先天的にすべての人は霊や心などの意識的な存在を認識する能力を持っている。
しかしながら、多くの人が成長過程においてその能力を潰してしまう。
赤ちゃんや幼児が大人には見えないものを認識したり、相手の心を掴んですぐに友達関係を結ぶことが出来るのは、打算や引け目などの物質的な視点ではなく、意識的な視点によって世界や相手を捉えることが出来ているからであろう。
長く生きるに連れて、人は様々な欲望に支配され、やがては意識的な視点という先天的な能力を自らの選択によって潰してしまうのである。
それは、ある意味では自らの存在を否定し、歪めていると言えるのではないだろうか?
わたしは様々な欲望を抱えている。
そのほとんどが自己に向けられた利己的な欲望である。
そのため、わたしは幼い頃からたくさんの人を傷付けてきた。
様々な感情を爆発させてきた。
様々な悪事を働いてきた。
様々な人に迷惑を掛け、様々な人に愛想を尽かされた。
自らの心もたくさん傷付き、その人格は歪んでしまった。
わたしの中には改善しなければならない様々な問題が存在しているのである。
しかしながら、人は愚かなもので、どうしても乗り越えられないような大きな困難によって苦しめられなければ、自らの抱えている問題について考えようとはせず、ましてやそれを改善しようともしないのである。
そして、問題を先延ばしにして、どうしようもない状況へと自らを追い込んでしまうのだ。
わたしの腰痛という状況も、わたしにとっては自らの心の歪みが導き出した致命的な問題であったのである。
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