹(2004年、愛媛県では20万匹以上)もへい死することがなければ、わたしもそれに気が付くことはなかったであろう。
今回、わたしは幸いなことに自然?が抱える苦しみを直接的に理解する機会を得た。
これをわたしはチャンスだと思ったのである。
今まで自然が抱える苦しみに気が付けなくて申し訳のない気持ちと、自分に対するふがいない気持ちがわたしの中には充満していた。

2012年7月16日月曜日

追憶 146

牙を剥き出しにして怒りを露(あらわ)にする狐に対して、わたしはどのように接すれば良いのか分からなかった。
わたしはその場から一歩も動くことができずに、ただ固まっていたのである。
狐は恐怖と怒りに震えているのだろう。
狐に刺さっていた黒いものが人間が生み出してしまった苦しみであるのならば、狐がわたしに対して怒りを剥き出しにすることにも納得することができる。
わたしは人間が生み出してしまったであろう苦しみが、狐の小さな身体を突き刺し、苦しめてしまっていたことに反省した。

わたしたち人間は、知らず知らずの内に自然に対して苦しみを生み出してしまっているのである。
北灘湾(地元の海)にゴミが漂い、生物の種類が明らかに少なくなってしまったのも、人間が自分たちがより豊かに生きるために目指した環境作りの産物であるだろう。
自分たちは良いことをしていると思っているだろうが、それは人間目線での話であって、自然の中に生きる生命にすると、とても迷惑な話なのである。

2012年7月15日日曜日

追憶 145

心を蝕む破滅的な力に対抗するのは簡単なことではなかった。
わたしを支えていたのは、苦しんでいる狐を助けたいという気持ちだけであった。
今のわたしには意識的な力に対して何のテクニックも無い。
ただ、気持ちだけでこの状況に挑んでいるのである。
それは無謀なことかもしれないが、既にこの状況にいるのだから、持っているものだけでやるしかないのである。
狐を助けたいという一心で、わたしは黒いものを掴んでいた。
最初から最後まで気持ちの勝負だった。
苦しみに対してわたしの気持ちがそれを凌駕(りょうが)したのであろうか?狐に突き刺さっていた黒いものを何とか引き抜くことに成功したのである。
黒いものを投げ捨て、荒い呼吸を整えるように努めた。
身体が重たいのはどうしようもなかった。
黒いものから解放された狐は素早くわたしの元を離れ、少し離れたところでわたしを威嚇(いかく)した。

2012年7月14日土曜日

追憶 144

一般的に人が霊的な事象に対して嫌悪感を持つことは理解できる。
それは、そこに恐怖を感じるということもあるだろうが、その本質には恐怖の先にある精神的なダメージによる危機感というものが存在しているように思えた。
それは動物的な本能であるだろう。
肉体的な危機感と同じように、精神的な危機感を無意識の内に本能が知らせているのである。
霊に対峙するというのは、危機感や己の命と向き合うということでもあるのである。
そのため、普通の感覚ならばそれに嫌悪感を抱き、拒絶の心が生まれるものなのである。
誰でも命に関わる危機感には面したくないであろう。
精神的なダメージは人の命を脅かしてしまう。
心(精神)というものは人の本質であるということができるであろう。
心が傷付き、疲れ果ててしまえば、どのような人も命を継続させることが難しくなってしまう。
憂鬱(ゆううつ)や自殺というものも、心に何らかのダメージがなければ有り得ない状況であるだろう。
狐に突き刺さる黒いものから伝わる苦しみは、わたしの心を蝕み、直接的にダメージを与える。
心が沈む感覚の先にわたしは無気力さを感じ、自虐や自殺という選択肢が脳裏を過(よぎ)るのを見ているのであった。

