当時のわたしには十分ではなかったのであろう。
わたしが愚行を行っていたのは、子どもながらの訴えではないだろうか?
自らの心に必要な愛情が不足していることを言葉で表現することができないものだから、感情や態度によって訴えていたに違いない。
今になって思えばきっとそうなのである。
これは、三人兄弟の次男であるわたしにだけに見られる傾向だ。
きっと、個人的な愛情の必要量の違いではないだろうか?
わたしは昔から愛情を多く求める志向を持っていた。
父親は良く働く人であった。
しかしながら、娯楽には乏しい人で、周囲に漏れず休みの日はパチンコに時間を費やすといった具合である。
もちろん、家族でのイベントを断ってまでパチンコに時間を投入するようなことはしていなかったが、通常の休日は一人でパチンコというのが定番となっていた。
大人には一人の時間も必要ではあるだろうが、当時のわたしにはそこに納得がいってなかったのかもしれない。
そのため、わたしたち三人兄弟は母親と過ごすことが多かった。
父親の娯楽の乏しさが、幼かったわたしの心を蝕(むしば)んでいたのである。
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