今回の事故は、言わば叱咤激励(しったげきれい)であるように思える。
	
	
	わたしの中の腐った感情がいつの間にかに作り上げた檻の中で、無意識の内に不自由さに捕らわれていたわたしに発破をかけたのである。
	この事故によって、わたしを捕らえていた不自由の檻の一部が破壊された。
	そして、檻の存在を認識することができたのである。
	この時点において、事故がわたしにとって有利に働くことは理解した。
	わたしは既に、この事故に対して感謝していたのである。
	そして、肩の痛みがわたしを打つ度に、肉体を通じて命を感じることができた。
	それは、命がわたしに生きろと訴えているようであった。
	生きるということは学べるということである。
	それ以上の幸福があるだろうか?
	それ以上に求めることがあるだろうか?
	肩の痛みよりも、既に命の訴えへの喜びが勝っていた。
	肩の痛みに対しても、わたしは既に感謝していたのである。
	
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