2012年7月13日金曜日

追憶 143

意識的なものを動かすにはとにかく意識の力が必要になってくる。
それは今までにあまり扱ってこなかった分野の力である。
今までは意識的な分野よりも物質的な分野に重きを置いて生きてきた。
脳であったり筋力であったり、それが自然なことであると思っていたし、当たり前のことであった。
そういう方法や世界しか知らなかったということもあるだろう。
そのため、意識的なものを動かすのには多くの労力を注ぎ込む必要があったのだ。
黒いものを掴む腕から気怠さと吐き気が同時に襲ってくる。
それに加えて、怒りや悲しみといった感情が頭を無理矢理にこじ開けるようにして侵入してくる。
気が狂いそうになる。
破滅的な意識に触れるということは、精神に直接的なダメージを得るリスクを負うということである。

2012年7月12日木曜日

追憶 142

わたしたちはどこかでそのことを忘れてしまっているのかもしれない。
自分たち人間の利便性と発展を中心とした文明作りというものに重きを置き過ぎているような気がしてならないのだ。
狐に突き刺さる黒いものは、わたしたち人間が自分勝手に自然を破壊し、命を奪ってきたために生み出された苦しみなのかもしれない。
自然的(適切)に処理されなかった苦しみが行き場を失いさ迷っているようにも思える。
それが正しい解釈なのかは分からないが、そういう解釈をした途端に狐に突き刺さる黒いものが少しずつではあるものの動き始めたことに気が付いた。
もしかしたら、この解釈には一理あるのかもしれない。

黒いものを引き抜くのには多くの力が必要であった。
力といっても腕力ではない。
それは精神力というものであろうか?
とにかく精神が、心が疲れるのであった。

2012年7月11日水曜日

追憶 141

わたしにはこの狐が自然の代弁者であるような気がしてならなかった。
自然が訴えることのできない苦しみを見せてくれているのではないだろうか?
わたしたち人間はいつの間にかに大切なことを忘れてしまっているのかもしれない。
わたしたちの豊かな生活は、自然やそこに生きる命の犠牲の上にこそ成り立っているというのに、わたしたちはそれを知っているのだろうか?
そのことに関心を持ったことがあっただろうか?
思いやり、感謝し、労ったことがあっただろうか?
生きていくためには生活圏を広げなければならないし、命を奪わなければならない。
生きていくということは、侵略するということだろう。
生きていくということは、本来「汚い真剣勝負」なのである。
汚い騙し合いではあるが、お互いが命をかけた真剣勝負であり、快楽のために命を奪うなどということはない。
命は命を繋ぐために存在しているのである。

2012年7月10日火曜日

追憶 140

まるで、自己犠牲によって災いから自分以外の存在を守っているようであった。
破滅的な感情は必ず何らかの問題を引き起こす。
怒りや悲しみという破滅的な感情には、状況に対する豊かさを破滅させてしまう力がある。
自然環境を破壊した人間はその罪を環境の変化の中に見て、その罰を食物連鎖の中に知ることになる。
それだけで終われば良いが、目には見えない力を蔑(ないがし)ろにしてしまうと大変なことになってしまう。
目には映らないものを信じることができない人は多い。
人の心でさえ気にかけていない人間が多過ぎる。
人の心や、目には見えない意識の力を信じていないのである。
そのため、人を傷付けても裏切っても平気であるという人物は多いのである。
命を屁とも思わない人物も多く存在している。
無意味に虫を殺し、快楽のために動物をいじめ、命を奪う。
昔は、人の心の中にも自然や命や神という存在に対する畏怖の思いが存在していた。
しかしながら、世界が資本主義に走り出すと、多くの人間は大切であるその気持ちや文化を忘れてしまった。

2012年7月9日月曜日

追憶 139

おそらく、この狐は自然界に生きる神で間違いないであろう。
狐が苦しんでいるのは、自然が破壊されたからであろうか?
多くの命が無闇矢鱈に奪われているからだろうか?
きっと、人間が行う開発によって自然の景色は壊され、そこに生きる命は苦しみを得ることとなったであろう。
それが黒い刃物となって狐を襲っているように見えた。
それに加え、人間が生み出す破滅的な感情というものも強く感じることができた。
狐にとっては、自然とその中に生きる命は大切だが、そこに生きる人間というものもまた大切なのだろう。
自分たちの生活をより快適にするために自然を破壊する人間。
そのように強欲な存在であったとしても、神からすれば同じく愛すべき命に変わりはないのであろう。
黒い刃物に触れていると、これが狐に刺さったというよりは、狐が自らそれに刺さったという方が正しいのではないかと思うようになっていた。
それは、苦しみの中にある狐の心があまりにも愛情で満ちていたからである。

