このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2016年9月13日火曜日

追憶 1464

多くの人は、夢が実現しないものとして決め付けている。
多くの人は夢を諦めて生きているだろう。
生活のためや家族のためだという理由によって、妥協(だきょう)や諦めを受け入れているのである。
それが悪いと言いたいのではない。
他人のために生きることは素晴らしいと思う。
しかしながら、他人のために自分を犠牲にしているのには違和感を覚えるのである。
わたしは自分に出来ることで、出来る限り多くの人を手助けしたいと考えたが、結果的に全国から多くの人がわざわざわたしを訪ねてくれる。
これも、思い描いたことの実現である。
ただ、誤解してはならないのが、実現したことは利他的な欲求を主体とした夢であったということだ。
喫茶店を経営したいと思い描いた動機は、人の相談を聞き、癒しを与えたかったからである。
光の仕事を思い描いた動機も、霊や他人のためであった。
利己的な夢の実現は難しいであろう。
寧(むし)ろ、それは実現しない方が良いのではないかとも思える。
次にわたしが記すのは、利己的な欲求による失敗例である。

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