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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2012年7月17日火曜日

追憶 147

しかしながら、そのことを理解する機会がわたしたち人間には乏しい。
これは残念なことである。
環境の変化によって自分たちが苦しんで初めて、ようやくそのことを理解するのである。
実際の歴史を振り返ってみても、環境汚染によって様々な弊害(病気や経済的な損失)が生まれ、その問題が実感として(もしくは社会的に)明らかになるまで、人間は何の手も打たなかったのである。
人間は愚かな生き物だ。
問題が明らかになって自分たちが苦しみを味わうことがなければ、それに気が付かない、そして何の手も打てないということもあるだろう。
実際、わたしも赤潮によって家業の養殖の真鯛が何万匹(2004年、愛媛県では20万匹以上)もへい死することがなければ、わたしもそれに気が付くことはなかったであろう。
今回、わたしは幸いなことに自然?が抱える苦しみを直接的に理解する機会を得た。
これをわたしはチャンスだと思ったのである。
今まで自然が抱える苦しみに気が付けなくて申し訳のない気持ちと、自分に対するふがいない気持ちがわたしの中には充満していた。

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