光の天秤 -自叙伝-
このブログについて
自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。
2016年5月31日火曜日
追憶 1359
それを見て、他の者が賞賛(しょうさん)の声を上げた。
拍手が場を包んだ。
彼は誇らしげに皆を見渡し、自分の功績に満足しているようであった。
「皆で、自分よりも困っている人に施(ほどこ)そう。わたしたちにはそれが許されている」
彼が高らかに言い放つと、次の者が進み出た。
そこで、わたしは視界が滲(にじ)むのに気が付いた。
わたしはもうここにはいられない。
時間が無いのだろう。
その時、再び賞賛の声が上がった。
しかし、それは遠くに聞こえた。
2016年5月30日月曜日
追憶 1358
わたしは彼等が何を話しているのかを気にした。
すると、次の瞬間には彼等の近くにいた。
そこには、30人くらいの赤ちゃんと赤ちゃん天使がいた。
皆、中心を向いて集っている。
何かの話し合いをしているようであった。
その時、一人の赤ちゃんが輪を離れて中心に向かった。
”彼”は強い意思を秘めた眼差しをしている。
皆の前に立つ彼は、自信に満ちていた。
「わたしは、わたしよりも困っている人のために両の中指を寄付する」
彼は高らかに宣言し、中指を差し出した。
2016年5月29日日曜日
追憶 1357
赤ちゃん達は楽しそうに飛び回っていた。
誰もが自由であり、喜びを称(たた)えているようである。
わたしはその光景を微笑ましく眺めていた。
湖は青い光を放ち、そこに地球が沈んでいるように見えたが、気のせいかも知れない。
”幸せ”がわたしを囲んでいたので、細かいところまでは気にならなかった。
すると、頭上の遥か先に気になる雲があることに気が付いた。
その雲がわたしを呼んでいるような気がする。
次の瞬間、わたしは空中に浮かび、雲を見下ろすような場所にいた。
湖の辺(ほとり)にいる時には雲に見えていたものは雲ではなかった。
それは、赤ちゃんと赤ちゃん天使の集団であったのである。
2016年5月28日土曜日
追憶 1356
そこは広い場所であった。
雲の大地が地平線を形成している。
その上には永遠と広がる碧空(へきくう)があった。
そこに、いくつかの雲が浮いていた。
わたしはその不思議な光景に心を奪われていた。
すると、少し遠くに喧騒があることに気が付いた。
わたしはそこへ向かおうと考えたが、次の瞬間にはそこにいた。
わたしはそれを驚かなかった。
理由は無い。
ただ、その状況を受け入れているのである。
そこには大きな湖があって、その周りを無数の人間の赤ちゃんと、背中に翼の生えた赤ちゃんが飛び回っていた。
その数は数え切れなかった。
2016年5月27日金曜日
追憶 1355
耳を済ませた時、わたしには喧騒(けんそう)のようなものが届いた。
それと同時に、雲のような映像を捕らえた。
それは、頭の中に流れる映像であり、物質世界とは違う次元の映像である。
それは、睡眠時に見る夢のような映像であり、想像のような映像であるかも知れない。
実際に流れる景色とは別の映像を、わたしは頭の中のスクリーン上に同時に見ているのであった。
わたしは船の速度を落とした。
景色がゆっくりと流れるのに合わせて、それは輪郭(りんかく)を失った。
滲(にじ)んだ世界では、陽の光も、エンジン音や波を切る音も遠くにあった。
感覚が別の次元へとシフトする。
わたしは、船の運転を肉体に任せて、もう一つの映像に向かった。
2016年5月26日木曜日
追憶 1354
その日、わたしは家業である真鯛の養殖業のために船で移動していた。
強い日差しが目を焼き、エンジン音と波を切る音が耳を塞いでいる。
