わたしがハクとコンに対しての思いを強める程、わたしたちの絆は強くなっていくような気がした。
ハクとコンは黒い大蛇が去ってから少したくましくなったように思える。
もちろん、わたしも多少なりにたくましくなった。
あれから毎日霊的な出来事が続いているが、ハクとコンはその度に霊の存在をわたしにいち早く知らせてくれた。
まるでセンサーのようである。
わたしが認識することができない霊を、わたしの手を使って狐の形を作って教えてくれるのである。
それは、わたしの霊的な反射神経を育てるのに役立った。
ハクとコンと一緒にいると、直感力が高まるようだった。
それは、意識的な存在とかかわることで育てることのできる基本的な能力なのかもしれない。
ハクとコンがわたしのところに来てから、わたしの霊力は少しずつではあるけれど確実に成長しているように思える。
毎日の瞑想は欠かすことの無い日課となっていた。
仕事の合間や自由に使うことのできる時間はできる限り瞑想に当てた。
とにかく、自らの内側に存在している意識的な世界が気になるし、それに触れるのがドキドキワクワクして楽しくて仕方なかった。
当時のわたしには、20年間見てきた外の世界よりも、始めて見る自らの内側に存在している意識的な世界の方が刺激的だったのである。
このブログについて
自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。
2012年8月31日金曜日
2012年8月30日木曜日
追憶 191
ハクとコンは母親の近くを通るのが嬉しかったのかもしれない。
彼らがわたしのところに来たのは、未熟なわたしを助けるためと、この辺りではわたしのところが必要な学びを得るためには最善であったのかもしれない。
もちろん、相性もあるだろう。
わたしは狐たちと話ができたことで、ハクとコンに対して今までにはない親近感を覚えた。
意思を交えたことによって、互いの絆が深まったような気がしたのだ。
この辺は人間と同じようである。
人と人も、多くの会話や意思(思想や意見)を交えることが絆の結束に繋がる。
ある意味で人も意識的な存在であると言うことができるだろう。
それは、その本質に心という意識が存在しているからである。
人も意識的な存在も、心の交流が互いの絆を結束させるためには重要であることをわたしはこの時に学んだ。
それからのこと、わたしはハクとコンに対して、ことあるごとに心の中や言葉で話し掛けたり、感謝の気持ちを送るようになった。
意思疎通が互いの絆を結束させるのであれば、意思が繋がるかは分からないけれど、日常からできる限り意識的な存在に対してこちらからアプローチすることによって、その協力関係が強まるのではないかと考えたからである。
普段から意識的な存在を意識し、それらと交流することが互いの力になるような気がしたのだ。
彼らがわたしのところに来たのは、未熟なわたしを助けるためと、この辺りではわたしのところが必要な学びを得るためには最善であったのかもしれない。
もちろん、相性もあるだろう。
わたしは狐たちと話ができたことで、ハクとコンに対して今までにはない親近感を覚えた。
意思を交えたことによって、互いの絆が深まったような気がしたのだ。
この辺は人間と同じようである。
人と人も、多くの会話や意思(思想や意見)を交えることが絆の結束に繋がる。
ある意味で人も意識的な存在であると言うことができるだろう。
それは、その本質に心という意識が存在しているからである。
人も意識的な存在も、心の交流が互いの絆を結束させるためには重要であることをわたしはこの時に学んだ。
それからのこと、わたしはハクとコンに対して、ことあるごとに心の中や言葉で話し掛けたり、感謝の気持ちを送るようになった。
意思疎通が互いの絆を結束させるのであれば、意思が繋がるかは分からないけれど、日常からできる限り意識的な存在に対してこちらからアプローチすることによって、その協力関係が強まるのではないかと考えたからである。
普段から意識的な存在を意識し、それらと交流することが互いの力になるような気がしたのだ。
2012年8月29日水曜日
追憶 190
