もちろん、わたしが事故を起こしたのも自業自得である。
霊的な存在には、人を事故に遭(あ)わせることは出来ない。
先述したように、自業自得であるからだ。
自らの意思選択によって原因が設定され、設定によって結果が導き出されるのである。
霊的な存在は人生の道具に過ぎない。
それは、鋸(のこぎり)や金槌(かなづち)と変わらない。
道具は目的の手助けにはなっても、自らが目的の達成に尽力することはないのだ。
そのため、世間における霊的な存在に対する浅はかな知識のように、霊が人を呪うことによって不幸になるなどということは有り得ないのである。
わたしと彼が同じように事故を起こしたのは(因みに、彼も右半身を負傷していた)、共通する学びを所有していたからであろう。
わたしと彼は、事故を起こすことによって、同じように学ばなければならないことがあったのである。
それはきっと、事故という状況にあっても、心を汚さない(不幸に陥らない)という学びであるだろう。
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