わたしが黒い男を認識することができたのは、心を汚さなかったからであろう。
	心が澄んでいたから、見極めることができたのではないだろうか?
	心を汚すということは、ネガティブな感情によって思い悩むということである。
	心の中に多くの感情を抱えているのであれば、視界は悪くなるのだ。
	雨の日には、雨粒や靄(もや)によって視界が奪われるのと同じである。
	雲一つ無い晴天であれば、視界は開かれる。
	心の中も、自然界も違いはない。
	それは、意識的な方法も、物質的な方法も違いがないということなのである。
	どちらの方法からアプローチしても構わない。
	どちらにしても辿り着くところは同じである。
	数学、物理学、哲学、文学、経済学、医学、生物学、天体学、心理学、形而上学(けいじじょうがく)…
	どのような学問であっても、すべてが真理に向かって続く道なのである。
	
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