何事にも練習が必要である。
大切なことは、何事もただシンプルであり、より古典的であるだろう。
何事にも地道に、そして直向(ひたむ)きに向き合うしか上達する方法はない。
楽をしようとしたり、奇跡や幸運を待っているようではならない。
やった分だけ物事は動く。
楽をしようとしたり、奇跡や幸運を待っているだけなら、何も動かないし得られない。
どのような力や状態を得るためにも、地道に努力する以外に方法は無いのである。
わたしは今までの経験でそれを痛いほど思い知らされている。
自分で言うのも変だが、わたしはどちらかと言えば感が良く、要領やセンスも良かったように思える。
しかしながら、そんなわたしは努力をすることが嫌いであった。
その結果、20年という歳月を生きても、結局は何も持ってはいない人間になってしまったのである。
感が良く、要領やセンスも良かった…
しかしながら、努力という最も大切なことを軽視し、無視したから何も実らなかったのであろう。
感や要領やセンスが悪ければ少々厳しくはあるが、努力することができなければ絶望的である。
わたしは絶望を選んだのである。
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