それも当たり前と言えば当たり前のことなのかもしれない。
幼い子どもが自らの行動に疑問を持つことなど、よっぽどのことがない限りはないだろう。
わたしの行動がどのように愚かなものであっても、わたし自身はそれには気が付いていなかったのである。
そのため、わたしは当時の記憶を思い出しながら話を進めていく必要があった。
当時(保育園児)のわたしは自分の置かれている状況に対して疑問を持ったことはなかった。
幼いわたしにとってはすべてのことが日常であり、当たり前なことであったからである。
わたしが起こす愚行に対しても、何の疑問も持つことはなかった。
今になってみると不思議なことである。
しかしながら、子どもは皆そうなのかもしれない。
しかしながら、そこに悲しみの感情があったかと言えばそうとも言えなかった。
ただ、自分自身がその感情と原因を忘れているという可能性も否定することはできなかった。
わたしは悲しみの感情の出所が自分自身のどこにあるのかを確かめる必要があった。
自らの記憶の中にあるであろう悲しみの原因を探すために、わたしは心の扉を押さえる力をそっと緩めた。
このブログについて
自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。
2012年5月31日木曜日
2012年5月30日水曜日
追憶 99
それはわたしが物心つく頃に遡(さかのぼ)る。
わたしが物心ついた時には既に自らの記憶にない行動は始まっていたようだ。
不思議なことに今、この状況ならそれが分かる。
当時のわたしには自らの行動がどのような理由で生み出されているものなのか?その判断や区別などできてはいなかったのである。
当時のわたしの行動と言えば、感情によって生み出されるものがメインであった。
当たり前と言えば当たり前である。
幼いわたしには思考や意思によって物事を判断するということはなかった。
すべての判断は感情によって生み出されるただの副産物であった。
わたしがどのような行動を起こそうとも、それはその時の気分次第なのである。
すべての決定権は感情が握っているのである。
当時のわたしは、自分自身の行動に何の疑問も持ってはいなかった。
なぜ自身がそのような行動を取るのかなんて考えようもない。
そのため、自分が自分の思考や意思によって行動しているのか?
それとも、それ以外の力によって動かされているのか?
という判断にまでは到底、到達できることではなかった。
わたしが物心ついた時には既に自らの記憶にない行動は始まっていたようだ。
不思議なことに今、この状況ならそれが分かる。
当時のわたしには自らの行動がどのような理由で生み出されているものなのか?その判断や区別などできてはいなかったのである。
当時のわたしの行動と言えば、感情によって生み出されるものがメインであった。
当たり前と言えば当たり前である。
幼いわたしには思考や意思によって物事を判断するということはなかった。
すべての判断は感情によって生み出されるただの副産物であった。
わたしがどのような行動を起こそうとも、それはその時の気分次第なのである。
すべての決定権は感情が握っているのである。
当時のわたしは、自分自身の行動に何の疑問も持ってはいなかった。
なぜ自身がそのような行動を取るのかなんて考えようもない。
そのため、自分が自分の思考や意思によって行動しているのか?
それとも、それ以外の力によって動かされているのか?
という判断にまでは到底、到達できることではなかった。
2012年5月29日火曜日
追憶 98
この時、なぜわたしは自身が悲しみを覚えていたのか、そのことについて自分では理解することができなかった。
当時の記憶は自分自身でも思い出したくないものであったし、そこには恥ずかしさや苦しみしか存在していないものだと思っていたからである。
しかしながら、今わたしがそこに感じるのは悲しみである。
わたしがそれをいくら否定しようとしてもその事実は変わることはなかった。
わたしは困惑した。
それは、わたし自身が過去に対して悲しみの感情など持ち合わせていなかったからである。
ならば、一体この感情はどこから来ているものなのであろう?
その原因を探すことが先決であるだろうと感じ、悲しみの感情に対して意識を合わせてみた。
するとそれは予想に反し、自らの心の中へと向かって進んでいくのであった。
その時点で、わたしの中には疑点が生まれていた。
それは、悲しみの感情に合わせた意識がなぜ自らに向けられていくのかが分からなかったのである。
わたしの中には悲しみの感情など無いと言うのに・・・
しかしながら、それは自らの過信であった。
自分でも気が付いていない部分ではあるものの、わたしの中には悲しみの感情が確かに存在していたのである。
当時の記憶は自分自身でも思い出したくないものであったし、そこには恥ずかしさや苦しみしか存在していないものだと思っていたからである。
しかしながら、今わたしがそこに感じるのは悲しみである。
わたしがそれをいくら否定しようとしてもその事実は変わることはなかった。
わたしは困惑した。
それは、わたし自身が過去に対して悲しみの感情など持ち合わせていなかったからである。
ならば、一体この感情はどこから来ているものなのであろう?
その原因を探すことが先決であるだろうと感じ、悲しみの感情に対して意識を合わせてみた。
するとそれは予想に反し、自らの心の中へと向かって進んでいくのであった。
その時点で、わたしの中には疑点が生まれていた。
それは、悲しみの感情に合わせた意識がなぜ自らに向けられていくのかが分からなかったのである。
わたしの中には悲しみの感情など無いと言うのに・・・
しかしながら、それは自らの過信であった。
自分でも気が付いていない部分ではあるものの、わたしの中には悲しみの感情が確かに存在していたのである。
2012年5月28日月曜日
追憶 97
意識を研ぎ澄まし、深い部分に忍び込ませる。
集中する程に意識は鋭さを増し、少しずつではあるものの確実にその深部へと進んで行った。
その時、わたしはそこで自らのこれまでの人生がフラッシュバックするのを見た。
それは要所要所で区切られている記憶の投影であった。
高校生の時にどういう訳か熱中していた一人山歩き。
反抗期の異常な苛立ち。
小学生の頃の自らの意思に反する愚行。
幼少期の自身の記憶にない悪事。
これらのことがわたしの心の中を駆け巡り、強烈に胸を締め付けるのであった。
わたしはそれらの記憶を見るのをとても不快に感じていた。
できることならそんなもの見たくはなかった。
捨て去りたい過去なのである。
目を伏せておきたかった。
しかしながら、記憶は容赦なくわたしを襲い、その心を寸寸(ずたずた)に切り裂くのであった。
わたしはそこに痛いとか苦しいとか、そういう感情よりも悲しいという感情を強く感じていた。
とにかく悲しい。
そして、辛いのである。
この感情は一体何なのだろう。
集中する程に意識は鋭さを増し、少しずつではあるものの確実にその深部へと進んで行った。
その時、わたしはそこで自らのこれまでの人生がフラッシュバックするのを見た。
それは要所要所で区切られている記憶の投影であった。
高校生の時にどういう訳か熱中していた一人山歩き。
反抗期の異常な苛立ち。
小学生の頃の自らの意思に反する愚行。
幼少期の自身の記憶にない悪事。
これらのことがわたしの心の中を駆け巡り、強烈に胸を締め付けるのであった。
わたしはそれらの記憶を見るのをとても不快に感じていた。
できることならそんなもの見たくはなかった。
捨て去りたい過去なのである。
目を伏せておきたかった。
しかしながら、記憶は容赦なくわたしを襲い、その心を寸寸(ずたずた)に切り裂くのであった。
わたしはそこに痛いとか苦しいとか、そういう感情よりも悲しいという感情を強く感じていた。
とにかく悲しい。
そして、辛いのである。
この感情は一体何なのだろう。
2012年5月27日日曜日
追憶 96
黒い犬が抱える寂しさは、いつの頃からか怒りの感情として表現されるようになったのであろう。
彼がわたしにぶつけてくる威嚇(いかく)もその一部であるように思える。
わたしは何となく彼の気持ちが理解できたような気がした。
その時、目の前の暗闇に浮かぶ黒い犬の顔がなぜかわたしの顔に見えた。
正確には、黒い犬にわたしの顔が重なって見えるのである。
わたしは見間違えだと思い、善く善く目を凝らしたが結果は同じであった。
どうしても黒い犬とわたしの顔が重なって見えるのである。
わたしはなぜこのような現象が起るのか、とても疑問に思った。
わたしが黒い犬の気持ちを何となく理解したところで二つの顔は重なって見えた。
わたしが共感したのが原因なのだろうか?
