既に最善の仕事をしてくれている相手に求めることは、相手の最善の仕事にケチを付けるようなものなのである。
そのため、神仏に祈るという行為は、神仏に対して文句を吐く行為であるということなのだ。
人生にはどうすることもできないことがある。
わたしはNと一緒にいたかったが、それはどうすることもできなかった。
どうすることもできないことは、どうもしなくて良いということなのだろう。
人生の決定が覆(くつがえ)ることはない。
何とか延命しようとしても、その道は尻窄(しりつぼ)みなのである。
燃料を補給し続けたとしても、各部品の寿命がくれば車は走ることができないのである。
どうすることもできないことは諦めて、別の方法や道を、努力によって進んで行くことの方が良いのではないかと思えるのだ。
神仏に求めることをやめ、自力に求め、世界のために働くのであれば、(最低条件を満たした)夢は実現するだろう。
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