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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2016年10月8日土曜日

追憶 1489

彼女達はわたしが冗談でそのようなことを言っているのだと高を括(くく)っているようである。
それは、現代の日本において、目の前の人に命を脅かされるということは滅多にあるものではないからだろう。
わたしは余裕を見せる彼女達に対して、今度は深刻な顔で同じ問い掛けをした。
すると、彼女達は明らかな動揺の表情を浮かべた。

”あなたはそんなことをしません”

若い方の女性が捻(ひね)り出した言葉は、暗闇を恐れる少女の強がりのような弱々しいものであった。
彼女達は自分達が信仰する”神”が救ってくれるなどと本気で思っているのだろうか?
彼女達の命は、わたしの手の中にあるのではないのか?
わたしが彼女達を殺さない保証など、どこにあると言うのだろう?
わたしは彼女達の信仰する”神”の言うことなど聞き入れはしないだろう。
結果的にわたしが彼女達を殺さないとすれば、彼女達は自分達の信仰する”神”の力によって守られたと解釈するに違いない。
それは、彼女達の信仰する”神”の力なのだろうか?
彼女達は結果論を持論にこじつけているに過ぎないように思える。
自分に都合の良いことは”神”の力とし、自分に都合の悪いことは悪魔の力とするのである。
その矛盾が彼女達の宗教の限界であると、わたしには思えるのだ。

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