今のRにとっての最善は、お金を使わずに楽しみを見付け、学ぶことだと思える。
そのためのわたしと共に過ごす時間なのではないかと思うのである。
ついにRは根負けした。
わたしの一貫した態度に自分の意思が通らないことを悟ったのであろう。
それ以降、Rがわたしに金銭をせがむことはなくなった。
(ただし、それも一時のことである)
Rが再びお金によって安易に楽しみを見出そうとする時には、わたしはそれを優しいながらも力強く否定しなければならないだろう。
話が壮大なものとなるが、わたしはRに人生の意味を考えられる人になって欲しいと思っている。
人が人生の意味を考える時には、唯物論に頼ってはいけない。
なぜなら、それは”半分”に過ぎないからである。
唯物論は目に映るレベルの視野である。
それは決して本質ではない。
人生のもう”半分”は、目には映らないもので構成されているからである。
唯心論的な視野を得なければ、人生の意味を考えることにはならないだろう。
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