しかしながら、共感だけで重なって見えるものであろうか?
わたしは漠然とではあるが、そこにはもっと別の何か深い意味が込められているような気がしていた。
共感というフレーズが直感的には浮かんだものの、それでは「軽い」ような気がしていたのである。
わたしは二つが重なった顔に対して、自らの意識をより洗練するようなイメージによって照準を合わせた。
彼がわたしにぶつけてくる威嚇(いかく)もその一部であるように思える。
わたしは何となく彼の気持ちが理解できたような気がした。
その時、目の前の暗闇に浮かぶ黒い犬の顔がなぜかわたしの顔に見えた。
正確には、黒い犬にわたしの顔が重なって見えるのである。
わたしは見間違えだと思い、善く善く目を凝らしたが結果は同じであった。
どうしても黒い犬とわたしの顔が重なって見えるのである。
わたしはなぜこのような現象が起るのか、とても疑問に思った。
わたしが黒い犬の気持ちを何となく理解したところで二つの顔は重なって見えた。
わたしが共感したのが原因なのだろうか?
しかしながら、共感だけで重なって見えるものであろうか?
わたしは漠然とではあるが、そこにはもっと別の何か深い意味が込められているような気がしていた。
共感というフレーズが直感的には浮かんだものの、それでは「軽い」ような気がしていたのである。
わたしは二つが重なった顔に対して、自らの意識をより洗練するようなイメージによって照準を合わせた。
2012年5月26日土曜日
追憶 95
わたしは自分でも不思議なくらい落ち着いて自らの状況を眺めていた。
自らの身体とその表現がどのように展開していくのかを見届けなければならないと強く感じていたからである。
冷静になって周りを見渡すと、今までは見えなかったものが見えてきたりする。
心の状態によって認識は随分と変わるものだと思った。
それは、目の前の暗闇に目を凝らせば、そこには黒い犬の顔が浮かんでいたからである。
今までは気が付かなかった。
単純にいなかっただけかも知れないが、それでもわたしが冷静ではなければ見えてはいなかったであろう。
それから、冷静になることでもう一つ分かったことがあった。
それは黒い犬の抱える気持ちである。
それはきっと本心であると思うのだが、彼は苦しみや怒りで「寂しさ」を包んでいて、本当はそれを訴えているのであった。
抱えている感情が寂しさであったとしても、それはやがて苦しみとなり、怒りとなり、そして憎しみとなる。
感情というものはそう言うものである。
有らぬ方向に変化していく。
すべての感情が直接的な表現ができるはずがない。
わたしたちも自らの抱える感情を素直に表現することは難しいことがある。
黒い犬もいつの間にかに自らの本心である「寂しさ」を素直に表現することができなくなっていたのであろう。
自らの身体とその表現がどのように展開していくのかを見届けなければならないと強く感じていたからである。
冷静になって周りを見渡すと、今までは見えなかったものが見えてきたりする。
心の状態によって認識は随分と変わるものだと思った。
それは、目の前の暗闇に目を凝らせば、そこには黒い犬の顔が浮かんでいたからである。
今までは気が付かなかった。
単純にいなかっただけかも知れないが、それでもわたしが冷静ではなければ見えてはいなかったであろう。
それから、冷静になることでもう一つ分かったことがあった。
それは黒い犬の抱える気持ちである。
それはきっと本心であると思うのだが、彼は苦しみや怒りで「寂しさ」を包んでいて、本当はそれを訴えているのであった。
抱えている感情が寂しさであったとしても、それはやがて苦しみとなり、怒りとなり、そして憎しみとなる。
感情というものはそう言うものである。
有らぬ方向に変化していく。
すべての感情が直接的な表現ができるはずがない。
わたしたちも自らの抱える感情を素直に表現することは難しいことがある。
黒い犬もいつの間にかに自らの本心である「寂しさ」を素直に表現することができなくなっていたのであろう。
2012年5月25日金曜日
追憶 94
五感は働いているものの、主導権をわたしは持たない。
まるで映画館で映画を見ているような感覚であった。
体感しているのである。
わたしはその状況に抵抗することに意味を見出すことができなくなっていた。
「流れ」に身を任せていることこそが最善であり、それに抵抗するのはどこか違うような気がするのであった。
ただし、「流れに」協力する意思は持っていた。
そこに明確な理由などはない。
ただ、そうすることが重要だと心(魂)が感じるのである。
わたしの身体は犬歯を剥き出しにして唸り声を上げているが、わたしはそれを好きにさせた。
それは発展だと思えたし、可能性であると感じたからである。
少しずつではあるにしても、確実に黒い犬に近付いているような感覚はあった。
わたしの変化は前進であり、その表現は黒い犬の感情に近付いているのである。
威嚇の表情も唸り声も黒い犬の感情を表したものであるだろう。
わたしは自らの変化が嬉しかった。
不思議と恐怖心はなかった。
普段、自らの意思によってほぼ自由に動かすことができる身体である。
しかし、今は自らの意思を離れている。
善く善く考えると普通ではない。
この世界は自らの常識の範疇には収まらなかった。
普通ではないこと、自らの常識から外れたことには恐怖心が生まれることが普通であると思っていたわたしにとって、この感覚は意外なものであった。
まるで映画館で映画を見ているような感覚であった。
体感しているのである。
わたしはその状況に抵抗することに意味を見出すことができなくなっていた。
「流れ」に身を任せていることこそが最善であり、それに抵抗するのはどこか違うような気がするのであった。
ただし、「流れに」協力する意思は持っていた。
そこに明確な理由などはない。
ただ、そうすることが重要だと心(魂)が感じるのである。
わたしの身体は犬歯を剥き出しにして唸り声を上げているが、わたしはそれを好きにさせた。
それは発展だと思えたし、可能性であると感じたからである。
少しずつではあるにしても、確実に黒い犬に近付いているような感覚はあった。
わたしの変化は前進であり、その表現は黒い犬の感情に近付いているのである。
威嚇の表情も唸り声も黒い犬の感情を表したものであるだろう。
わたしは自らの変化が嬉しかった。
不思議と恐怖心はなかった。
普段、自らの意思によってほぼ自由に動かすことができる身体である。
しかし、今は自らの意思を離れている。
善く善く考えると普通ではない。
この世界は自らの常識の範疇には収まらなかった。
普通ではないこと、自らの常識から外れたことには恐怖心が生まれることが普通であると思っていたわたしにとって、この感覚は意外なものであった。
2012年5月24日木曜日
追憶 93
五感とそれを超える意識的な感覚との併用は、わたしにより多くの自由を与えてくれたようだった。
五感という日常の中にある感覚は、自分という等身大の容器の中に己を閉じ込めているように感じるが、それを超える意識的な感覚は等身大の容器と外の世界との間に隔たる境界線を取り払ってくれたようである。
この感覚を味わった時、わたしは如何に自らが規制の中に存在していたのかを思い知らされた。
わたしが自由だと思っていたものは、制約以外の何ものでもなかったのである。
わたしはこの空間がとても心地良いと感じていた。
すると、ある変化に気が付いた。
それは、黒い犬の唸り声を上げているわたしの声帯のこともあったが、それよりも表情に対する変化に対して驚いたのであった。
