わたしが自らの問題を解決するためには、心や人格の歪みを正す必要があった。
それを実現させるためには、心や人格が存在している自らの内部に向かう必要がある。
そして、その副産物として生み出される意識的な視点はわたしを理想へと導いてくれる。
わたしにとってそれは一石二鳥であった。
確信は無かったが、腰痛が治るのと同時に霊の姿を捉えることが出来るのである。
わたしは来る日も来る日も瞑想と腰の治療と金縛りに会うように励んだ。
その成果もあって、金縛りには度々会うようになっていった。
もう一つ面白い金縛りを紹介しよう。
ある日、眠りに就いていたわたしは眠っているにも関わらず、外が騒がしいと考えていた。
感じていたのではなく、考えていたのである。
裏山の方向から何かザワザワとしたものが近付いて来ている。
わたしは自分が睡眠状態にあると分かっていた。
表現がおかしいが、自らが睡眠状態であるということがどういう訳か自身で客観的に理解することが出来るのである。
寝ぼけていたのとは違う。
なぜなら、自らが寝ている部屋の外の景色が頭の中に映し出されるのである。
記憶が脳内で紡がれたのとは違い、そこにはリアルな感覚があった。
月明かりだけが頼りなので怪しいところだが、裏山の方向を見ても特に変わったところは無いように思える。
何かザワザワとしたものがこちらに近付いて来ているような漠然とした感覚である。
しかしながら、そこには漠然とした不安感が存在していた。
裏山の方向から飛んで来ていると思われるザワザワの正体を知ろうとすると、言いようの無い不安が胸を締め付けた。
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