2012年7月8日日曜日

追憶 138

それは人間が生きる中で生み出す争いの感情や感傷、自然が破壊されることで生み出される命の悲鳴や怒りなどであった。
この狐は、世界に存在している苦しみをその小さな体で受け止めていたのである。
それは、この狐の立場というものが大いに関係しているのであろう。

狐の体に刺さる黒いものを抜こうとするがそれはとても頑丈で簡単には動く気配がなかった。
わたしは狐の様子を見ながら何度もそれを抜こうと試みた。
その中で、狐のことが何となくではあるものの、心の中に伝わってくるような気がした。
その感覚が正しければ、この狐は自然の中に存在する神である。
山や川、野原や田畑などの守護者・・・
そこ(自然)に宿る命と言った方が良いのであろうか?
狐からは野山を駈ける風を感じることができた。
木の葉を揺らし、地面に優しい木漏れ日を演出するような、とても穏やかで心地の好い感覚を得ることができる。
自然の力強さ、寛大さが心を通り過ぎていった。

2012年7月7日土曜日

追憶 137

実際、多くの人が思いの力によって苦しみを受けている。
ほとんどの苦しみが思いによるものであると言っても過言ではないであろう。
思いが存在しなければ苦しみを生み出すことも、それを受け取ることもないのである。
そして、苦しみを抱えているすべての霊は、破滅的な思いの力によって傷付いていた。
その心に何らかの破滅的な感情を抱えているために苦しんでいるのである。
この狐に突き刺さる黒いものは外部からの刺激であるだろうが、それを受け取っている以上、抱えているということになるのである。
わたしは黒いものに触れる中で、それが所有する思いを感じることができたが、それは人が生み出した怒りや悲しみや苦しみ。
それに、自然の中の命が生み出した怒りや悲しみや苦しみであることを感覚的に認識することになる。
この狐は多くの人や命が生み出す破滅的な感情を抱えていたのである。

2012年7月6日金曜日

追憶 136

倒れている狐に近付くと、何やら黒く鋭く尖ったものがその胴体部に突き刺さっているのが確認できる。
それに射抜かれているがために弱っているのであろう。
わたしが今ここにいるのは、狐の胴体に突き刺さるものを取り除き、助けるためであるに違いない。
論理的にはそうであるだろうが、わたしはそのようなことも考えぬままにその黒い物体を掴んでいた。
それを掴んだ途端に全身に悪寒が走ったのを覚えている。
指先から頭の天辺に抜けるのは怒りや悲しみなどが入り交じったような感情であった。
それをうまく表現することは難しいが、その感情は凶器となり狐を襲っているようである。

意識的な世界では、感情などの思いは相当な力を持つ。
物質的な世界では形を持たない思いであっても、こっちの世界では立派な形を持っているのである。
思いの力を侮ることはできない。

2012年7月5日木曜日

追憶 135

暗闇に目を凝らすと見えてくるものがあった。
それは小さく黒い固まりであるように思える。
何かは分からないが、何か小さなものが暗闇の中にうずくまっているのだ。
わたしは足元を探るように小さな何かに恐る恐る近付いた。
すると、何やら小さなうめき声のようなものが聞こえてくるのに気が付いた。
それは犬が苦しい時に上げるクークーというような甲高い悲鳴であった。
その声を聞いた時に、わたしはそれを動物ではないかと考えた。
怪我でもしているのであろうか?
何らかの理由で動けないのは確かであろう。
わたしは用心しながら少しずつではあるものの、それに確実に近付いていった。
すると、そこには一匹の狐が倒れていた。
横倒しになっている狐は息が荒く、弱り果てていてとても苦しそうであった。
虫の息とはこのことであろう。


