わたしも今回の名前を自分で決めた。
赤ん坊もそれと同じであろう。
わたしは真(まこと)という名前を満足している。
両親は真司(しんじ)と付けたかったが、それではわたしの名前の意味が無いのである。
それは、真を見て、真を聞き、真を行い、真を生きるためである。
これと同じように、赤ん坊にも何かしらの目的のために名前を必要としているのであろう。
名前が人生を決めるのではない。
名前は、人生の目的を忘れないための指標なのである。
赤ん坊は、生まれた後に人生の目的を忘れないため、例えそれを忘れても思い出すために名前を残したいと思っているのである。
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