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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2012年3月14日水曜日

追憶 22

わたしは東京から帰って間もなかったし、まだ養殖漁業の仕事をする頭に切り替わってはいなかったが、緊急事態であるためにロープの結び方もうろ覚えな状態で父が運転する船に乗って沖を目指した。
他のたくさんの船も同じように沖を目指していた。
船は水面を切るように進む。
その時に濃度の濃い赤潮はバタバタと音を立てて水面を叩く。
それはまるで濡れタオルで水面を叩いているような音であった。
それにエンジン音が加わると何しろうるさくて、まともに会話をしようとは思えなかった。
漁場に到着すると、多くの船が既に作業を開始していた。
少しでも水深があり、少しでも赤潮の濃度の薄い場所に養殖筏を移動させようというのである。
養殖筏は、10〜12m四方の大小様々な鉄の枠に金網やポリエステル製の網を張り、その中で魚を飼育している。
それが流されないように一つに連結させ、更には八方に錨(いかり)を打ち込んでいる。
養殖筏を移動させるためには、すべての錨を回収し、筏と筏との連結を解除しなければならなかった。
それはかなり大変なことであった。
話を聞くと赤潮の影響で魚が死んだそうだ。
それでこの騒ぎなのである。
わたしたちは現時点において自分のところに被害が無さそうだったので、既に筏を移動する作業に入っている人たちのことを手伝うことにした。
そして、何とか移動作業を終えて魚を殺すこと無く赤潮を無事に乗り切ることが出来たのである。
わたしは赤潮騒動を機に、養殖漁業の仕事をしようと頭を切り替えたのである。

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