自分自身では愛情の不足を実感として感じたことはなかった。
もちろん、当時のわたしは寂しいと感じたこともなかった。
しかしながら、今になって思うと、わたしは寂しかったのだと確信することができる。
もちろん、教育の不足や自身の能力不足も関係していたに違いはないが、根本的な部分には寂しさ、そしてそこから生み出される悲しみが存在しているのであった。
どのような人間も、その本質は心にある。
心がどのような状態にあるのかによって、その人物がどのような行動を取るのかが決まってしまうのである。
心が満たされている人は穏やかで優しい。
心が満たされていることによって余裕があるのだ。
心が満たされていなければはなはだしく荒れている。
余裕がないのである。
辛い時に叫びたくなったり、やけを起こすのは、満たされない心の矛盾を解消しようとしているからである。
わたしの愚行はその寂しさという矛盾を埋めようとしていたものだったのである。
そのことに自分自身で気が付いた時、わたしの目の前には黒い犬の顔が浮かんでいた。
しかしながら、その表情は先程とは全く違うもののように思えた。
牙を剥き出しにしてわたしを威嚇する姿に変わりはないのであるが、その奥に抱えているものは確実に違うものになっているように感じるのだ。
わたしはその原因を知っている。
それは、わたし自身の心の中に悲しみの感情が存在していることを、自分自身で理解したからである。
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