人は何も考えることなく命を奪える。
命を奪うことにためらいがあるのであれば、自然界では生きていくことができないために、それは当然のことである。
人が命を奪うことは本能の中に組み込まれた当たり前のシステムであるだろう。
しかしながら、娯楽や快楽のために命を奪うことはまともではない。
自然界では本来、命を奪うということは命を食らうということであるだろう。
どのような理由があろうとも、命は軽んじて良いものではない。
それは命というものは、それがどのようなものであれ、別の命を支える大切なものだからである。
すべては一つに繋がっているのである。
キリギリスの命を奪った時、わたしは全身に悪寒が走るのを感じた。
わたしは一瞬にして言い様の無い不安にさらされた。
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