瞑想の度に、身体の意思に任せることを習慣付けていると、その動きは次第に滑らかになっていくのが分かる。
その動きはぎこちなさを離れ、とても自然的だった。
それは、瞑想の時間を離れて日常生活の中にも入り込んできた。
何気なく座っているだけであるのに、上半身がゆらゆらと揺れたりする。
意識してその動きを止めるも、やはり揺れている方が心地好かった。
ハクとコンがわたしの両手を使って自らを表現するが、それの身体バージョン?なんて考えていた。
身体には常識では推し量ることのできない意思や力が潜在されているのかもしれない。
そして、その声は普段わたしたちの耳には届いていないのかもしれない。
常識離れした身のこなしをする人は、もしかしたらその声を聞いているのかもしれない。
人は自らの身体の声を聞くことによって、自らや世間の常識を超えることができるのかもしれない。
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