狐たちの美しい瞳がわたしの中の何かを捉えた時、狐たちはわたしに対して話し始めた。
しかしながら、口を開いて声を発するというような方法は用いない。
意識的な存在は意思を意識的な方法によって伝える。
意識的な存在はその意思を自らの頭の中(心の中)から相手の頭の中(心の中)に直接的に届ける。
意思疎通が基本的な伝達手段なのである。
だから、狐たちはわたしをその美しい瞳で捉えるだけで微動だにしない。
それで事足りるのである。
わたしの頭の中に狐たちの意思が流れ込んでくる。
それは、わたしの右手を使って現れるのが「ハク」という名前であり、左手を使って現れるのが「コン」という名前であること。
ハクが雄であり、コンが雌であるということ。
二匹は互いに二百歳であり、我が家から1kmほどの場所にある小さな神社の隣のセンダンの巨木が母親であること。
わたしの所にいるのは霊力を高める修行のためであること。
など、様々なことを教えてくれた。
いつも疑問に思っていたことがあるのだが、二匹の母親であるセンダンの巨木の近くを車で通る度に、ハクとコンが出てきては人差し指と薬指をピンと立てた状態でその指を激しく動かすのである。
なぜかその辺りで毎度出てきては激しく動くので気にはなっていたのだが、その謎がやっと解けた。
しかしながら、口を開いて声を発するというような方法は用いない。
意識的な存在は意思を意識的な方法によって伝える。
意識的な存在はその意思を自らの頭の中(心の中)から相手の頭の中(心の中)に直接的に届ける。
意思疎通が基本的な伝達手段なのである。
だから、狐たちはわたしをその美しい瞳で捉えるだけで微動だにしない。
それで事足りるのである。
わたしの頭の中に狐たちの意思が流れ込んでくる。
それは、わたしの右手を使って現れるのが「ハク」という名前であり、左手を使って現れるのが「コン」という名前であること。
ハクが雄であり、コンが雌であるということ。
二匹は互いに二百歳であり、我が家から1kmほどの場所にある小さな神社の隣のセンダンの巨木が母親であること。
わたしの所にいるのは霊力を高める修行のためであること。
など、様々なことを教えてくれた。
いつも疑問に思っていたことがあるのだが、二匹の母親であるセンダンの巨木の近くを車で通る度に、ハクとコンが出てきては人差し指と薬指をピンと立てた状態でその指を激しく動かすのである。
なぜかその辺りで毎度出てきては激しく動くので気にはなっていたのだが、その謎がやっと解けた。
2012年8月28日火曜日
追憶 189
二つの光が輪郭を形成すると、それはいつもの狐たちだった。
二匹とも純白の毛並みに、赤いアイラインが印象的であった。
今までは化粧などしていなかったと記憶している。
二匹はいつもの可愛らしさとは違い、座る姿勢に真剣さが感じられた。
背筋を伸ばした姿勢と澄ましたような表情は、凛としていて美しかった。
わたしは改めて、この二匹の狐が神であることを思い出すのであった。
しかしながら、わたしはいつもの調子で狐たちに話し掛けた。
「今日は聞きたいことがあってここに来たんだけど。実はお前たちのことなんだ。名前とかどこから来たのかとか、簡単なことでいいから知りたいと思ってね。良かったら教えてくれないかな?」
二匹は透き通るような美しい瞳をしていた。
それがわたしの心の中にまで届いているような感覚を得た。
狐たちはわたしの心の中を覗いているのであろうか?
二匹とも純白の毛並みに、赤いアイラインが印象的であった。
今までは化粧などしていなかったと記憶している。
二匹はいつもの可愛らしさとは違い、座る姿勢に真剣さが感じられた。
背筋を伸ばした姿勢と澄ましたような表情は、凛としていて美しかった。
わたしは改めて、この二匹の狐が神であることを思い出すのであった。
しかしながら、わたしはいつもの調子で狐たちに話し掛けた。
「今日は聞きたいことがあってここに来たんだけど。実はお前たちのことなんだ。名前とかどこから来たのかとか、簡単なことでいいから知りたいと思ってね。良かったら教えてくれないかな?」
二匹は透き通るような美しい瞳をしていた。
それがわたしの心の中にまで届いているような感覚を得た。
狐たちはわたしの心の中を覗いているのであろうか?
