世の中には、様々なレベルのものがあって良いと思う。
宗教は善悪を分けるが、わたしは悪魔がいても良いと思うし、殺人鬼がいても良いと思うのだ。
それは、蜂や熊や猪や百足(むかで)や鮫や蝮(まむし)がいて良いことと同じである。
もちろん、殺人鬼は極論ではあるが、例えば車を運転している時点において、すべての運転手が殺人を犯す可能性は五分であろう。
車を運転するという行為は、人を殺すか、殺さないかの二者択一である。
ある宗教の勧誘で二人の女性がわたしを何の約束もなく訪ねたことがあった。
彼女達は自分達の名前も身分も明かさない失礼な態度であった。
その時点で、彼女達の状態や目的がどのレベルにあるのかを察したが、なんだか面白そうだったので、時間は余り無かったが五分くらいを彼女達にあてることにした。
彼女達の主張を要約すると、世の中には悪魔が存在しているというものであった。
争いや暴力や戦争などが、悪魔の仕業であり、わたし達は身を守らなければならないというのだ。
わたしは吹き出しそうになったが、必死で堪えて真剣に話を聞いた。
彼女達は自分達の宗教の経典を読み、集会に参加することによってわたしを救おうとしてくれているようであった。
とても親切で愛情深い人達である。
彼女達はわたしに世の中が暗闇で覆われていることを訴え、わたしに不安を与えたいようであった。
そして、わたしの不幸話を聞きたいようであった。