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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2012年10月1日月曜日

追憶 223

「神」を初めとして、意識的な存在を意識していなければこのような感情は生まれてはこなかったであろう。
怠惰(たいだ)で惰性的な考え方が我が物顔で心の中にはびこっていたかもしれない。
わたしは長い間忘れていた畏怖(いふ)や畏敬(いけい)の気持ちを、意識的な存在と出会うことで思い出すことができた。
それは、わたしがこれから人生を生きていく上でとても大切なことである。
人は自分自身でも知らず知らずの内に傲慢になっていることがある。
謙虚さを見失ってしまった時、人はいろんな意味での「光」を失ってしまうのではないだろうか?
意識的な存在を感じれば、わたしは自分自身の存在がとても小さなものに思える。
自然の中に無数に存在している小さな命の中の一つに過ぎないと感じる。
わたしが人間の中で人間の感覚でいたのなら、このように感じることはなかったであろう。
何と言うか、意識的な存在を感じれば価値観が変わる。
白龍神に出会ってから、わたしの価値観は少しずつではあるが確実に変わってきていたのである。

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