いつもと同じ方法では意味が無いと感じていた。
それは、この状況が既にいつもとは違うからである。
指先を動かすことなんて何も考えなくてもできる容易なことだ。
それは容易すぎて、普段のわたしは思考が生まれることにも気が付かない始末である。
何も考えず、何も感じずに指先を動かすことができる。
当たり前のことである。
それは指先に限ったことではない。
肉体を動かすのにも思考は必要ではない。
実際には思考、もしくは意思の働きが無ければ肉体が動くことはないであろう。
思考や意思の働きがあってこその肉体の動きなのである。
しかしながら、生まれた瞬間から身体と共に在り、それを扱ってきたわたしたちはいつの間にかにその行程を忘れてしまっているのである。
思考や意思を生産し、それが肉体を動かす過程が瞬間的に処理させるために、それに気をとめることはない。
しかしながら、今のわたしにはその当たり前の行動すらできないのである。
当たり前のことを当たり前にできることが、これ程幸せなことだったと感じたことはなかった。
わたしは当たり前の自由を得るために、必死になってこの状況に適する方法を探すのだった。
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