Nが自らの使命を見出すためには、わたしの存在は邪魔なのであろう。
わたしのNに対する役割は終わったのかも知れない。
わたしのNに対する役割の一つの側面としては、多感な思春期に歪まないためのサポートであったように思える。
その役割は果たせたのではないかと思えるが、Nに聞いていないので分からない。
Nは既に自分の人生(道)を形成する時期にあるのかも知れない。
やはり人は、自分自身の道を進み、それぞれに与えられた使命を果たさなければならないのだろう。
人は孤独に歩まなければならないのである。
わたしの方法がNの方法の妨げになる可能性もあるのだろう。
人は独りになり、自分自身を見詰め、自分自身を理解することにより、自分の道を進む必要があるのだ。
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