わたしはいつもと同じ状況に対して、何気無く船を走らせていた。
その時、わたしは人の話し声を聞いた気がした。
周囲を見渡しても、誰かがいるはずもない。
わたしは走行中の船の上にいるのである。
同乗者の声も聞き取りにくい状況であるのだ。
気のせいと思い運転を続けた。
すると、再び人の話し声のようなものが聞こえた。
それは、先程よりも鮮明に聞こえた。
そこでわたしは船の速度を落として、聞き耳を立てた。
2016年5月25日水曜日
追憶 1353
Hも家族も、Rに対する哀れみが消えることはなかった。
Hは自分を責め続けていた。
そんなことをしても、何の豊かさも導きはしないのに…
Rは両手の中指が無い状態で生まれたが、掌(てのひら)の中心まで開いていた。
医者の話によれば、成長すると掌が更に開いてしまう可能性があり、利便性と”見た目”が良くないということであった。
そこで、開いた掌を縫い合わせることに決まった。
指は四本のままだが、それによって生活するのには苦労することが少なくなるという考えである。
Rが生まれて約3ヶ月が経って、広島の病院で手術を受ける手筈(てはず)となった。
2016年5月24日火曜日
追憶 1352
それは、人を不幸にする。
”神”からのプレゼントを生かしてこその幸福なのだ。
わたしはRの前途を祝福し、その能力を伸ばそうと考えた。
我が子ではないので、そのように考えられると思う人もいるかも知れないが、自分のことだろうが、人のことだろうが、わたしには変わりないのである。
わたしは自分が苦しんでも喜んでも良い。
他人が苦しんでも喜んでも良いのである。
それは、そこに”神”の意思のようなものが存在し、物事を最善としていることが分かるからである。
Rの家族は彼を哀れんだ。
わたしは彼を祝福した。
それぞれの受け取る結果は、それぞれの立場に従って違うものになるのであった。
2016年5月23日月曜日
追憶 1351
後日、わたしはRの両手には中指が無いことを聞かされた。
そこで、わたしはRの手が気になったことを思い出したのである。
誰もがショックを受けた。
誰もがRを哀(あわ)れんだ。
誰もがRの前途に絶望していた。
誰もが、思い描いた幸せを投げ捨てた。
わたし以外の人達は、皆そのようにした。
わたしは彼等とは反対のことをした。
わたしはRの中指が無いことを知ると、それを喜んだ。
それは、わたしの価値観が他人と違うということを喜んだからである。
Rは生まれた瞬間から、他人と違うことが約束された。
それを喜ばずに、何を喜ぶというのだろうか?
わたしは学校教育によって個性を否定された。
皆と同じことを、同じように行うことを強制され、やがて能力を殺してしまった。
わたしは”神”からのプレゼントを取り上げられたのだ。
その方法は、20年でわたしを破綻させたのである。
2016年5月22日日曜日
追憶 1350
月日が流れて、Hは元気な男の子を産んだ。
母から報告を受けた時、わたしはそれを喜んだ。
それは、Rが生まれる前にわたしと交わした約束を始めることができるためであった。
Rが生まれる前、わたしに対して「多くのことを学びたいから、その手伝いをして欲しい」という要望があり、わたしはそれを快諾(かいだく)し、約束としたのである。
そのため、わたしの心には高鳴りがあった。
Rに霊的な人生を歩む手助けと、頼もしい仲間が出来たことへの喜びで満ちていた。
しかしながら、母の喜びは”半分”であるように感じた。
気のせいなのか、母は素直に喜んではいないようであった。
わたしは首を傾(かし)げたが、Rの誕生に勝るものが無かったので、その疑問を放置した。
2016年5月21日土曜日
追憶 1349
