それから、わたしと二匹の狐の奇妙な共同生活が始まったのである。
狐たちはいつも無邪気なものだった。
まるで友達のような感覚である。
かまって欲しいのか良くちょっかいをかけてきた。
「神様」のくせにこんなにも馴れ馴れしくて良いのだろうかと心配になることも頻繁にあった。
勝手なイメージである。
彼らが現れる時は、わたしの身体を使ってその存在をアピールするのが一般となっていた。
幼い頃は指で狐の形を作って遊んだものである。
日光にかざして映る影を楽しんでいた。
あれと同じように人差し指と小指を立て、親指と中指と薬指は前方に突き出すようにして結ぶ。
それを二匹がするものだから、第三者から見ればわたしは両手を狐の形にしている変態である。
狐たちはわたしの手を自在に操り、そこに表情を作った。
しかも、狐たちと接する中で理解したのだが、意識的な力は受動的である。
自分の要望が叶わないのがこの力の特徴であるような気がしてならない。
自分がしたいようにはできないのである。
見たいものを見れるという訳ではない。
やりたいことができる訳でもない。
すべては意識的な存在からのアプローチ次第なのであろう。
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