「悪魔も殺人鬼もいて良いと思うし、暴力も争いもあって良いと思います。それを必要としている人がいるから、それ等の存在がこの世界に許されているとは思いませんか?わたしが神様だったらそうしますよ。あなた達は神様を信じていないのですか?」
	わたしは彼女達が信仰している宗教や”神”を否定したいのではない。
	彼女達の意識レベルは、小さな範囲にとどまっていたのである。
	そのために、善悪を分ける西洋的な宗教観を信仰しているのである。
	西洋の歴史を少しでも勉強したのであれば、西洋的な思想がどのような結果を導いたのかが分かるだろう。
	わたしが信仰しているのは、名前を持つような小さな存在ではない。
	名前を持つのであれば”神”などではないのである。
	名前を持っているのは、個々に分けられた存在である。
	名前とは、似た別の存在との区別のために付けられるからだ。
	わたしが信仰しているのは、すべてに共通する存在としての”神”である。
	わたしの信仰する”神”は、善悪も一つに束ねている。
	それは、”すべては一つ”という根源的な教えを導く存在のことだ。
	呼び方は何でも良いだろう。
	”か”でも”み”でも、”A”でも”B”でも良いのである。
	なぜなら、”すべては一つ”ということは、すべてであるからだ。
	そのため、呼び方など何でも良いのである。
	本当は、名前など持たないであろう。
	
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