赤ん坊に名前が与えられた頃、誰もがRの存在を認めていた。
Hの家族は相手のYを認めはしなかったが、Rの存在に後押しされる形で、諦めによって渋々受け入れている様子である。
Hは家族との関係の報告と、Rの状態の報告、そして、問題を解決する糸口を得るために時々わたしを訪れた。
ある日、Hを通じてRを見た(霊視した)時、恥ずかしそうに顔を隠す手が気になった。
わたしがそれをHに告げると、お腹の中のRはいつも顔を隠すような体制でエコーに映るのだそうだ。
それは、普通のことであるだろう。
何も変わったことではない。
しかし、気になるのである。
その時は、なぜRの手のことが気になったのかは分からなかった。
しかし、気になったので心には止めておいた。
後にRが生まれた時に、わたしたちはこの時のことを思い出すのであった。
2016年5月20日金曜日
追憶 1348
わたしはHに問い掛けた。
それは、赤ん坊の名前を知りたいか?ということである。
Hは何の迷いもなく返事を返した。
それは直感的な反射であるように思えた。
そこでもう一度問い掛けた。
答えは同じであった。
わたしは、真っ直ぐに見詰める瞳に光を見た気がした。
そこで、わたしは赤ん坊の主張が絶対ではないこと、わたしの勘違いかも知れないことを念押しした。
それでも同じ答えを返すHは”試験”に合格したような気がした。
そこで、わたしは名前を告げることを決心したのである。
赤ん坊の名前を告げると、Hはそれを即決した。
その迷いの無い意思は、夜空を駆ける流星のように美しかった。
その日から、赤ん坊はRと呼ばれるようになった。
2016年5月19日木曜日
追憶 1347
わたしも今回の名前を自分で決めた。
赤ん坊もそれと同じであろう。
わたしは真(まこと)という名前を満足している。
両親は真司(しんじ)と付けたかったが、それではわたしの名前の意味が無いのである。
それは、真を見て、真を聞き、真を行い、真を生きるためである。
これと同じように、赤ん坊にも何かしらの目的のために名前を必要としているのであろう。
名前が人生を決めるのではない。
名前は、人生の目的を忘れないための指標なのである。
赤ん坊は、生まれた後に人生の目的を忘れないため、例えそれを忘れても思い出すために名前を残したいと思っているのである。
2016年5月18日水曜日
追憶 1346
わたしたちは会を重ねた。
ある時、Hのお腹の中の赤ん坊がわたしに話し掛けてきた。
心を向けると、赤ん坊は恥ずかしそうに話し始めた。
話を聞き終えた時、わたしはそれを喜んだが、HとYである両親がどのように思うかを考えた。
それで、わたしは赤ん坊の提案をHに告げることを躊躇(ちゅうちょ)することになる。
わたしの発言が赤ん坊と、関係者の一生に関わることだったからだ。
わたしは、赤ん坊から名前を告げられたのである。
赤ん坊はわたしに告げた名前を自分に付けさせるように、両親に告げて欲しいと頼んだのである。
2016年5月17日火曜日
追憶 1345
精神と肉体の性が違うことなど珍しいことではない。
芸能界で活躍している親戚筋の方も、精神は女性で肉体は男性という組み合わせである。
わたしは赤ん坊が男の子だとは思っていたが、可能性としては、”男の子らしい女の子”ということもあるかも知れないと思った。
しかし、次の週、Hがわたしを訪ねた時には、更に面白い話を聞かせてくれた。
それは、エコー検査の結果、赤ん坊が男の子であることが判明したということであった。
先週のエコー検査では、”おちんちん”は確認することができなかった。
しかし、今回の検査によって、それを確認したのだという。
このようなことは良くあることなのだろうか?
