破滅的な闇が体内や心境や思考に溜まると、わたしの判断以外の判断がそれを実行するのであった。
それが何の判断であるのかは分からなかった。
一種の防衛本能かもしれないし、わたしを守る意識的な存在の働きかけなのかもしれない。
原因は分からなかったが、この時の瞑想以来わたしは「自動闇排出能力」?を得たのであった。
意識的な存在と、物質的な存在は絆のようなもので結ばれている。
二つは連動している。
わたしたちの心と肉体が結ばれているようにである。
例えば、何かショックな出来事で心を痛めるとする。
その時あなたは胸が痛くなる感覚に襲われるであろう。
胸に物理的なダメージなんてありはしないにもかかわらず、心が痛めば胸も痛くなるのである。
恋をした時、胸が締め付けられる感覚を経験したことがあるだろう。
脳と心臓が働いてそのような痛みを得るという考えもあるであろうが、脳や心臓などの臓器が恋をするであろうか?
脳と心臓がショックな出来事を認識するだろうか?
それは、意識という心が成せる業なのである。
心の表現を具現化しているのが、肉体なのである。
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