それは自分以外の誰かや何かの意思である。
自分以外の誰かや何かの意思を自らの意思として表現しているのである。
わたしたちは誰かや何かの意思を意識的、無意識的に取り入れて、行動に取り組むことがある。
大抵がそうであるかもしれない。
自分自身の独自の意思によって選択し、行動している人は稀であろう。
厳密にはいないかもしれない。
それは、自分自身の手で種から作物を収穫するようなものだし、砂から鉄を作るようなものだからである。
わたしたちは既に何らかの製品に囲まれながら生活している。
それは、既に何らかの意思(文化)に囲まれながら生活していることと同じなのである。
わたしたちも様々な意思を以てそれを価値観としているが、その価値観の形成には既に存在している誰かや何かの意思というものが大きく携わっているのである。
わたしたちは知らず知らずの内に外側の意思を取り入れ、それを自らの意思と照らし合わせて新たな意思の形を作る。
それが行動として表現されるのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