2012年7月4日水曜日

追憶 134

意識を合わせ直すと、見えてくる景色がいくらか違ってくる。
ハクの仕草の中にも今までとは違う意思が読み取れるようになった。
自らの「深さ」や思いの強さ、認識の角度によって見えてくるものは変わってくるものだと思った。
人生と同じである。
ハクの意思の中には無邪気さとは違う感情が確かに存在していた。
それは悲しみや焦りといった感情であった。
わたしはその感情にそっと意識を合わせてみた。
すると、違う場所に意識が向かう。
それは黒い場所であった。
何もないただの暗闇の空間。
そこには微かに苦しみの感情が漂っている。
ハクはわたしに何を見せようとしているのであろう?
この空間にはきっと何かが存在しているはずである。
わたしには認識することのできないなないかが。

2012年7月3日火曜日

追憶 133

わたしはある違和感を感じていた。
それは、このハクという狐がわたしに甘えていることに対してであった。
ハクはわたしに甘えているのであろうか?
甘えているように見えているだけであって、甘えているとは限らないのではないかという疑問が浮かんだのである。
わたしはハクの意思を正確に読み取れているだろうか?
意識的な存在からの言葉というものは音ではない。
それはまるでテレパシーのように直接的に意識に伝わってくる意識の会話である。
心の声を相手とやり取りするような不思議な感覚であった。
そのため、聴覚を頼りに今までを生きて来たわたしにとっては、意識的な存在との意識的な会話というものに不慣れであった。
わたしが聞いた「ハク」という名も、正解かどうかは正直なところ分からない。
わたしは今一度ハクに意識を合わせ、その意思をできる限り正確に読み取るように努めた。

2012年7月2日月曜日

追憶 132

ハクという狐は人懐っこかった。
人慣れしているというのだろうか?
狐にも野良や「飼い」というものがあるのだろうか?
わたしに興味を抱き、体を擦り寄せてくる様子を見ていると、とても野良だとは思えない。
このハクという狐は一体何がしたいのであろうか?
意識的な存在が何の目的も持たずに現れるはずがない。
わたしは今までの経験からそのように推測していた。
意識的な存在が現れた時、そこには必ず何らかの必要性が伴っていたからである。
それは大抵が何らかの問題を抱えていた。
このハクという狐は、路上の猫のようにただわたしに甘えているのではない。
そこには何らかの意図が存在しているはずなのである。
わたしは何かを疑っている訳ではない。
そこに存在しているであろう真意を知りたいだけなのだ。
回りくどい言い方、伝わらない意思は必要ない。
ただ求めているもの、伝えたいことを真っ直ぐにぶつけて欲しいだけなのである。

2012年7月1日日曜日

追憶 131

わたしの意識の先端はやがて一匹の獣を捕らえることになる。
それは白い毛並みが美しい狐(に見える獣)であった。
狐といっても自然界に存在している狐とは少し形が違っている。
狐は狐であるだろうが、自然界で生きるに相応しい姿はしていない。
何と言うか、アニメーションのようにのっぺりとした印象で現実味はあまり無いと言っても良いだろう。
神社に鎮座する稲荷像を思い浮かべることができる。
まるでアニメーションの世界の中から飛び出して来たかのように見える狐は、自らを「ハク」と名乗った。

2012年6月30日土曜日

追憶 130

ワクワクする気持ちを抑えつつ意識を高めていると、目の前を何かが素早く飛び跳ねるような感覚を覚える。
わたしの気持ちが更に高揚したのは言うまでもない。
今までに出会った霊というのは、皆それぞれに破滅的なプレッシャーを抱えていた。
それは、怒り、悲しみ、孤独、痛み、絶望・・・
様々な破滅的な感情が壁となって迫ってくるのである。
その度にわたしは身構える必要があった。
身構えることが無ければ対抗することができなかったからである。
破滅的な感情(霊)に向き合うのは命懸けなのであろう。
しかしながら、今回は何のプレッシャーも感じることはなかった。
童心に返り、宝物を探しているような気分である。
この状況がわたしにとってはとても素敵なものとして感じられていた。
しかしながら、この素敵な時間がいつまでも続くことはなく、すぐに崩壊してしまうことになる。

