そのためには、今は我慢することも学ばなければならないだろう。
	
	勇気を出して諦めることをしなければ、新たな選択肢は得られないのである。
	習慣には可能性を生み出す力が無い。
	習慣を新たな形へと移行することによって、可能性が生み出されるということを理解したい。
	今のRには、わたしの考えは理解することができないだろう。
	そのため、わたしが意地悪な人物として映るかもしれない。
	しかしながら、他人に何かを理解してもらうためには、誤解や嫌われることを恐れてはならないのである。
	わたしはRに嫌われても良いと思っている。
	それは、Rのことを考えているからだ。
	中には、他人に嫌われまいと行動する人がいる。
	このような人は、他人を思いやっているように見える。
	しかしながら、その本意には、他人に嫌われまいとする浅はかさがあるのだ。
	他人を気遣っているようでも、自分を守っているのである。
	
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