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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2016年5月24日火曜日

追憶 1352

それは、人を不幸にする。
”神”からのプレゼントを生かしてこその幸福なのだ。
わたしはRの前途を祝福し、その能力を伸ばそうと考えた。
我が子ではないので、そのように考えられると思う人もいるかも知れないが、自分のことだろうが、人のことだろうが、わたしには変わりないのである。
わたしは自分が苦しんでも喜んでも良い。
他人が苦しんでも喜んでも良いのである。
それは、そこに”神”の意思のようなものが存在し、物事を最善としていることが分かるからである。
Rの家族は彼を哀れんだ。
わたしは彼を祝福した。
それぞれの受け取る結果は、それぞれの立場に従って違うものになるのであった。

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