2012年6月29日金曜日

追憶 129

ある日、いつもと同じように瞑想に耽(ふけ)っていると、突然に心が高揚するような不思議な感覚を覚えた。
それはどちらかと言えば嬉しい感覚だったので、わたしはそれを放っておくことにした。
嬉しさを例えるなら、心に羽が生えたように軽く、フワフワしているようである。
何故だかは分からないが、この状態がとても楽しかった。
きっとわたしは一人で瞑想しながらニヤニヤしていたに違いない。
楽しい気持ちが大きくなり、次第にそれを無視することができなくなると、わたしはその感覚に向けて意識を合わせてみることにした。
心の中に広がる楽しい気持ちを追って進むと、一瞬だけではあるけれど薄暗い空間の先に何か動物のような姿が見えた気がした。
四つ足で尻尾があったから何かの動物で間違いないだろう。
わたしはその姿を明確にするために、集中を高めることにした。

2012年6月28日木曜日

追憶 128

黒い犬がいなくなってというもの、わたしの心はとても軽くなったように思えた。
意識的な感覚は以前にも増して優れてきたような、そんな感覚があった。
それは黒い犬と共に消え去った幼心の存在が大きいのかもしれない。
自らの心の傷を治癒させることはとても重要であることを理解した。

相変わらず、わたしは自らの「深み」と意識的な感覚と意識的な存在(霊)を求めて自らの内に向かっていた。
眠りに就く時には必ず「金縛りになりますように!」という願い事が日課になっていた。
わたしの願いが通じたのか、それから金縛りに会うことが増えた。
わたしはそのことが嬉しかった。
今までには触れることができなかった意識的な世界と、使うことができていなかった意識的な感覚が開けていくようで、そこに喜びを感じずにはいられなかったのである。
わたしはワクワクしていた。
そのワクワクがわたしに素敵な出会いをもたらすことになるとは、この時のわたしには想像もできないことだった。

2012年6月27日水曜日

追憶 127

しかしながら、勇気を出して向き合って乗り越えた過去は、必ず豊かさとなってくれるのである。
人は無意識に苦しみを自らの記憶の中から排除する。
事実を湾曲させたり、忘れたふりをしようとする。
どのような人物にも後悔を伴う過去の傷というものが心には存在しているだろう。
事実を湾曲し、忘れてしまうことも良いとは思う。
しかしながら、傷口は気付かぬ内に化膿し、やがてその痛みを隠し切れなくなる。
その時に、処置が遅いと取り返しのつかないことも有り得るのである。
どのような過去を所有していようとも、それと向き合うことはとても大切なことなのである。

黒い犬がどのような道を辿ったかは分からない。
しかしながら、あれ以来一度も会ってはいない。
「無事」でいてくれたら良いのだけれど。

2012年6月26日火曜日

追憶 126

誰もが後悔を持っている。
誰にも取り戻したい過去はあるだろう。
心に刻まれた傷は未だに生々しくその傷口を血で滲ませているかもしれない。
わたしたちは自らの過去と向き合うことによってのみ、その傷を塞ぐことができるのである。
傷を塞ぐことができても、そこに傷跡は残ってしまうかもしれない。
しかしながら、過去と向き合い、それを乗り越えた者にはその傷跡は勲章に成り得るだろう。
わたしたちが人生を豊かな場所にするためには、どのような過去とも向き合うことを恐れず、それを乗り越えなければならないのである。
心が満たされることが人生の豊かさに繋がる。
心が満たされていることが幸福や豊かさの条件なのである。
どのような方法であっても、心の傷を乗り越えることができれば、人は人生に幸福や豊かさを得ることができるのである。
わたしの場合は、自らの心の中に存在していた黒い犬と幼心と直接的に向き合い、その苦しみの内容を理解することであった。
人によって過去に負った心の傷を癒す方法は違ってくるだろう。