わたしの表情は、わたしの意思とは別にまるで犬が威嚇(いかく)をする時のように犬歯を剥き出しにしていたのである。
その表情と共に唸り声が部屋に充満するのであった。
わたしは驚いてその表情をやめようと試みたが、それは不可能であるということを思い知らされた。
それは、わたしの意思が全く通用しなかったからである。
五感だけを使うことが許された世界においては、わたしの意思が命じれば大抵の軌道修正はできた。
しかしながら、この場所ではそれができなかった。
五感を超えた意識的な空間では、わたしの意思に反して身体が動くのであった。
五感という日常の中にある感覚は、自分という等身大の容器の中に己を閉じ込めているように感じるが、それを超える意識的な感覚は等身大の容器と外の世界との間に隔たる境界線を取り払ってくれたようである。
この感覚を味わった時、わたしは如何に自らが規制の中に存在していたのかを思い知らされた。
わたしが自由だと思っていたものは、制約以外の何ものでもなかったのである。
わたしはこの空間がとても心地良いと感じていた。
すると、ある変化に気が付いた。
それは、黒い犬の唸り声を上げているわたしの声帯のこともあったが、それよりも表情に対する変化に対して驚いたのであった。
わたしの表情は、わたしの意思とは別にまるで犬が威嚇(いかく)をする時のように犬歯を剥き出しにしていたのである。
その表情と共に唸り声が部屋に充満するのであった。
わたしは驚いてその表情をやめようと試みたが、それは不可能であるということを思い知らされた。
それは、わたしの意思が全く通用しなかったからである。
五感だけを使うことが許された世界においては、わたしの意思が命じれば大抵の軌道修正はできた。
しかしながら、この場所ではそれができなかった。
五感を超えた意識的な空間では、わたしの意思に反して身体が動くのであった。
2012年5月23日水曜日
追憶 92
翌日もわたしは黒い犬の気持ちを理解すべく、心の中へと向かった。
心を鎮め、静かに座ると記憶や支離滅裂な映像や音が頭の中を駆け巡る。
その群集を乗り越えると、そこには静寂が待ち構えていた。
静寂を更に進むと、意識の中に五感を感じる場所があった。
それは夢の中にいるような不思議な感覚であり、俯瞰(ふかん)によって自らを見下ろしているようでもあった。
意識ははっきりしているものの、それと身体とが切り離されているようである。
五感を感じながら、それ以外で捉えるべき感覚を捉えているのである。
心を鎮め、静かに座ると記憶や支離滅裂な映像や音が頭の中を駆け巡る。
その群集を乗り越えると、そこには静寂が待ち構えていた。
静寂を更に進むと、意識の中に五感を感じる場所があった。
それは夢の中にいるような不思議な感覚であり、俯瞰(ふかん)によって自らを見下ろしているようでもあった。
意識ははっきりしているものの、それと身体とが切り離されているようである。
五感を感じながら、それ以外で捉えるべき感覚を捉えているのである。
2012年5月22日火曜日
追憶 91
今回、強く感じたことは黒い犬が助けを求めているのではないか?ということであった。
黒い犬はわたしを威嚇(いかく)し、その感情は今もなお拒絶を彷彿(ほうふつ)とさせる。
しかしながら、拒絶の奥底に存在している本心がわたしを引き止めるのである。
それは、少しだけではあるものの、黒い犬の抱えている感情を自らの身体で表現したことによって、見た目には理解することができないことを知ったように思えたからだった。
それが「助けを求める」という気持ちなのであった。
拳を交えた者程、相手のことを深く理解することができる。
わたしがその感情を表現するのは、黒い犬のことを深く理解しなければならないからだろう。
しかしながら、黒い犬の本心を理解したところでわたしには具体的にその問題を解決する術を持ってはいないし、具体的にそれをどうすることもできないのである。
黒い犬の感情を表現することが問題の解決に繋がるのだろうか?
わたしは黒い犬を苦しみの中から救い出すことができるのであろうか?
疑問は尽きない。
何をするにしても、いつもそこには何らかの不安が存在している。
大抵のことは未知であり、自信なんて持ってはいない。
できるかどうかは分からない。
しかし、結果がどうであれやってみることが重要であろう。
わたしは諦めないことを心に誓った。
黒い犬はわたしを威嚇(いかく)し、その感情は今もなお拒絶を彷彿(ほうふつ)とさせる。
しかしながら、拒絶の奥底に存在している本心がわたしを引き止めるのである。
それは、少しだけではあるものの、黒い犬の抱えている感情を自らの身体で表現したことによって、見た目には理解することができないことを知ったように思えたからだった。
それが「助けを求める」という気持ちなのであった。
拳を交えた者程、相手のことを深く理解することができる。
わたしがその感情を表現するのは、黒い犬のことを深く理解しなければならないからだろう。
しかしながら、黒い犬の本心を理解したところでわたしには具体的にその問題を解決する術を持ってはいないし、具体的にそれをどうすることもできないのである。
黒い犬の感情を表現することが問題の解決に繋がるのだろうか?
わたしは黒い犬を苦しみの中から救い出すことができるのであろうか?
疑問は尽きない。
何をするにしても、いつもそこには何らかの不安が存在している。
大抵のことは未知であり、自信なんて持ってはいない。
できるかどうかは分からない。
しかし、結果がどうであれやってみることが重要であろう。
わたしは諦めないことを心に誓った。
2012年5月21日月曜日
追憶 90
わたしは自らの感覚を信じてみることにした。
黒い犬はわたしの身体を使うことで苦しみを解放しようとしているのだと、そう信じた。
すると、わたしの気持ちが通じたのか、声は次第に大きさを増していくのだった。
小さく唸(うな)るような声は次第に悲鳴のような叫び声へと変わっていた。
我ながら、自らの置かれている状況が不思議で仕方なかった。
どの位叫んでいたのかは分からないが、喉の痛みを覚えたところで目が覚めた。
わたしは狐につままれたように呆気にとられてしばらくの間きょとんとしていた。
思った以上に思考が働かなかったのである。
頭がぼんやりとしているのは、疲労感からである。
黒い犬の感情を表現することは、思った以上に体力のいる作業のようであった。
わたしは体力の回復を待って、状況を整理しようと考えていた。
黒い犬はわたしの身体を使うことで苦しみを解放しようとしているのだと、そう信じた。
すると、わたしの気持ちが通じたのか、声は次第に大きさを増していくのだった。
小さく唸(うな)るような声は次第に悲鳴のような叫び声へと変わっていた。
我ながら、自らの置かれている状況が不思議で仕方なかった。
どの位叫んでいたのかは分からないが、喉の痛みを覚えたところで目が覚めた。
わたしは狐につままれたように呆気にとられてしばらくの間きょとんとしていた。
思った以上に思考が働かなかったのである。
頭がぼんやりとしているのは、疲労感からである。
黒い犬の感情を表現することは、思った以上に体力のいる作業のようであった。
わたしは体力の回復を待って、状況を整理しようと考えていた。
2012年5月20日日曜日
追憶 89
しかも、それらは無意識の内に行われていたことであり、今回のように意識が鮮明に働いている(認識が存在している)中で自らの意思に反して身体が動くということは初めてだったのである。
わたしはこの状況に対してどのような対応をすれば良いのか分からなかった。
正解というものがあるのかは分からないが、どのような対応が合理的であるのかを知りたいと思った。