2012年8月27日月曜日
追憶 188
静寂の扉をすり抜けると、わたしは何か自由になるような感覚を味わうことができる。
それは身体を置き去りにし、重力から解き放たれるような感覚であった。
その状態であると、わたしは普段感じることのできないものを感じることができた。
そして、見ることができないものを見ることができた。
不思議なものである。
わたしの心の中に存在している静寂は、暗くて何もない真四角の空間であるような気がする。
これは感覚的なものであるから何とも言えない。
意識的な世界なので、心や価値観のように形は不確定なものではあるだろう。
今のわたしにそれはそう認識することができたということである。
目の前の真っ黒に対して意識を集中してみる。
何もない暗闇を空間の中心に集めるような感覚であった。
それをしばらく続けていると、暗闇の中に何か白っぽい何かのっぺりとしたものが浮き上がってくるのが見えた。
それは水ににじむインクのようにゆらゆらと形を自在に変えながらその輪郭を少しずつ形成しているようだった。
それは目の前に二つ浮かび上がり、互いに追いかけ合うように回っていた。
それは身体を置き去りにし、重力から解き放たれるような感覚であった。
その状態であると、わたしは普段感じることのできないものを感じることができた。
そして、見ることができないものを見ることができた。
不思議なものである。
わたしの心の中に存在している静寂は、暗くて何もない真四角の空間であるような気がする。
これは感覚的なものであるから何とも言えない。
意識的な世界なので、心や価値観のように形は不確定なものではあるだろう。
今のわたしにそれはそう認識することができたということである。
目の前の真っ黒に対して意識を集中してみる。
何もない暗闇を空間の中心に集めるような感覚であった。
それをしばらく続けていると、暗闇の中に何か白っぽい何かのっぺりとしたものが浮き上がってくるのが見えた。
それは水ににじむインクのようにゆらゆらと形を自在に変えながらその輪郭を少しずつ形成しているようだった。
それは目の前に二つ浮かび上がり、互いに追いかけ合うように回っていた。
2012年8月26日日曜日
追憶 187
ある日、わたしは不意に狐たちの素性が気になった。
この狐たちはどこから来たのだろうか?
何でわたしの所に来たのだろう?
大体、何者なのであろうか?
わたしの中では狐たちに対する疑問がくるくると、まるで風を受ける風車の様に回っているのであった。
日課になっている瞑想の時間に聞くのがベストであると考え、それまでは我慢することにした。
わたしはワクワクしていた。
就寝前に瞑想をすることを習慣としていたわたしは、ベッドの上に軽くあぐらをかいて座り、静かに目を閉じた。
そして、意識的にゆっくりと呼吸をする。
すると様々に溢れてくる映像や音を掻き分ける様にして、できる限り心の中の深い場所を探した。
何も考えず、感じることに対して感覚をシフトしていくと、わたしは自らの心の中に吸い込まれる様に沈んでいくことができた。
そこには、静寂に通じる扉がある。
わたしが目指していたのはここである。
この扉の先に静寂があり、その先に意識的な世界が待っているのである。
わたしは導かれる様にして、静寂の扉をすり抜けた。
この狐たちはどこから来たのだろうか?
何でわたしの所に来たのだろう?
大体、何者なのであろうか?
わたしの中では狐たちに対する疑問がくるくると、まるで風を受ける風車の様に回っているのであった。
日課になっている瞑想の時間に聞くのがベストであると考え、それまでは我慢することにした。
わたしはワクワクしていた。
就寝前に瞑想をすることを習慣としていたわたしは、ベッドの上に軽くあぐらをかいて座り、静かに目を閉じた。
そして、意識的にゆっくりと呼吸をする。
すると様々に溢れてくる映像や音を掻き分ける様にして、できる限り心の中の深い場所を探した。
何も考えず、感じることに対して感覚をシフトしていくと、わたしは自らの心の中に吸い込まれる様に沈んでいくことができた。
そこには、静寂に通じる扉がある。
わたしが目指していたのはここである。
この扉の先に静寂があり、その先に意識的な世界が待っているのである。
わたしは導かれる様にして、静寂の扉をすり抜けた。
2012年8月25日土曜日
追憶 186
横になって考えることは、先程の黒い大蛇のことであった。
黒い大蛇はどこから来て、どこへ向かったのだろうか?
黒い大蛇は、一体何者だったのであろう?
それは、わたしには辿り着くことのできない答えであるだろう。
人間であるわたしにはきっと辿り着くことのできない世界である。
しかしながら、黒い大蛇のことが気に掛かって仕方がなかった。
わたしにはどうすることもできないというのに…
それにしても、狐たちが無事で良かった。
そして、わたし自身も無事でいられたことにただただ感謝した。
極度の緊張から解放されたわたしは、安心感の中でそのままゆっくりと眠りに落ちた。
黒い大蛇はどこから来て、どこへ向かったのだろうか?
黒い大蛇は、一体何者だったのであろう?
