五感とそれを超える意識的な感覚との併用は、わたしにより多くの自由を与えてくれたようだった。
五感という日常の中にある感覚は、自分という等身大の容器の中に己を閉じ込めているように感じるが、それを超える意識的な感覚は等身大の容器と外の世界との間に隔たる境界線を取り払ってくれたようである。
この感覚を味わった時、わたしは如何に自らが規制の中に存在していたのかを思い知らされた。
わたしが自由だと思っていたものは、制約以外の何ものでもなかったのである。
わたしはこの空間がとても心地良いと感じていた。
すると、ある変化に気が付いた。
それは、黒い犬の唸り声を上げているわたしの声帯のこともあったが、それよりも表情に対する変化に対して驚いたのであった。
わたしの表情は、わたしの意思とは別にまるで犬が威嚇(いかく)をする時のように犬歯を剥き出しにしていたのである。
その表情と共に唸り声が部屋に充満するのであった。
わたしは驚いてその表情をやめようと試みたが、それは不可能であるということを思い知らされた。
それは、わたしの意思が全く通用しなかったからである。
五感だけを使うことが許された世界においては、わたしの意思が命じれば大抵の軌道修正はできた。
しかしながら、この場所ではそれができなかった。
五感を超えた意識的な空間では、わたしの意思に反して身体が動くのであった。
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