しかしながら、それが分からなかったので、わたしは一先ず状況を観察してみることにした。
声帯は小さく振るえ、低く小さな声を絞り出している。
声帯自体には何の痛みもないが、声は苦しそうである。
この時、わたしは黒い犬が叫ぶことによって苦しみを解放しているのではないかと考えるようになる。
これは推測でしかないが、わたしたち人間も苦しい時は叫びたくなるし、叫ぶことや吐き出すことで幾らか救われるということもある。
黒い犬が叫び声を上げることで自らの抱える苦しみを少しでも解放しようとしているのであれば、わたしはそれに力を貸すことが重要ではないかと感じたのである。
わたしの身体が声を上げることで苦しみを少しでも解放することができているのならば、それは互いの利益に準ずるからである。
黒い犬は苦しみから解放されたい。
わたしはこの問題を解決したい。
黒い犬の目的がわたしの憶測と同じであれば、方向性は一致しているということになる。
わたしはこの状況に対してどのような対応をすれば良いのか分からなかった。
正解というものがあるのかは分からないが、どのような対応が合理的であるのかを知りたいと思った。
しかしながら、それが分からなかったので、わたしは一先ず状況を観察してみることにした。
声帯は小さく振るえ、低く小さな声を絞り出している。
声帯自体には何の痛みもないが、声は苦しそうである。
この時、わたしは黒い犬が叫ぶことによって苦しみを解放しているのではないかと考えるようになる。
これは推測でしかないが、わたしたち人間も苦しい時は叫びたくなるし、叫ぶことや吐き出すことで幾らか救われるということもある。
黒い犬が叫び声を上げることで自らの抱える苦しみを少しでも解放しようとしているのであれば、わたしはそれに力を貸すことが重要ではないかと感じたのである。
わたしの身体が声を上げることで苦しみを少しでも解放することができているのならば、それは互いの利益に準ずるからである。
黒い犬は苦しみから解放されたい。
わたしはこの問題を解決したい。
黒い犬の目的がわたしの憶測と同じであれば、方向性は一致しているということになる。
2012年5月19日土曜日
追憶 88
それはリアルな感覚であった。
意識的な世界の感覚ではなく、物質的なの世界の感覚がわたしを包んでいたのである。
わたしは少しばかり混乱していた。
なぜ、わたしが今ここにいるのかを飲み込むことができなかったのである。
心を落ち着かせながら、状況と心の整理を進めた。
すると、わたしの聴覚はある音を捉えることになる。
それは心の中の暗闇の空間で聞いた黒い犬のものと思われる声であった。
それはとても小さな声ではあったが、この場所でも確実にわたしの耳に届くのであった。
わたしはその小さな声に意識を合わせるように努めた。
すると少しずつ声の出どころが分かり始めてきた。
それは、自分自身の声帯から発せられたものであった。
わたしはどういう訳か無意識で声を上げていたのである。
これは自分自身でも驚いた。
それは、今までこのような形で身体が動いたことがなかったからである。
幼い頃は自らの意思に反して身体が動くこともあったが、それは自らの経験の範囲内での動きであった。
それは、その動きが精々今までの経験や自らの常識の範囲内でのものであったため、今回のような違和感は無かったのである。
意識的な世界の感覚ではなく、物質的なの世界の感覚がわたしを包んでいたのである。
わたしは少しばかり混乱していた。
なぜ、わたしが今ここにいるのかを飲み込むことができなかったのである。
心を落ち着かせながら、状況と心の整理を進めた。
すると、わたしの聴覚はある音を捉えることになる。
それは心の中の暗闇の空間で聞いた黒い犬のものと思われる声であった。
それはとても小さな声ではあったが、この場所でも確実にわたしの耳に届くのであった。
わたしはその小さな声に意識を合わせるように努めた。
すると少しずつ声の出どころが分かり始めてきた。
それは、自分自身の声帯から発せられたものであった。
わたしはどういう訳か無意識で声を上げていたのである。
これは自分自身でも驚いた。
それは、今までこのような形で身体が動いたことがなかったからである。
幼い頃は自らの意思に反して身体が動くこともあったが、それは自らの経験の範囲内での動きであった。
それは、その動きが精々今までの経験や自らの常識の範囲内でのものであったため、今回のような違和感は無かったのである。
2012年5月18日金曜日
追憶 87
何となくではあったものの、この声や悲しみの感情は黒い犬のものではないかと考えていた。
そう思うと、とてもかわいそうになってきた。
わたしの中には哀れみと同情が生まれていたのだった。
黒い犬に確実に近付いてきている。
声も感情も少しずつではあるものの、確実に強く大きくなっているのを感じるのである。
わたしは周囲に注意しながら進んだ。
すると、どういう訳かわたしの意識は何時の間にかに暗闇から抜け出ていた。
わたしの目の前には依然として暗闇が広がっているものの、その暗闇は心の中の暗闇とは既に違っていた。
わたしがなぜそのように思ったかと言うと、自らの輪郭(皮膚)に感覚があるからである。
意識の中にいる時には、いつの時も自らの輪郭に対する感覚は存在しなかった。
輪郭を含む自分自身のすべてが周囲の空間と溶け合っているような感覚なのである。
形はあるけれど無いような不思議な感覚である。
だから、輪郭が空気に触れている感覚を覚えるこの暗闇は、黒い犬が潜んでいる心の中の暗闇ではないと思うのである。
そう思うと、とてもかわいそうになってきた。
わたしの中には哀れみと同情が生まれていたのだった。
黒い犬に確実に近付いてきている。
声も感情も少しずつではあるものの、確実に強く大きくなっているのを感じるのである。
わたしは周囲に注意しながら進んだ。
すると、どういう訳かわたしの意識は何時の間にかに暗闇から抜け出ていた。
わたしの目の前には依然として暗闇が広がっているものの、その暗闇は心の中の暗闇とは既に違っていた。
わたしがなぜそのように思ったかと言うと、自らの輪郭(皮膚)に感覚があるからである。
意識の中にいる時には、いつの時も自らの輪郭に対する感覚は存在しなかった。
輪郭を含む自分自身のすべてが周囲の空間と溶け合っているような感覚なのである。
形はあるけれど無いような不思議な感覚である。
だから、輪郭が空気に触れている感覚を覚えるこの暗闇は、黒い犬が潜んでいる心の中の暗闇ではないと思うのである。
2012年5月17日木曜日
追憶 86
わたしは黒い犬だけに意識の焦点を合わせて、ただひたすらに距離を稼いだ。
その時、他のどのような変化に対しても心を惑わされないように注意を払った。
そのせいか、今回は長く歩くことができているように思える。
このまま進んで行けば黒い犬に辿り着けるというような根拠の無い自信のようなものが、わたしの心の中には満ちていたのだった。
わたしは黒い犬のことだけを考えて歩みを進めた。
すると、今までには無い変化がわたしを襲った。
それは声であった。
低く掠(かす)れた声のようなものがどこからとも無く聞こえてくるのである。
それは、地鳴りのようでもあり、うめき声のようでもあった。
視界の先はいつもと同じ暗闇が広がっているでけであったが、そこにこの声が響くと、何とも言えない悲しみを感じるのであった。
その時、他のどのような変化に対しても心を惑わされないように注意を払った。
そのせいか、今回は長く歩くことができているように思える。
