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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2012年12月21日金曜日

追憶 304

身体が自らの意思に反して動くことがある。
身体というものは単純で、習慣にさえ動かされる。
習慣も意思の積み重ねでしかないが、それを超える意思によって身体を動かすのは決して簡単なことではない。
大抵が習慣に軍配が上がってしまう。
瞑想の時のわたしの動きは、反射的な動きに似ているように思えるのであった。
「咄嗟(とっさ)の行動」というやつである。
習慣とは違うが、自らの意思とは違う動力によって生み出される行動という点では共通しているのではないだろうか?
わたしたちは緊急時に、自らの意思とは違う動力によって行動することがある。
物が落下する時や歩きのおぼつかない幼い子どもが転びそうになった時など、咄嗟の行動によってその危険を回避しようとするのである。
そう思ってなくても動いている。
それは、自らが認識することができないような早さで、事態の把握、それを解決するための行動。
という流れが、瞬時の内に行われているのかもしれない。
しかしながら、それを説明することはできないであろう。
咄嗟の行動とは、気が付いたらそうなっているものである。
これは自分自身の意思ではない他の動力によって、その行動が生み出されているということを意味しているのではないだろうか?

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