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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2012年9月4日火曜日

追憶 196

そのおかげでわたしはお金に困ったことがなかった。
大きな家に住むこともできたし、欲しいものはいつでも手に入った。
何不自由なく生きてきたのである。
それはとても有難いことであるだろう。
しかしながら、人間の暮らしが変わっていくのと同じように、北灘湾の姿も変わってしまった。
わたしの記憶には無いことだから聞いた話ではあるが、昔は春になると海岸にもたくさんの海藻が現れ、まるで絨毯(じゅうたん)のように海岸線を覆い尽くしたそうである。
魚の種類も豊富で、ハタタテダイなどの珊瑚礁を棲家(すみか)にするような魚まで普通に泳いでいたようである。
しかしながら、養殖業を始めてからと言うもの、その光景は一変してしまった。
養殖業を始めた頃、養殖魚に与える餌は生餌といって鯵(アジ)や鯖(サバ)などを冷凍したものをミキサーに掛けただけのものだった。
生餌は魚を切り刻んだだけのものなので、それからは大量の油が浮き出た。
その油が北灘湾に漂い、海は油だらけであったという。
養殖筏の碇(いかり)のロープには20cm程の油の層が付着していて、碇を張り直す時には油が層になったものを取り除いてから作業を始めたそうである。
碇のロープを引く手も油で良く滑ったそうだ。
そのような過酷な環境で生きていくことのできる種は限られている。
北灘湾には過酷な環境の中でも生き残っていけるような種類の生物だけが残るだけになってしまった。

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