2012年6月25日月曜日

追憶 125

朦朧(もうろう)とする意識の中で、わたしは謝罪を繰り返していたように記憶している。
黒い犬と幼い自分に対してのものであると推測するが、図らずも傷付けてしまったことに対する謝罪であるだろう。
とにかくわたしは「ごめんなさい」と何度も何度も繰り返していた。
謝罪する中で、黒い犬の感情が徐々にではあるがその苦しみを手放していく様子が見て取れた。
わたしが自らの満たされていない心の部分を実感することで、そこには自然と謝罪が生まれていた。
それは、自らの心を満たすことが人生における自分自身の責任であるということを伝えているのではないだろうか?
幼い頃の心の傷と今になっても向き合わなければならないのは、人生においてそれを無視するということができない証である。
わたしたちは、過去の苦しみから生まれた心の傷を無視することはできない。
それを無視し続け、忘れた振りをするということはできるだろう。
しかしながら、一度できてしまった心の傷は放置しているだけでは治ることはない。
過去に戻ることはできないが、自らの心の中に出向き、そこに存在している傷と向き合うことがなければ、それが癒えることはないのである。
今回のことでそれが強く印象として残った。

2012年6月24日日曜日

追憶 124

いつの間にかに、わたしは「こっち」に戻っていた。
そこにはいつもの部屋の様子が映っていたが、空気がとても清々しく、何かが微妙に違っていた。
その何かが何なのかを明確に説明することはできない。
長年の悩みが解消された?生まれ変わった?なんだかそのように感じるのである。
どこが?と聞かれると答えられないのだが、世界が違うように感じられるのである。
それはきっと、心が違うのであろう。
心が変わったのである。
心が変わったから、世界が変わったのであろう。

黒い犬は去った。
彼がどこへ行ったのかは分からない。
しかしながら、彼がどこか遠くへ旅立ったことは確かである。
失って初めて、今まで感じていた感覚が存在していないことに気が付いた。
黒い犬が存在していた意識的な部分の欠落が、わたしに新たな感覚を伝えているのである。

2012年6月23日土曜日

追憶 123

次の日に心へ向かった時には、やはり身体は倒れて叫び声を上げた。
しかし、その中で昨日とは違う出来事があった。
それは黒い視界に黒い犬が浮き出て来たということだった。
しかしながら、そこにいる黒い犬はいつもとは明らかに様子が違っていた。
もう、わたしのことを威嚇(いかく)してはいないのである。
その表情はとても柔らかく、安心に満ちて落ち着いているのであった。
わたしは意表を突かれてしまった。
黒い犬の柔らかな表情に触れると、わたしの力みが解けていくのを感じた。
黒い犬がわたしを威嚇をし、わたしに敵意を向けていた時には意識的にはもちろん、無意識的にも緊張し力んでいたということに気が付いた。
それもあって、わたしは激しい疲労を感じていたのだろう。

わたしは穏やかさに包まれる世界を見た。
黒い犬がいる世界は相変わらず暗い場所ではあったが、そこには見えない希望の光が十分に存在していたように思えた。
暗いけれど、とても明るいのである。
わたしはこの状況を心から喜んだ。
それはこれがわたしの望む状況だったからである。

2012年6月22日金曜日

追憶 122

この時、わたしの身体は彼らの感情を表現し、同時にその苦しみを発散しているのだろうと感じていた。
推測に過ぎないので何とも言えないが、感覚的にきっとそうに違いなかった。
気が付いた時には、既に意識的な世界から抜け出していた。
敷き布団がわたしの顔半分を覆っている。
片方の目が捉えた景色は、いつもと同じ部屋の風景だった。
相変わらずの重たい身体を引き摺るようにして、何とか体勢を起こした。
疲労が心と身体を支配していた。
きっと、わたしの記憶にないところでは大いに叫んでいたのだろう。
体感よりも長い時間叫んでいたに違いない。
今回は黒い犬に会うことはできなかったが、わたしはどことなく問題の核心へと近付いているような感触を得ていた。
それはわたしに喜びをもたらし、更なる意欲を掻き立てるものでもあった。

