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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2012年3月11日日曜日

追憶 19

愛媛に帰ったなら、家業である養殖漁業の仕事をしなければならないと考えていた。
父親が一人で切り盛りしているため、少しでも力になれると思ったし、自然に触れる仕事がしたかったのである。
わたしが生まれ育った北灘という地区は、北灘湾という湾を取り囲むように人の生活がある。
古くは鰯漁が盛んだった漁村である。
1950年代には真珠養殖が始まり、その後ブリや真鯛などの海面漁業が盛んになった。
わたしの家も祖父の代からその流れに沿ってきた。
鰯漁も、真珠養殖も、真鯛養殖も生業とした。
わたしには真珠養殖の記憶は無いものの、鰯漁と真鯛養殖は継続していた。
わたしはそれを手伝わなければならないと考えていたのである。
わたしが帰ったのは7月の頭。
20日には北灘湾に感謝を捧げる「わだつみ祭り(20日祭り)」がある。
鰯漁を生業として来た網主と呼ばれる人たちの祭りで、大漁旗や登りを立てた漁船に神輿を乗せて湾内を巡る。
そして、神輿を海に投げ込んだ後、陸に上げて祝詞と感謝を捧げる。
わたしの家も鰯漁を生業として来た網主であるため、わだつみ祭りには深い関わりと思い出があった。
わたしが帰った年はたまたまわたしの家がわだつみ祭りの当番なっていた。
わたしが12歳の時に当たってから、9年ぶりの担当である。
わたしはそれを知らずにいたため、実家に帰ってそれを知った時には懐かしさと嬉しさが込み上げてきたものである。
わたしは海を見たくなった。
小学生の頃は祖父と父と兄と弟と共によく海に出ていた。
鰯漁や養殖の仕事に付き添って行ったものである。
中学生になると、部活やらで海に出ることも海に対する関心も無くなっていた。
だから久々に北灘の海を感じたくなったのである。
昔の心に触れるようで楽しみであった。

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