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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2016年9月27日火曜日

追憶 1478

「悪魔も殺人鬼もいて良いと思うし、暴力も争いもあって良いと思います。それを必要としている人がいるから、それ等の存在がこの世界に許されているとは思いませんか?わたしが神様だったらそうしますよ。あなた達は神様を信じていないのですか?」

わたしは彼女達が信仰している宗教や”神”を否定したいのではない。
彼女達の意識レベルは、小さな範囲にとどまっていたのである。
そのために、善悪を分ける西洋的な宗教観を信仰しているのである。
西洋の歴史を少しでも勉強したのであれば、西洋的な思想がどのような結果を導いたのかが分かるだろう。
わたしが信仰しているのは、名前を持つような小さな存在ではない。
名前を持つのであれば”神”などではないのである。
名前を持っているのは、個々に分けられた存在である。
名前とは、似た別の存在との区別のために付けられるからだ。
わたしが信仰しているのは、すべてに共通する存在としての”神”である。
わたしの信仰する”神”は、善悪も一つに束ねている。
それは、”すべては一つ”という根源的な教えを導く存在のことだ。
呼び方は何でも良いだろう。
”か”でも”み”でも、”A”でも”B”でも良いのである。
なぜなら、”すべては一つ”ということは、すべてであるからだ。
そのため、呼び方など何でも良いのである。
本当は、名前など持たないであろう。

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