幼いわたしが荒れていたのも、わたしの心の中を寂しさという「点」が悲しみという「面」となって支配していたからである。
幼いわたしにはその支配から逃れる程の力はなかった。
まるで人格が入れ替わるように、秘めた感情が何らかの形で爆発するのであった。
わたしの場合は人に迷惑をかける様々な愚行として爆発したようだ。
深く考えもしていない軽率な行動を起こす人を見ていると、自分自身がそうであったように、心が何らかの破滅的な感情によって支配されているのだろうと推測することができる。
誰も好きで荒れている訳ではない。
荒れているのには、現状の本人では解決することができていない問題や、現状ではどうすることもできない理由を抱えているという訳があるのである。
できることなら、誰にも迷惑を掛けたくない。
誰も傷付けたくない。
誰も悲しませたくない。
もちろん、自分自身が悲しみたくない、傷付きたくない・・・
当然、このような気持ちも抱えているのである。
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