このまま進んで行けば黒い犬に辿り着けるというような根拠の無い自信のようなものが、わたしの心の中には満ちていたのだった。
わたしは黒い犬のことだけを考えて歩みを進めた。
すると、今までには無い変化がわたしを襲った。
それは声であった。
低く掠(かす)れた声のようなものがどこからとも無く聞こえてくるのである。
それは、地鳴りのようでもあり、うめき声のようでもあった。
視界の先はいつもと同じ暗闇が広がっているでけであったが、そこにこの声が響くと、何とも言えない悲しみを感じるのであった。
2012年5月16日水曜日
追憶 85
とは言え、あの黒い犬がどこにいるのか?なんてわたしには見当も付かないことだった。
しかしながら、小さな希望の光はわたしに瞑想の新たな楽しさを教えてくれたようであった。
その日から、瞑想をするのが今まで以上に楽しみで仕方なくなったのである。
次の日、わたしは同じように部屋を暗くし、できる限りの静かな空間を作り出した。
意識を一つに束ねるためにはこの作業は欠かせなかった。
静かな部屋の中で静かに座ると、わたしはゆっくりとまぶたを閉じた。
すぐさま暗闇が視界を優しく包んだ。
わたしは身を任せるようにして暗闇へと沈んでいった。
心の中に沈んだわたしは、早速静寂を探して歩みを進めた。
すると、割りとすんなり静寂を見付け出すことできた。
その奥に進むと、黒い犬がいるであろう暗闇に繋がっている。
わたしは黒い犬を探して前進した。
しかしながら、小さな希望の光はわたしに瞑想の新たな楽しさを教えてくれたようであった。
その日から、瞑想をするのが今まで以上に楽しみで仕方なくなったのである。
次の日、わたしは同じように部屋を暗くし、できる限りの静かな空間を作り出した。
意識を一つに束ねるためにはこの作業は欠かせなかった。
静かな部屋の中で静かに座ると、わたしはゆっくりとまぶたを閉じた。
すぐさま暗闇が視界を優しく包んだ。
わたしは身を任せるようにして暗闇へと沈んでいった。
心の中に沈んだわたしは、早速静寂を探して歩みを進めた。
すると、割りとすんなり静寂を見付け出すことできた。
その奥に進むと、黒い犬がいるであろう暗闇に繋がっている。
わたしは黒い犬を探して前進した。
2012年5月15日火曜日
追憶 84
悪夢から覚めるようにして、わたしは飛び起きた。
いつもの部屋の光景に少しばかりの安心感はあったものの、どこか落ち着かない感覚が心を覆っていた。
落ち着かない心を深呼吸によって収めようとしたが、なかなか言うことを聞いてはもらえなかった。
しかしながら、わたしの中には今までには無かった一つの方向性のようなものが生まれていた。
あの黒い犬を解放することこそが必要であると強く感じるのである。
黒い犬が姿を見せたことによって、わたしの中には何となく道筋ができたような気がした。
今まではただ真っ直ぐにひたすら進んでいただけだったが、次回からは黒い犬が潜んでいるであろう場所に向かって歩みを進めたら良いのである。
あたしの中には小さな希望の光が産声を上げたようであった。
いつもの部屋の光景に少しばかりの安心感はあったものの、どこか落ち着かない感覚が心を覆っていた。
落ち着かない心を深呼吸によって収めようとしたが、なかなか言うことを聞いてはもらえなかった。
しかしながら、わたしの中には今までには無かった一つの方向性のようなものが生まれていた。
あの黒い犬を解放することこそが必要であると強く感じるのである。
黒い犬が姿を見せたことによって、わたしの中には何となく道筋ができたような気がした。
今まではただ真っ直ぐにひたすら進んでいただけだったが、次回からは黒い犬が潜んでいるであろう場所に向かって歩みを進めたら良いのである。
あたしの中には小さな希望の光が産声を上げたようであった。
2012年5月14日月曜日
追憶 83
黒い犬の姿を認識した時点から、わたしの成すべきことは決まっていた。
わたしはこの黒い犬を、この苦しみから解放してやらなければならないのだろう。
黒い犬が何に対して苦しんでいるのか?そもそも苦しんでいるのかを確信することはできないが、そこから解放するべきであると強く感じるのであった。
わたしは黒い犬のことを知る必要があった。
知らなければ、解放することなんてできないだろう。
重い身体に鞭(むち)を打って、黒い犬に対して手を伸ばした。
すると、黒い犬は自らよりも更に暗い闇にその身を溶かし始めた。
わたしはこの状況に危機感を覚え、無理矢理に手を伸ばした。
しかしながら、わたしの思いとは裏腹に身体は思うように言うことを聞いてはくれなかった。
視界が滲(にじ)むようにして世界が歪む。
立ちくらみのような感覚と共に視界が潰されていく。
黒い犬が遠ざかるのと同時に意識が遠ざかっていくようである。
そして、わたしは視界を失った。
そこにはただ、夜の闇よりも深い暗闇が広がっているだけであった。
わたしはこの黒い犬を、この苦しみから解放してやらなければならないのだろう。
黒い犬が何に対して苦しんでいるのか?そもそも苦しんでいるのかを確信することはできないが、そこから解放するべきであると強く感じるのであった。
わたしは黒い犬のことを知る必要があった。
知らなければ、解放することなんてできないだろう。
重い身体に鞭(むち)を打って、黒い犬に対して手を伸ばした。
すると、黒い犬は自らよりも更に暗い闇にその身を溶かし始めた。
わたしはこの状況に危機感を覚え、無理矢理に手を伸ばした。
しかしながら、わたしの思いとは裏腹に身体は思うように言うことを聞いてはくれなかった。
視界が滲(にじ)むようにして世界が歪む。
立ちくらみのような感覚と共に視界が潰されていく。
黒い犬が遠ざかるのと同時に意識が遠ざかっていくようである。
そして、わたしは視界を失った。
そこにはただ、夜の闇よりも深い暗闇が広がっているだけであった。
2012年5月13日日曜日
追憶 82
やはり、すぐに限界は訪れた。
これ以上先へ進めなくなったわたしはその場に膝(ひざ)から崩れ落ちた。
その時、何者かの気配を感じて顔を上げると、そこには暗闇に紛れるようにして黒い犬?のような顔が浮いているのが分かった。
暗闇の中にぼんやりと浮かんでいるので定かではないが、あれはきっと黒い犬に違いないと思うのだった。
それも歯をむき出しにしてわたしを威嚇しているようである。
この黒い犬がわたしを拒絶しているのだろうか?
黒い犬はとても大きな傷や苦しみを抱えているように思える。
傷付いた犬が人間を信用できなくなっているように、わたしのことを嫌い、拒絶しているのだろう。
なぜ、この黒い犬はこのように怒っているのであろう?
何故、このように苦しんでいるのであろうか?
わたしはこの黒い犬がどういう訳かとても愛おしく思えた。
他人とは思えないような変な親近感である。
なぜそのように思ったのかは分からなかったが、わたしの心はそのように告げるのである。
これ以上先へ進めなくなったわたしはその場に膝(ひざ)から崩れ落ちた。
その時、何者かの気配を感じて顔を上げると、そこには暗闇に紛れるようにして黒い犬?のような顔が浮いているのが分かった。
暗闇の中にぼんやりと浮かんでいるので定かではないが、あれはきっと黒い犬に違いないと思うのだった。
それも歯をむき出しにしてわたしを威嚇しているようである。
この黒い犬がわたしを拒絶しているのだろうか?
黒い犬はとても大きな傷や苦しみを抱えているように思える。
傷付いた犬が人間を信用できなくなっているように、わたしのことを嫌い、拒絶しているのだろう。
なぜ、この黒い犬はこのように怒っているのであろう?
何故、このように苦しんでいるのであろうか?
