このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2012年3月18日日曜日

追憶 26

わたしの興味は心霊に向けられていた。
それはわたしの興味を物質から意識。
頭(思考)から胸(心)。
外側から内側。
常識から非常識。
既知から未知。
肉体から魂へと変化させていったのであった。
わたしは相変わらず腰痛を抱えながら仕事を続けていたが、その中で心霊に対する興味は強くなる一方であった。
わたしは宗教や仏教などに興味はなかった。
あれは不自然であると思うからである。
わたしが興味をそそられるものは、もっと自然的で、もっと「柔らかいもの」なのであった。
宗教が神と呼ぶものは実際に見たことが無いので信じないが、何か大きなものがこの世界と自らの中に存在しているのではないかと感じることはあった。
それは宗教が言う神であるかも知れないが、自分自身で確認したことではないので信じることが出来なかったのである。
わたしの中と外の世界に存在している得体の知れない何か大きなものの存在…
それがわたしの中に何かモヤモヤとしたものを残していた。
わたしはそれを自分自身の目で、耳で、肌で、何より心で感じたいと強く思った。
わたしの中のモヤモヤした気持ちを定義したかったのである。
そのためには、眼球では捉えられないものを捉える必要性を感じていた。
それを実現させるためには、「心の目」を鍛えなければならないと思った。
惑星を捉えるのならば天体望遠鏡。
微生物を捉えるのならば顕微鏡。
心霊や神と呼ばれるものを捉えるのならば、それと同質だと思われる「心の目」が必要なのではないかと考えたのである。
それはツール的な感覚だった。
しかしながら、そんなものを確信している訳ではない。
もしも「心の目」が実際に存在したとしても、だいたい、それがどこに在るのか?どうやれば扱うことが出来るのか? そんなことは全く分からなかったのである。

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