それが子どもであれば尚更である。
わたしにはRが”機械”で遊びたがることが受け入れられない。
100円で買える陳腐(ちんぷ)なBGMよりも、無料で手に入る最新の雄大な景色の方が何倍も価値があるように思えるのである。
決め付けになってしまうが、Rは音声案内など聞きはしないだろう。
わたしには、いつものお金を払ってゲームをする習慣が現れただけだと思うのである。
わたしはRの主張を退けた。
すると、望遠鏡の時と同じように自分を正当化し始めた。
「学びたいのに」
Rの言葉に昔を思い出した。
それは、Rがお腹の中にいる時の言葉と同じであったからだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