わたしはこの黒い犬がどういう訳かとても愛おしく思えた。
他人とは思えないような変な親近感である。
なぜそのように思ったのかは分からなかったが、わたしの心はそのように告げるのである。
2012年5月12日土曜日
追憶 81
わたしは空間から引き戻される間際に見たものについて考えていた。
しかしながら、いくら考えたとしても、何かを見たのは覚えているもの、それが何だったかということまでは思い出すことができなかった。
次の日もわたしは瞑想を試みた。
どうしてもわたしの中のあの空間のことが気になって仕方がないのである。
部屋をできるだけ暗くし、ベッドの上で目を閉じて静かに座った。
できる限りのリラックス状態を目指し、意識のどこにあるとも分からない静寂を探した。
どのくらいの時間を有したのかは分からないが、わたしはいつの間にかに静寂の中へと辿り着いていた。
いつもの暗い空間がわたしを出迎えている。
相も変わらず、暗闇はわたしを拒絶していた。
それもいつものことだと思いながら先へと進むのだった。
直ぐ様、身体や心が重くなる。
しかし、それに構わずに先を目指す。
より先へ進もうと思えば、そんなことを気にしている余裕と時間はないのである。
どうせ又、すぐに先へは進めなくなる。
それを分かっていたから、わたしは半分意地になってがむしゃらに足を運んだのだ。
しかしながら、いくら考えたとしても、何かを見たのは覚えているもの、それが何だったかということまでは思い出すことができなかった。
次の日もわたしは瞑想を試みた。
どうしてもわたしの中のあの空間のことが気になって仕方がないのである。
部屋をできるだけ暗くし、ベッドの上で目を閉じて静かに座った。
できる限りのリラックス状態を目指し、意識のどこにあるとも分からない静寂を探した。
どのくらいの時間を有したのかは分からないが、わたしはいつの間にかに静寂の中へと辿り着いていた。
いつもの暗い空間がわたしを出迎えている。
相も変わらず、暗闇はわたしを拒絶していた。
それもいつものことだと思いながら先へと進むのだった。
直ぐ様、身体や心が重くなる。
しかし、それに構わずに先を目指す。
より先へ進もうと思えば、そんなことを気にしている余裕と時間はないのである。
どうせ又、すぐに先へは進めなくなる。
それを分かっていたから、わたしは半分意地になってがむしゃらに足を運んだのだ。
2012年5月11日金曜日
追憶 80
しかしながら、またしても限界が来てしまう。
どのように奮起したとしても、それより先には進むことができそうにはなかった。
足が重たい。
重たいと言うよりは、地面に引き込まれるような感覚である。
全身を怠(だる)さが容赦なく襲ってくる。
視界は歪み、自力では立っていられなくなり、又もやその場に崩れ落ちそうになるのを必死で堪えていた。
それは、まるで激しい立ち眩みのようだった。
しかしながら、その状態をそれ以上支えることは困難だった。
わたしはその苦しみに屈し、その場に倒れ込んでしまった。
その時、わたしは視界の端で暗闇の先に何かの形を見た気がした。
気が付くと、わたしはいつもの見慣れた風景の中に座っていた。
又も瞑想から引きずり出されたようである。
あの空間は一体何なのだろう?
進む程に、わたしの中の疑問はまるで癌細胞のように頭の中で膨れ上がるのだった。
どのように奮起したとしても、それより先には進むことができそうにはなかった。
足が重たい。
重たいと言うよりは、地面に引き込まれるような感覚である。
全身を怠(だる)さが容赦なく襲ってくる。
視界は歪み、自力では立っていられなくなり、又もやその場に崩れ落ちそうになるのを必死で堪えていた。
それは、まるで激しい立ち眩みのようだった。
しかしながら、その状態をそれ以上支えることは困難だった。
わたしはその苦しみに屈し、その場に倒れ込んでしまった。
その時、わたしは視界の端で暗闇の先に何かの形を見た気がした。
気が付くと、わたしはいつもの見慣れた風景の中に座っていた。
又も瞑想から引きずり出されたようである。
あの空間は一体何なのだろう?
進む程に、わたしの中の疑問はまるで癌細胞のように頭の中で膨れ上がるのだった。
2012年5月10日木曜日
追憶 79
次の日もわたしは瞑想によってあの空間を目指した。
うまく辿り着くことができたわたしは、同じように暗闇を掻き分けながら奥へと進んだ。
やはり、進むに連れて心が重たくなっていくのを感じる。
先へ進むことに対して気が進まないのである。
しかしながら、先へ進むことが必要であると確信していたので、どのような困難が待ち構えていようともそれを乗り越えて進んで行こうと決心していた。
しかしながら、わたしの決心をあざ笑うかのように道のりは険しいものとなる。
一歩を踏み出す度に、もうこれ以上進みたくはないと思ってしまうのである。
心がこの先を拒絶しているのである。
一体この先に何が待っているというのだろう。
わたしにとってこの先に待ち構えているものは、それ程強大なものなのであろうか?
沈み行く心を支えつつも、わたしは一歩でも先へと足を運んだ。
うまく辿り着くことができたわたしは、同じように暗闇を掻き分けながら奥へと進んだ。
やはり、進むに連れて心が重たくなっていくのを感じる。
先へ進むことに対して気が進まないのである。
しかしながら、先へ進むことが必要であると確信していたので、どのような困難が待ち構えていようともそれを乗り越えて進んで行こうと決心していた。
しかしながら、わたしの決心をあざ笑うかのように道のりは険しいものとなる。
一歩を踏み出す度に、もうこれ以上進みたくはないと思ってしまうのである。
心がこの先を拒絶しているのである。
一体この先に何が待っているというのだろう。
わたしにとってこの先に待ち構えているものは、それ程強大なものなのであろうか?
沈み行く心を支えつつも、わたしは一歩でも先へと足を運んだ。
2012年5月9日水曜日
追憶 78
進む先に何かの答えが用意されていると信じていたからである。
わたしは心の中に沸き上がる感情を一つ一つ制するようにして先へ進んだ。
しかし、ここで足が異様に重たくなっていることに気が付いた。
そう言えば「体」も重たいように感じる。
全身に鉛を装着して歩いているような感覚である。
心が憂鬱になるから「体」が重たくなるのか?とも考えたが、どことなくそれとは違うような気がしていた。
わたしの問題ではなく、この空間そのものがわたしを寄せ付けないようにしているのではないか?と思えるのである。
ここより先は強い拒絶のような思いが道を塞いでいた。
努めてはみたものの、ついにわたしはそこから一歩も足を運ぶことができなくなってしまった。
わたしは重たい体を持て余して、その場に腰を下ろすことに決めた。
重たくなった体がその場に勢い良く倒れ込む。
すると、何かがいきなりわたしの体を掴み、今来た道を引きずり戻されるような感覚と共に目が覚めていた。
目が開くといつもの部屋の風景。
何の変哲もない。
わたしは目頭を押さえて軽く頭を左右に振った。
暗闇の空間で溜まった価値観や感情を振り払おうとしたのである。
わたしは心の中に沸き上がる感情を一つ一つ制するようにして先へ進んだ。
しかし、ここで足が異様に重たくなっていることに気が付いた。
そう言えば「体」も重たいように感じる。
全身に鉛を装着して歩いているような感覚である。
心が憂鬱になるから「体」が重たくなるのか?とも考えたが、どことなくそれとは違うような気がしていた。
わたしの問題ではなく、この空間そのものがわたしを寄せ付けないようにしているのではないか?と思えるのである。
ここより先は強い拒絶のような思いが道を塞いでいた。
努めてはみたものの、ついにわたしはそこから一歩も足を運ぶことができなくなってしまった。
わたしは重たい体を持て余して、その場に腰を下ろすことに決めた。
重たくなった体がその場に勢い良く倒れ込む。
すると、何かがいきなりわたしの体を掴み、今来た道を引きずり戻されるような感覚と共に目が覚めていた。
目が開くといつもの部屋の風景。
何の変哲もない。
わたしは目頭を押さえて軽く頭を左右に振った。
暗闇の空間で溜まった価値観や感情を振り払おうとしたのである。
2012年5月8日火曜日
追憶 77
わたしは暗闇の中を手探りで進んだ。
うめき声とその感情が存在しているであろう場所に対してである。
進む程に闇は深まり、どういう訳か心が憂鬱(ゆううつ)になっていく。
孤独感が胸を締め付け、これより先に進むことを拒んでいるようであった。
わたしは進まない方が良いのだろうか?
このまま進んで帰ってくることができるのだろうか?