角度によっては見えないこともあるだろう。
何はともあれ、わたしは一安心であった。
2016年5月16日月曜日
追憶 1344
別の日、Hが光の仕事を受けるためにわたしを訪れた。
その時、不意にHが赤ん坊の性別を知りたがった。
わたしは赤ん坊(の霊体)が男の子だと知っていたので、そのことを伝えた。
Hはそれを喜んで帰った。
それは、男の子であったからではなく、性別を知ることができたことに喜んだのである。
別の日、Hが再び光の仕事を受けるためにわたしを訪れた。
その時は、面白い話を聞かせてくれた。
それは、病院での検査によって性別が判明したのだという。
わたしは当然の結果を聞けるだろうと思い、軽い気持ちで待った。
すると、それは予想外の結果であった。
医者が言うには、お腹の赤ん坊は女の子であるそうだ。
理由は簡単なもので、エコー検査によって”おちんちん”が見当たらないということであった。
わたしは腑(ふ)に落ちない気持ちを飲み込んだ。
エコー検査で医者が”見た”のであれば、そうなのだろう。
2016年5月15日日曜日
追憶 1343
”普通”の人は、常識という偏見や周囲の人達からの教え、そして、自分自身の経験値という浅知恵によって結論を導く。
しかしながら、それでは有益な結論を導くことは難しいのである。
誰も、何が正しいことなのか?を知らないであろう。
それぞれの正義を掲げてはいるが、それが本当に正しいことなのかは、誰にも分からないのである。
何が正しいことなのかを知っているのは、所謂(いわゆる)”神”と呼ばれる”何か”だけなのではないだろうか?
人生や自分自身が何であるのかも知らない人間には、何が正しいことなのか?ということが分からないのが普通なのだ。
”普通”の人達は、目の前の状況の結論を急ぎ過ぎている。
大抵の場合、感情によってすぐさま結論に至る。
見極めることなどしないのだ。
何の根拠もなく、ただそう思うからそうなのである。
2016年5月14日土曜日
追憶 1342
それから、わたしたちは何度か会って仕事をした。
その度に、わたしはHとそれに関わるネガティブな集合意識を光へと帰した。
それに伴って、少しずつHと家族は冷静さを取り戻し、少しずつ話し合う体制が整っているように思えた。
もちろん、わたしと守護者たちの働き掛けだけの功(いさお)ではない。
時間を経ることによって、努力によって冷静さを取り戻し、それぞれの自己反省によって得た結果でもあるのだ。
しかしながら、それは一旦の静けさを得ただけに過ぎず、火山のように内部には火種があることをわたしは知っていた。
わたしはこの問題の解決を10年後に設定したのである。
そのため、わたしには何の焦りも無い。
寧(むし)ろ、その経過を楽しんでいたのである。
わたしにとっては、この問題は人間心理の研究材料でしかないのだ。
それが人生というものであろう。
関係者にもそのことを知って欲しいと、わたしは働き掛けているのである。
2016年5月13日金曜日
追憶 1341
願いを告終えると、赤ん坊は安心したように瞼を閉じた。
わたしは再び、赤ん坊を籠の中に寝かせた。
「おやすみ」
次の瞬間には、わたしは戻っていた。
赤ん坊は、Hのお腹の中の霊体に違いないであろう。
赤ん坊が黒く苦しんでいたのは、Hとその関係者の抱えるネガティブな集合意識によるものである。
Hは何と無く赤ん坊の苦しみに気が付いているようではあるが、父親であるYも、Hの家族もそのことには気が付かない。
それは、目の前の問題に対して手一杯であり、堕胎の話すら出ていることからも察することができる。
赤ん坊の願いの一つは、彼等に意識的な争いによって傷付け合うことをやめさせることであった。
瞼を開けると、Hの背中が出迎えていた。
わたしは現時点において伝えても良いことだけを伝えて、仕事を終えた。
2016年5月12日木曜日
追憶 1340
「良かったね」
わたしが告げると、赤ん坊は頷(うなず)いて見せた。
霊的な世界では、見た目など何の意味も持たないことを知っているので、わたしは赤ん坊に対して自然と話し掛けていたのだ。
赤ん坊は恥ずかしそうに、遠慮がちに言葉を紡いだ。
「お願いがあるんだ…」
それは、男の子の声であった。
魂には性別はないと思う。
性別は霊体から生じるのではないだろうか?