それは、わたしには辿り着くことのできない答えであるだろう。
人間であるわたしにはきっと辿り着くことのできない世界である。
しかしながら、黒い大蛇のことが気に掛かって仕方がなかった。
わたしにはどうすることもできないというのに…
それにしても、狐たちが無事で良かった。
そして、わたし自身も無事でいられたことにただただ感謝した。
極度の緊張から解放されたわたしは、安心感の中でそのままゆっくりと眠りに落ちた。
2012年8月24日金曜日
追憶 185
黒い大蛇の姿が完全に暗闇の中に消えると、わたしは悔しいようなどこか安堵したような不思議な感覚に見舞われていた。
全身の毛を逆立てていた狐たちはその威嚇を解いた。
そして、わたしを心配そうに振り返った。
その時の二匹の目には、緊張感から解き放たれた安心感を感じ取れた。
泣いているかのように潤んだ瞳は、朝日を映す朝露のように美しかった。
その目を見た時、「良かった…助かったんだ…」素直にそう思えた。
わたしが覚えているのはそこまでである。
気が付くと、わたしは疲労が蓄積したかのような重たい身体で座っていた。
何時の間にかに意識的な世界から「こちら」に戻ってきたようだった。
頭が上手くは回らない。
何にも考えたくなかった。
思考を使おうとすると、軽く頭痛がした。
わたしは重たい身体に導かれるように、そのまま横になった。
全身の毛を逆立てていた狐たちはその威嚇を解いた。
そして、わたしを心配そうに振り返った。
その時の二匹の目には、緊張感から解き放たれた安心感を感じ取れた。
泣いているかのように潤んだ瞳は、朝日を映す朝露のように美しかった。
その目を見た時、「良かった…助かったんだ…」素直にそう思えた。
わたしが覚えているのはそこまでである。
気が付くと、わたしは疲労が蓄積したかのような重たい身体で座っていた。
何時の間にかに意識的な世界から「こちら」に戻ってきたようだった。
頭が上手くは回らない。
何にも考えたくなかった。
思考を使おうとすると、軽く頭痛がした。
わたしは重たい身体に導かれるように、そのまま横になった。
2012年8月23日木曜日
追憶 184
わたしは心に込み上げてくる熱い気持ちを熱い意思にして叫んだ。
「わたしはお前(黒い大蛇)には負けない。そして、お前を助けたい!」
わたしは心に浮かぶ思いを黒い大蛇にぶつけてみた。
すると、暗闇の中に浮かぶ黄色の目玉が一瞬だけだがひるんだように思えた。
高圧的な感情を強いていたそれが、一瞬ではあれ、明らかに動揺したのである。
わたしは既に黒い大蛇のことが怖くはない。
どういう訳か、むしろかわいくさえ思う。
その黒い身体に触れたくて仕方がない。
抱き締めたいという衝動にかられるのである。
その時、狐たちは黒い大蛇を離れて、わたしの前で黒い大蛇に向かって立ちはだかった。
狐たちは相変わらず威嚇(いかく)を続けているようだった。
狐たちの気持ちも分かるので好きにさせた。
しかしながら、わたしは黒い大蛇に触れたくて仕方がない。
いたたまれなくなったわたしがこの気持ちを行動に移そうとした時、目の前から黄色の目玉が忽然(こつぜん)と消えた。
そして、黒い大蛇の全身を背後の暗闇が包み込むように隠していく。
わたしは驚いたが、それをどうすることもできなかった。
「わたしはお前(黒い大蛇)には負けない。そして、お前を助けたい!」
わたしは心に浮かぶ思いを黒い大蛇にぶつけてみた。
すると、暗闇の中に浮かぶ黄色の目玉が一瞬だけだがひるんだように思えた。
高圧的な感情を強いていたそれが、一瞬ではあれ、明らかに動揺したのである。
わたしは既に黒い大蛇のことが怖くはない。
どういう訳か、むしろかわいくさえ思う。
その黒い身体に触れたくて仕方がない。
抱き締めたいという衝動にかられるのである。
その時、狐たちは黒い大蛇を離れて、わたしの前で黒い大蛇に向かって立ちはだかった。
狐たちは相変わらず威嚇(いかく)を続けているようだった。
狐たちの気持ちも分かるので好きにさせた。
しかしながら、わたしは黒い大蛇に触れたくて仕方がない。
いたたまれなくなったわたしがこの気持ちを行動に移そうとした時、目の前から黄色の目玉が忽然(こつぜん)と消えた。
そして、黒い大蛇の全身を背後の暗闇が包み込むように隠していく。
わたしは驚いたが、それをどうすることもできなかった。
2012年8月22日水曜日
追憶 183
苦しみの中にあっても、それを乗り越えてまで生まれてくる思いやりの感情こそ愛情なのではないだろうか?