わたしの思考は不安ばかりを生産していた。
どのように自分をコントロールしようとも、心は塞ぎ込もうとするのである。
しかしながら、心のどこかでは真っ直ぐに進むことが必要であると思っている自分がいるのである。
わたしの中には様々な葛藤が生み出されていたが、どれを選択すれば良いのかは分からなかった。
しかし、わたしの心境に反して足は前へと踏み出されている。
先へ進むという選択が正しいことなのだろうか?
わたしにはその答えは分からなかった。
足が進むというのならば、それが正しいのだろう。
わたしは暗闇を掻き分けるようにして奥へと進んだ。
うめき声とその感情が存在しているであろう場所に対してである。
進む程に闇は深まり、どういう訳か心が憂鬱(ゆううつ)になっていく。
孤独感が胸を締め付け、これより先に進むことを拒んでいるようであった。
わたしは進まない方が良いのだろうか?
このまま進んで帰ってくることができるのだろうか?
わたしの思考は不安ばかりを生産していた。
どのように自分をコントロールしようとも、心は塞ぎ込もうとするのである。
しかしながら、心のどこかでは真っ直ぐに進むことが必要であると思っている自分がいるのである。
わたしの中には様々な葛藤が生み出されていたが、どれを選択すれば良いのかは分からなかった。
しかし、わたしの心境に反して足は前へと踏み出されている。
先へ進むという選択が正しいことなのだろうか?
わたしにはその答えは分からなかった。
足が進むというのならば、それが正しいのだろう。
わたしは暗闇を掻き分けるようにして奥へと進んだ。
2012年5月7日月曜日
追憶 76
感情とは複雑なものである。
表面的には一つのものに見えていたとしても、その深部には複雑さを抱えている。
感情と向き合う時に正面から向き合うことは危険である。
それは見た目がすべてではないからである。
見た目など本の一部に過ぎないだろう。
それは店舗の看板のようなものである。
看板に惹(ひ)かれて入店しても、そこに自らの想像するメニューが並んでいるかと言えばそうではないであろう。
焼肉店の一番人気がラーメンかも知れない。
それは稀なことではあるかも知れないが、感情とはそういうものではないだろうか?
怒っている人が怒っているとは限らない、その怒りは悲しみによって生み出されたものかも知れない。
感情とは変化球そのものであろう。
真っ暗で寂しい空間に木霊するうめき声も、表立った怒りは感じるものの、それが本質ではないように思える。
わたしはうめき声に対して意識を合わせ、その感情の本質を探ろうと努めた。
表面的には一つのものに見えていたとしても、その深部には複雑さを抱えている。
感情と向き合う時に正面から向き合うことは危険である。
それは見た目がすべてではないからである。
見た目など本の一部に過ぎないだろう。
それは店舗の看板のようなものである。
看板に惹(ひ)かれて入店しても、そこに自らの想像するメニューが並んでいるかと言えばそうではないであろう。
焼肉店の一番人気がラーメンかも知れない。
それは稀なことではあるかも知れないが、感情とはそういうものではないだろうか?
怒っている人が怒っているとは限らない、その怒りは悲しみによって生み出されたものかも知れない。
感情とは変化球そのものであろう。
真っ暗で寂しい空間に木霊するうめき声も、表立った怒りは感じるものの、それが本質ではないように思える。
わたしはうめき声に対して意識を合わせ、その感情の本質を探ろうと努めた。
2012年5月6日日曜日
追憶 75
静寂の中に微かな音が投じられた。
それはとても小さなものではあったが、わたしの静寂を乱すには十分なものだった。
静かな水面に投じられた小石は小さな波紋を作り出す。
それはとても小さな波紋である。
しかしながら、それは時間と共に大きくなり、やがては水面を覆い尽くさんばかりに広がりをみせる。
静寂の中に投じられた微かな音も、それと同じように大きく広がり、わたしの静寂を引き裂いてしまったのだった。
静寂は大きく波打ち、やがてその姿を消し去った。
わたしは静寂から無理矢理に引き離され、真っ暗で寂しさを覚えるような空間に投げ出された。
そこにはあの音が小さく木霊(こだま)していた。
それは、昨日聞いたうめき声だった。
真っ暗で寂しい空間にあのうめき声が鳴り響いているのである。
それはいろんな感情を含んだうめき声に聞こえた。
悲しみは勿論のこと、強烈な怒り、どうしようもない寂しさ、そして空しさ・・・
一つのうめき声ではあるものの、そこにはたくさんの感情がこもっていることに気が付いた。
それはとても小さなものではあったが、わたしの静寂を乱すには十分なものだった。
静かな水面に投じられた小石は小さな波紋を作り出す。
それはとても小さな波紋である。
しかしながら、それは時間と共に大きくなり、やがては水面を覆い尽くさんばかりに広がりをみせる。
静寂の中に投じられた微かな音も、それと同じように大きく広がり、わたしの静寂を引き裂いてしまったのだった。
静寂は大きく波打ち、やがてその姿を消し去った。
わたしは静寂から無理矢理に引き離され、真っ暗で寂しさを覚えるような空間に投げ出された。
そこにはあの音が小さく木霊(こだま)していた。
それは、昨日聞いたうめき声だった。
真っ暗で寂しい空間にあのうめき声が鳴り響いているのである。
それはいろんな感情を含んだうめき声に聞こえた。
悲しみは勿論のこと、強烈な怒り、どうしようもない寂しさ、そして空しさ・・・
一つのうめき声ではあるものの、そこにはたくさんの感情がこもっていることに気が付いた。
2012年5月5日土曜日
追憶 74
わたしはその小さな意思を追ったが、それは一瞬の間に深い闇の中にその姿を溶け込ませてしまった。
小さな意思がいた場所には深い闇が存在するばかりだった。
わたしはいつの間にかにまぶたが開いていたことを覚えている。
そこにはいつもと変わらない部屋の景色が広がっていた。
わたしは自らの内的世界から弾き出されたような妙な気分だった。
あのうめき声と小さな意思は一体何だったのだろう?
二つはどこか似ていて同じもののようにも思える。
しかしながら、それが何もので、何を表しているのかは分からなかった。
もう一度目を閉じてはみたものの、自らの中に辿り着くことはできなかった。
次の日も瞑想をした。
しばらくして静寂が心を包んだ。
わたしは心地の良い時間を味わっていた。
それはとても爽快であり、すべての苦しみを癒してくれるような素敵な時間だった。
しかし、その時間はいつの間にかに浸食されていくのである。
小さな意思がいた場所には深い闇が存在するばかりだった。
わたしはいつの間にかにまぶたが開いていたことを覚えている。
そこにはいつもと変わらない部屋の景色が広がっていた。
わたしは自らの内的世界から弾き出されたような妙な気分だった。
あのうめき声と小さな意思は一体何だったのだろう?
二つはどこか似ていて同じもののようにも思える。
しかしながら、それが何もので、何を表しているのかは分からなかった。
もう一度目を閉じてはみたものの、自らの中に辿り着くことはできなかった。
次の日も瞑想をした。
しばらくして静寂が心を包んだ。
わたしは心地の良い時間を味わっていた。
それはとても爽快であり、すべての苦しみを癒してくれるような素敵な時間だった。
しかし、その時間はいつの間にかに浸食されていくのである。
2012年5月4日金曜日
追憶 73
わたしは声の出所を探した。
しかしながら、意識がぼんやりとしていてそれに集中することが難しかった。
わたしは詮索することを一旦は諦めて、自分自身に集中することに努めた。
すると、わたしは自らの肉体が自らの意思に反して動いていることに気が付いた。
声はわたしから出ているものだったのだ。
わたしの肉体は何故か天を仰いでいる。
そして、その声帯は静かに振動している。
これは一体どういうことなのだろう?
自分の肉体が自分の意志に反して動くことなんて今までにあっただろうか?
