しかしながら、意思の伝達はそれを発する側の力量と、それを受け取る側の力量というものが大きく関わってくる。
相手にとって分かりやすく伝える方法を選択しなければならないし、相手の意思をできる限り詳細に汲み取らなければならないのである。
互いの力量が高い程に、意思疎通は高質なものになる。
身体から伝わる声(意思)は、今までに聞いたこともなかった内容のものだった。
しかしながら、それはとても抽象的な形であったために、何となくの感覚でしか理解することができなかったが、身体はわたしのとは異なる独自の意思を持っており、「こう動きたい…任せろ…」そんな内容の意思を伝えてくるのである。
今までのわたしの常識では、身体はわたしのものであり、わたし自身でしかなかった。
それが「別物」なんて考えたこともなかった。
しかしながら、今わたしが感じている感覚は、身体には別の人格?が備わっているということである。
20数年間の常識が覆(くつがえ)され、新たな常識が入り込んでくるのは不思議なことである。
しかしながら、そこには大した違和感は感じなかった。
きっとわたしは、認識の届かない深い部分では身体という別人格のことを知っていて、これまで互いに協力し合って生きてきたのであろう。
わたしが知らなかっただけである。
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