なぜなら、人の形をした霊体には男性か女性しかいないからだ。
もちろん、わたしが知らないだけかも知れないが、人の形をしている霊体には性別があった。
(因(ちな)みに、わたしの友人である狐の霊体のハクとコンにも性別があり、彼等は夫婦である)
この時に、何等かの理由によって霊体とは違う性別の肉体に宿ることによって、性同一性の不一致が生じるのかも知れない。
Hのお腹の中の子の霊体は、男の子の状態である。
きっと、生まれてくる子どもは男の子であろう。
わたしは赤ん坊の言葉に対して好意的に耳を傾け、できる限りの協力を誓った。
2016年5月11日水曜日
追憶 1339
赤ん坊を抱くとわたしは吐き気に襲われて、大量の黒い煙を吐き出した。
それは、目前の空中に固まり、行き場所を探しているように感じる。
わたしは赤ん坊を抱いたまま、光の十字架を生み出し、それを黒い煙の固まりに対して投じた。
黒い煙に刺さった光の十字架が輝きを増すと、光の爆発によって黒い煙が吹き飛ばされて、後には光の粒が残った。
光の粒を集め、掌に息を吹き掛けるようにすると、それは天に向かって昇っていった。
その光景を眺めていると、心が喜びによって満たされていくのに気が付いたのである。
視線を落とすと、赤ん坊は笑っていた。
肌は白く、”普通”の赤ん坊であった。
2016年5月10日火曜日
追憶 1338
わたしはそれを覗き込んだ。
そこには肌が夜空よりも黒い赤ん坊が苦悶(くもん)の表情を浮かべていた。
わたしは赤ん坊に触れた。
すると、指先からネガティブな感情が流れ込んできて、胸を刺し貫(つらぬ)いた。
わたしは辛くなって、涙が頬(ほほ)を伝うのを許した。
これは、赤ん坊の気持ちである。
わたしは悲しくなった。
この子は独りで苦しんでいるのだ。
これではいけないと思った。
赤ん坊に触れる程にネガティブな感情が流れ込んできては胸の傷を深くしたが、それでも腕に抱きたいと思ったので、わたしは赤ん坊を籠から取り上げた。
2016年5月9日月曜日
追憶 1337
戻ってから、わたしはHの心の中での体験と、そこから得た教訓を伝えた。
Hはそれを、自分自身の置かれている状況に当てはめて考えているようであった。
次に、わたしは呼ばれているような気がして意識を集中した。
瞼(まぶた)を閉じて待っていると、それはHの腹の奥からの問い掛けであるように感じた。
わたしはHの背中に触れて、再び心の中に至った。
今度は深く落ちて行くような感覚によって、先程と同じように暗い場所に至る。
そこには、竹で編まれたような籠(かご)がぽつりと浮かび、その中には赤ん坊が寝ていた。
2016年5月8日日曜日
追憶 1336
そのように考えているので、Hはネガティブな感情を蓄えているのである。
自分自身も他人も簡単には変われないと思っているために、家族との関係性に希望を見出せずに苦悩しているのだ。
自分自身も他人も簡単に変わると、可能性を見るのであれば、それは解決すべき目標となり、喜びを導く課題ともなるのである。
人の抱えるどのような問題も、その根本は感情の歪みに過ぎない。
それが要(かなめ)であるにもかかわらず、難しいと思い込むことによって可能性を否定している。
それでは、問題が解決しないのは当然なのである。
2016年5月7日土曜日
追憶 1335
すると、黒いHが淡く輝き始め、やがては光の粒となった。
光の粒となった黒いHはわたしを離れ、天に輝く大きな光に向かって上昇していった。
それを眺めながら、人の感情とは儚(はかな)いものであることを実感した。
どれだけ蓄積された感情も、一瞬で解消される。
それは、光という愛情によってである。
愛情とは光であり、これは誰にでも扱うことのできる力である。
しかしながら、蓄積された感情の前では扱うことを忘れているのだ。
愛情を持って自分自身の抱える感情と向き合えば、それは簡単に解消することができるものだと思う。
しかし、多くの人はそれが簡単なことではないと考えているだろう。
自分は簡単には変われないと思っているのである。
2016年5月6日金曜日