何かの拍子に反射的に動くことはあっても、それは一瞬のことである。
それはとても自然的であり、そこに違和感や疑問を覚えたことはなかった。
しかしながら、今回はそれとは明らかに違っている。
自らの意思によってではなく肉体が動く時間が長過ぎるのだ。
天を仰ぐ顔は口を大きく開けている。
そこから低いうめき声のように聞こえる小さな音が漏れている。
それが何なのかは分からない。
ずっと上を向いているので首が痛くなってきた。
すると、一瞬ではあるが、わたしの中に何か小さな意思のようなものを感じた。
それは普段から知っている自分自身の意思とは異なる「形」をしているものだった。
しかしながら、意識がぼんやりとしていてそれに集中することが難しかった。
わたしは詮索することを一旦は諦めて、自分自身に集中することに努めた。
すると、わたしは自らの肉体が自らの意思に反して動いていることに気が付いた。
声はわたしから出ているものだったのだ。
わたしの肉体は何故か天を仰いでいる。
そして、その声帯は静かに振動している。
これは一体どういうことなのだろう?
自分の肉体が自分の意志に反して動くことなんて今までにあっただろうか?
何かの拍子に反射的に動くことはあっても、それは一瞬のことである。
それはとても自然的であり、そこに違和感や疑問を覚えたことはなかった。
しかしながら、今回はそれとは明らかに違っている。
自らの意思によってではなく肉体が動く時間が長過ぎるのだ。
天を仰ぐ顔は口を大きく開けている。
そこから低いうめき声のように聞こえる小さな音が漏れている。
それが何なのかは分からない。
ずっと上を向いているので首が痛くなってきた。
すると、一瞬ではあるが、わたしの中に何か小さな意思のようなものを感じた。
それは普段から知っている自分自身の意思とは異なる「形」をしているものだった。
2012年5月3日木曜日
追憶 72
瞑想の方法も少しずつではあるが変化してきたように思える。
今までは無駄に力が入っていたが、その余計な力が少しずつ抜けてきているような感覚があった。
上手く表現することはできないが、「柔らかく」なってきたように思えるのである。
その影響があるのか、内側に存在している静寂に辿り着くことが以前に比べて多くなったようだった。
瞑想をしていても心地の良い時間が増えていた頃でもあった。
静寂の中にいる時だけは辛い腰痛を忘れることができた。
しかしながら、わたしが味わうことのできる穏やかさはすぐに消え去ることとなった。
ある日のこと、一人自室で瞑想していると、どこからともなく人の?低い声が聞こえてくるのに気が付いた。
遠くで聞こえるその声は、水中で聞く音のようにぼんやりとしていて内容までも聞き取ることはできなかった。
しかし、その声を聞くとどこか懐かしいような感覚も芽生える。
わたしはその声がどこから届いてくるのか、次第に気になるようになっていた。
今までは無駄に力が入っていたが、その余計な力が少しずつ抜けてきているような感覚があった。
上手く表現することはできないが、「柔らかく」なってきたように思えるのである。
その影響があるのか、内側に存在している静寂に辿り着くことが以前に比べて多くなったようだった。
瞑想をしていても心地の良い時間が増えていた頃でもあった。
静寂の中にいる時だけは辛い腰痛を忘れることができた。
しかしながら、わたしが味わうことのできる穏やかさはすぐに消え去ることとなった。
ある日のこと、一人自室で瞑想していると、どこからともなく人の?低い声が聞こえてくるのに気が付いた。
遠くで聞こえるその声は、水中で聞く音のようにぼんやりとしていて内容までも聞き取ることはできなかった。
しかし、その声を聞くとどこか懐かしいような感覚も芽生える。
わたしはその声がどこから届いてくるのか、次第に気になるようになっていた。
2012年5月2日水曜日
追憶 71
それからのわたしは、自らの中に静寂を探すのはもちろん、それと同時に「自分自身」を探すことにした。
今までは外に探していた自分を内に探そうというのである。
わたしにとってそれは挑戦だった。
今までにはなかったアプローチだからである。
これまでの人生で後悔ばかりを繰り返してきたわたしは自分に自信が無かったし、決して好きではなかった。
自分の嫌いなところばかりを知っていて、良いところはほとんど知らなかった。
わたしがこれからするべきことは、自らの良いところをもっと良く知り、それを以て過去と向き合うことであると、そう思っていた。
自分の過去が後悔という形で取り残されているのは、これから志す道に対して良くないことだと思えたのである。
進む道を極めるためには自分の状態が大切である。
「自分自身」を知らない者は道を達することはできない。
それと同じように、自分の状態を管理できないような者は道を行くことはできないのである。
今までは外に探していた自分を内に探そうというのである。
わたしにとってそれは挑戦だった。
今までにはなかったアプローチだからである。
これまでの人生で後悔ばかりを繰り返してきたわたしは自分に自信が無かったし、決して好きではなかった。
自分の嫌いなところばかりを知っていて、良いところはほとんど知らなかった。
わたしがこれからするべきことは、自らの良いところをもっと良く知り、それを以て過去と向き合うことであると、そう思っていた。
自分の過去が後悔という形で取り残されているのは、これから志す道に対して良くないことだと思えたのである。
進む道を極めるためには自分の状態が大切である。
「自分自身」を知らない者は道を達することはできない。
それと同じように、自分の状態を管理できないような者は道を行くことはできないのである。
2012年5月1日火曜日
追憶 70
夢を持たない人間は必ず人生に迷う。
先へ進もうと足掻いても、夢がなければ進めない。
夢や理想を実現させようとする気持ちが「自分自身」を知る切っ掛けを作り出してくれるような気がするのだ。
わたしの悩みの性質は明らかに変わってきていた。
今までは状況や環境などに対する表面的且つ破滅的な悩みばかりだった。
わたしは「自分自身」を知ることを知らなかった。
「自分自身」を知ろうとしていなかったわたしは、受け取る必要のない失敗を何度も繰り返し、自らに後悔ばかりを覚えさすような選択ばかりをしていたのだった。
そこに成長は感じられなかった。
「自分自身」を知らずに(知ろうとせずに)生きるということは、人生にとって効率の悪いものであると強く感じていた。
「自分自身」を知ることがなければ、どのような夢に向かっても進むことはできないと思ったのである。
わたしはその時点で意識的な世界の「道」を極めようという夢を持っていたが、「自分自身」のことを知らないわたしがそれを実現させることは不可能なことなのである。
「自分自身」を知らない者は、道に対して自分という存在がどのように貢献することができるのかを知る由もない。
道に対する貢献こそが夢を実現させる唯一の方法なのではないだろうか?
だからわたしは「自分自身」を知る必要があったのである。
先へ進もうと足掻いても、夢がなければ進めない。
夢や理想を実現させようとする気持ちが「自分自身」を知る切っ掛けを作り出してくれるような気がするのだ。
わたしの悩みの性質は明らかに変わってきていた。
今までは状況や環境などに対する表面的且つ破滅的な悩みばかりだった。
わたしは「自分自身」を知ることを知らなかった。
「自分自身」を知ろうとしていなかったわたしは、受け取る必要のない失敗を何度も繰り返し、自らに後悔ばかりを覚えさすような選択ばかりをしていたのだった。
そこに成長は感じられなかった。
「自分自身」を知らずに(知ろうとせずに)生きるということは、人生にとって効率の悪いものであると強く感じていた。
「自分自身」を知ることがなければ、どのような夢に向かっても進むことはできないと思ったのである。
わたしはその時点で意識的な世界の「道」を極めようという夢を持っていたが、「自分自身」のことを知らないわたしがそれを実現させることは不可能なことなのである。
「自分自身」を知らない者は、道に対して自分という存在がどのように貢献することができるのかを知る由もない。
道に対する貢献こそが夢を実現させる唯一の方法なのではないだろうか?
だからわたしは「自分自身」を知る必要があったのである。
登録:
投稿 (Atom)