「明日また、心へ向かおう」

わたしは密かにそう決意するのであった。

2012年6月21日木曜日

追憶 121


自らと向き合っていると、様々なことが浮かんでは消える。
ベッドに倒れ込む身体を感じながら、わたしは自らの愚行の原因と向き合っていたのだろう。

口がこれでもかという程大きく開かれる。
意識的にそうしている訳ではない。
わたしの意思に反して、身体が勝手に動くのである。
しかしながら、わたしはそれを容認している。
今となっては、意思に反するどのような身体の動きも決して拒絶しようなどとは考えない。
わたしはただ「流れ」に任すだけである。
感覚的な部分は残されている。
口があまりにも大きく開くものだから、あごが外れるのではないかと心配する程だった。
わたしは低い声を発して叫んでいた。
それは悲痛な叫びに聞こえた。
黒い犬とわたしの幼心が発する悲しみの叫びである。

2012年6月20日水曜日

追憶 120

幼いわたしが荒れていたのも、わたしの心の中を寂しさという「点」が悲しみという「面」となって支配していたからである。
幼いわたしにはその支配から逃れる程の力はなかった。
まるで人格が入れ替わるように、秘めた感情が何らかの形で爆発するのであった。
わたしの場合は人に迷惑をかける様々な愚行として爆発したようだ。
深く考えもしていない軽率な行動を起こす人を見ていると、自分自身がそうであったように、心が何らかの破滅的な感情によって支配されているのだろうと推測することができる。
誰も好きで荒れている訳ではない。
荒れているのには、現状の本人では解決することができていない問題や、現状ではどうすることもできない理由を抱えているという訳があるのである。
できることなら、誰にも迷惑を掛けたくない。
誰も傷付けたくない。
誰も悲しませたくない。
もちろん、自分自身が悲しみたくない、傷付きたくない・・・
当然、このような気持ちも抱えているのである。

2012年6月19日火曜日

追憶 119

身体が動き始めたのは、それからしばらく経ってからのことである。
小さくも異質な意思が、わたしの心の中にとても小さな「点」を打つ。
それは気が付かない程の小さな「点」ではあったが、やがて全体を覆い尽くすような「面」になる。
そうやって心は支配されていく。
どのような支配も、初めは小さなことからである。
支配されたしまった心は、その状態から簡単に抜け出すことはできない。
自分自身でその状態が異常であると認識していたとしても、その強固な「面」からは抜け出せない。
支配は人の自律を殺す。

幼いわたしは、愛情によって満たされない心の中に生み出される悲しみの感情による支配を受けていた。
それは小さな「点」から始まったものかもしれないが、気付かぬ内に「面」となっていた。
悲しみはわたしの心を支配し、そこに存在している黒い犬をも支配した。
悲しみという破滅的な感情に支配されてしまった心は制御を失う。
破滅的な心は荒れるのである。

2012年6月18日月曜日

追憶 118

次の日も、わたしは自らの意識の世界へと向かった。
部屋をできるだけ暗く、できるだけ静かで落ち着けるような環境になるように整える。
呼吸を徐々に深くして整え、精神を沈めて心に至(いた)る。
目紛るしく飛び交う思考や記憶を潜り抜けると、いつの間にかにそれはそれは静かな場所に出る。
そこにはとても大切なものがたくさん存在している。
今のわたしにとっては黒い犬と幼心であった。
気が付くと自分の身体がベッドに横になっていた。
横たわる身体を感覚によって感じ取ることができた。
この時、自分の意思では瞼を開けることはできなかった。
無理矢理に開けようとしてみたが無理であった。
この場において自我は価値を持たないのであろう。
肉体の感覚は働いてはいるものの、それを制御することはできなかった。
わたしは抵抗すること無くその流れの中に身を任せる。
抵抗しても意味が無いのは前回の体験で十分に理解していた。
わたしは身体が次の動きを始めるのをただじっと待っていた。