追憶 1334
地鳴りのような悲鳴と共に、大きく開かれた目と口からは、黒い煙のような破滅的な意識が吐き出された。
それは頭上に溜まり、行き場所を探しているように見えた。
黒いHは抜け殻のように動かなくなり、文字通り中身が無くなったように感じる。
わたしは再び光の十字架を生じ、それを黒い煙に向かって投じた。
すると、肉体が激しくゲップを繰り返すのを感じる。
黒い煙が光の粒となり、天へ帰る時には、ゲップは治(おさ)まっていた。
視線を下ろすと、抜け殻のようになった黒いHが”あった”。
わたしはそれを引き寄せて、膝(ひざ)の上に抱き、光の十字架を胸と腹に突き立てた。
2016年5月5日木曜日
追憶 1333
すると、右手の人差し指と中指が前方の空中に十字を描いた。
暗闇が後退し、光が場を支配した。
光の十字架は、力強く輝いている。
それを掴んだ時に、わたしは気力が溢れてくるような感覚を得た。
これは、光の十字架の放つ光によって、わたしの霊体が回復したのではないかと思う。
わたしは黒いHの眉間(みけん)に向けて、光の十字架を投じた。
それは、迷いなく飛び、音もなく眉間を貫(つらぬ)いた。
すると、光の十字架が突き刺さる衝撃によって黒いHは見上げるような姿勢になった。
そして、口と瞼(まぶた)を目一杯に開いたが、口の中も瞼の奥にも、本来あるべきものはなく、光によって一層引き立てられた闇があるだけであった。
2016年5月4日水曜日
追憶 1332
黒い意識を光へと帰し続けていると、黒いHの顔を覆う掌に込められた力が少し緩んだように感じた。
それによって、わたしは一層気合いが入った。
尚(なお)も黒い意識を光へと帰し続けていると、少しずつ掌が下がり、表情を確認することができた。
既に泣いてはいなかった。
そこには、安心したように眠る子どものような顔があった。
ネガティブな意識が抜けたことによって、悲しむ必要がなくなったのであろう。
わたしは嬉しく思い、”神”に感謝した。
2016年5月3日火曜日
追憶 1331
因(ちな)みに、わたしは目で見ているのではない。
肉体で言うところの五感とは違うテレパシーのような力によって、空間認識をしているのである。
黒いHは動きを止めた。
沈黙しているのは、肩に触れている掌(てのひら)からわたしを理解するためではないだろうか?
わたしは脅威(きょうい)ではないこと、安心することを伝え続けた。
心を閉ざしている存在と向き合うには、時間と辛抱が必要である。
黒いHの肩に触れている間、わたしの肉体は叫び声とゲップによって、黒いHの抱える抑圧された感情と、それによって生じたネガティブな意識を光へと帰し続けていた。
2016年5月2日月曜日
追憶 1330
黒いHは泣いていた。
Hは気の強い娘ではあるが、今回のことには気を病んでいるのであろう。
わたしはそっと黒いHの肩に触れた。
すると、彼女は小さく身体を震わせた。
わたしは自分が誰であり、何のためにここに来たのかを心の中で念じた。
黒いHは、目も耳も塞いでいるために、意思疎通を図るにはテレパシーしかなかったのである。
それに、黒い水の中にいるため、言葉を用いることができなかったのだ。
とは言え、霊的な世界での意思疎通はすべてテレパシーではある。
霊体の口ではなく、霊体の心を使った通信とでも言えば良いだろうか?
感覚としては、霊体と肉体は同じような使い方である。
2016年5月1日日曜日
追憶 1329
少しずつ降り注ぐ雨も、連日のことになれば川も海も濁(にご)る。
Hは毎日、Yとお腹の子どもと家族の板挟みとなり、苦しんでいたのだ。
心の中にネガティブな感情が蓄積するのは当たり前のことである。
しかしながら、家族であってもこのことには気が付かない。
自分達の既成概念が掲げる理想を通すことが主目的となってしまっているのである。
皆が必死であった。
皆、苦悩していた。
そのため、当たり前のことにすら気が付かないのである。
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