一般的に人が霊的な事象に対して嫌悪感を持つことは理解できる。
それは、そこに恐怖を感じるということもあるだろうが、その本質には恐怖の先にある精神的なダメージによる危機感というものが存在しているように思えた。
それは動物的な本能であるだろう。
肉体的な危機感と同じように、精神的な危機感を無意識の内に本能が知らせているのである。
霊に対峙するというのは、危機感や己の命と向き合うということでもあるのである。
そのため、普通の感覚ならばそれに嫌悪感を抱き、拒絶の心が生まれるものなのである。
誰でも命に関わる危機感には面したくないであろう。
精神的なダメージは人の命を脅かしてしまう。
心(精神)というものは人の本質であるということができるであろう。
心が傷付き、疲れ果ててしまえば、どのような人も命を継続させることが難しくなってしまう。
憂鬱(ゆううつ)や自殺というものも、心に何らかのダメージがなければ有り得ない状況であるだろう。
狐に突き刺さる黒いものから伝わる苦しみは、わたしの心を蝕み、直接的にダメージを与える。
心が沈む感覚の先にわたしは無気力さを感じ、自虐や自殺という選択肢が脳裏を過(よぎ)るのを見ているのであった。
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