選択と行為が道理に叶っていないと、その心は心地悪さを抱えなければならない。
わたしは今までずっとそれを抱え続けてきたはずである。
しかしながら、それを正しくは認識していなかったことに加えて、その感覚が麻痺していたに違いないだろう。
絶対的に教育が不足していたのである。
キリギリスはわたしに自らの苦しみを伝えた。
キリギリスがわたしを憎んだのかは分からないが、キリギリスが苦しみを抱いたのは事実である。
その苦しみが黒い屁泥(へどろ)のようにわたしの心に絡みつき、深い谷底へとそれを沈める。
谷底に沈んだ心は光を失って暗闇の中をさまようのである。
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