2012年6月17日日曜日

追憶 117

気が付くと、眠りから覚めた時のような気怠さと思考が滲(にじ)むのを感じていた。
わたしはとても疲れていた。
重たい身体がわたしに黒い犬のことを思い出させる。
ベッドのすぐ脇にあるカーテンを勢い良く開け放つと、磨りガラス越しに眩い白い光が眼球を直撃した。
わたしはそれに驚いて顔を背けたが、カーテンはそのままにしていた。
それは頭を目覚めさせたかったからである。
瞼(まぶた)に映る白を見ていると、次第に思考が整ってくるのが分かった。
思考が少しだけでも整うと、そっと瞼を開いてわたしは外界に触れるのであった。
天井を見上げて一つ息を吐き、わたしは再び瞼を閉じた。
黒のスクリーンには先程の黒い犬との攻防?が再び映し出されていた。
黒い犬の行動?
なぜあの時、黒い犬はフェードアウトしていったのか?
わたしにはそのことが理解できなかった。
回らない頭で考えたところで答えは出ないだろう。
それでもわたしはそのことを考えずにはいられなかった。
黒い犬が残した意味を考えながら重たい身体を引き摺って、水を飲むためにわたしは部屋を出た。

2012年6月16日土曜日

追憶 116

肉体は低い声を響かせ、ベッドの上でもがいていた。
わたしはどうすることもできずにただそれを見守っているだけに過ぎなかった。
しかしながら、どういう訳か少しずつではあるものの、黒い犬の意識がフェードアウトしていくのに気が付いた。
なぜだか黒い犬の感情が徐々に薄れていってしまうのである。
これは一体どういうことなのだろうか?
わたしには初めてのことばかりで展開を予測することもままならなかった。
風船が萎(しぼ)んでいくようにわたしの前から黒い犬は徐々に撤退を始めていた。
遠ざかる意識を前にして多くの疑問が尾を引いたが、わたしにはどうすることもできない状況である。
手を伸ばすことも、それを引き止めることもできないのである。
わたしにできることはと言えば、それが最善であると信じ、すべての状況を受け入れることだけであった。
少しずつ遠く薄れていく黒い犬の意識を見送りながら、わたしは少し寂しい気持ちを抱えているのであった。

2012年6月15日金曜日

追憶 115

その時、肉体が自らの意思に反して動き出したことに気が付いた。
身体は苦しそうにその場で寝返りを繰り返している。
そして、口を大きく開けて小さな唸り声を上げ始めた。
小さくも低い唸り声が、わたしを包む小さな部屋の中に響き渡った。
それはまるで苦しみから逃れようとしているかのようであった。
この時、わたしはこのような状況において、自らの意思が必要ではないことを学んだ。
何と言うか、自らの意思によって動かすのではなく「任せる」のだと理解したのだった。
それはこの状況・・・
今回ならば黒い犬にである。
苦しみを訴える者に対して、自らの身体を貸すというような感覚が正しいのかもしれない。
わたしと言えば、それを少し離れた所から客観的に見守っているようであった。
どうしてこのようなことができるのかは正直分からない。
しかしながら、自分に特別な力があるとも考えづらい。
特殊な力とかそういう類いではなく、何かもっと原始的な力であるような気がしていた。
わたしは状況に驚きを感じながらも、流れに任せてそれを見守っていた。

2012年6月14日木曜日

追憶 114

いつもと同じ方法では意味が無いと感じていた。
それは、この状況が既にいつもとは違うからである。
指先を動かすことなんて何も考えなくてもできる容易なことだ。
それは容易すぎて、普段のわたしは思考が生まれることにも気が付かない始末である。
何も考えず、何も感じずに指先を動かすことができる。
当たり前のことである。
それは指先に限ったことではない。
肉体を動かすのにも思考は必要ではない。
実際には思考、もしくは意思の働きが無ければ肉体が動くことはないであろう。
思考や意思の働きがあってこその肉体の動きなのである。
しかしながら、生まれた瞬間から身体と共に在り、それを扱ってきたわたしたちはいつの間にかにその行程を忘れてしまっているのである。
思考や意思を生産し、それが肉体を動かす過程が瞬間的に処理させるために、それに気をとめることはない。
しかしながら、今のわたしにはその当たり前の行動すらできないのである。
当たり前のことを当たり前にできることが、これ程幸せなことだったと感じたことはなかった。
わたしは当たり前の自由を得るために、必死になってこの状況に適する方法を探すのだった。