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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2016年10月9日日曜日

追憶 1490

彼女達は再び沈黙した。
それは、彼女達が普段から自分で考える習慣を持たないからである。
これは、彼女達が、”神”に従い、教義に従い、教祖に従う中身の無い傀儡(かいらい)であることの証明である。
宗教の問題点がここにあるのだ。
わたしは好きなものを信仰すれば良いと思う。
しかしながら、自力を失うような信仰には警戒している。
わたしたちは、ニーチェの言うルサンチマンを克服し、奴隷道徳に陥らない人間でなければならないと思うからだ。
ニーチェの言う超人に拘(こだわ)る必要はないとは思うが、自力を失うことは人生の放棄に他ならないと思うのである。
人は自由な心で生きるべきである。
彼女達は何かしらのトラウマによって、今の宗教に拘っているように思える。
彼女達の必死な姿を見ていると悲しくなるのだ。
彼女達にとっては、今の信仰こそが自分を保つ唯一の手段なのではないかと思えるのである。
本当に良いものであれば、相手から求めるものだと思うが、彼女達にはそのことが分からないのであろうか?
彼女達が再び沈黙を破ったのは、わたしの質問に対する答えによってではなかった。
彼女達は厚かましくも、再びわたしを勧誘してきたのである。
ここまで反発するわたしを、これ以上苦しめようというのである。

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