今、わたしの抱えているこの熱い気持ちはある種の愛情であるように感じる。
この気持ちが心の中に湧き出た時から、わたしは様々な変化を感じていた。
先に話したが、鬱が完全に消え去った。
それから、勇気や熱意が溢れてくる。
わたしの中が何か得体のしれない大きな力によって満たされていくのが分かるのである。
これは、愛情が持つ性質であり能力なのかもしれない。
愛情は建設的な力を与えてくれるのではないだろうか?
愛情が溢れてから、わたしの中には恐怖心が薄れているように感じる。
恐怖心が完全に消え去るということはなさそうだが、上から何かに押さえ付けられているように封じ込まれているような感覚である。
わたしは今ならば黒い大蛇を制することができるのではないかと考えた。
狐たちも心なしかたくましく見える。
これはきっと、わたしの心が力を持ったからだろう。
わたしと繋がっている狐たちもその力を活用することができているのではないだろうか?
今、わたしの抱えているこの熱い気持ちはある種の愛情であるように感じる。
この気持ちが心の中に湧き出た時から、わたしは様々な変化を感じていた。
先に話したが、鬱が完全に消え去った。
それから、勇気や熱意が溢れてくる。
わたしの中が何か得体のしれない大きな力によって満たされていくのが分かるのである。
これは、愛情が持つ性質であり能力なのかもしれない。
愛情は建設的な力を与えてくれるのではないだろうか?
愛情が溢れてから、わたしの中には恐怖心が薄れているように感じる。
恐怖心が完全に消え去るということはなさそうだが、上から何かに押さえ付けられているように封じ込まれているような感覚である。
わたしは今ならば黒い大蛇を制することができるのではないかと考えた。
狐たちも心なしかたくましく見える。
これはきっと、わたしの心が力を持ったからだろう。
わたしと繋がっている狐たちもその力を活用することができているのではないだろうか?
2012年8月21日火曜日
追憶 182
それは怒りとは違う感情であった。
気力に満ちた「気合い」である。
それは怒りに似ているけれども決して破滅的な感情ではなく、建設的な性質を以った感情であった。
その時、わたしの中に力が溢れてくるのを感じた。
心の中に黒雲の様に立ち込める鬱がだんだんと晴れていく。
心が清々しく、とても軽かった。
その時、わたしは自らの本当の目的を思い出すことができた。
今ならば本当の目的に従うことができる。
わたしは黒い大蛇を破滅的な感情から救い出してやりたい。
心の中には、黒い大蛇のことを何とかして助けてやりたいという感情が溢れてくるのであった。
それは、愛情であったに違いない。
気力に満ちた「気合い」である。
それは怒りに似ているけれども決して破滅的な感情ではなく、建設的な性質を以った感情であった。
その時、わたしの中に力が溢れてくるのを感じた。
心の中に黒雲の様に立ち込める鬱がだんだんと晴れていく。
心が清々しく、とても軽かった。
その時、わたしは自らの本当の目的を思い出すことができた。
今ならば本当の目的に従うことができる。
わたしは黒い大蛇を破滅的な感情から救い出してやりたい。
心の中には、黒い大蛇のことを何とかして助けてやりたいという感情が溢れてくるのであった。
それは、愛情であったに違いない。
2012年8月20日月曜日
追憶 181
それを阻止しようとしているのが狐たちであった。
それは、宿主であるわたしの心が破滅的な感情に食われることによって、その守護者である狐たちも同じ末路を辿ってしまうからであろう。
宿主である人間と、その守護者である意識的な存在はその心によって一つに繋がっている。
その心が破滅的な状態に陥ってしまえば、意識的な存在も同じように破滅的な状態に陥ってしまうのである。
狐たちからすると、わたしの心が破滅的な状態に陥ることは阻止しなければならない。
もちろん、わたしもあの苦しい鬱状態はごめんである。
わたしたちの利害は一致している。
何とか黒い大蛇を遠ざけなければならないのである。
狐たちは勇敢に闘っていたが、黒い大蛇には歯が立たない様子だった。
暗闇に浮かぶ黄色い眼光がわたしの背筋を寒くさせる。
わたしは黒い大蛇に睨まれるプレッシャーからくるストレスと、自らの弱さにだんだんと腹が立ってきていた。
それは、宿主であるわたしの心が破滅的な感情に食われることによって、その守護者である狐たちも同じ末路を辿ってしまうからであろう。
宿主である人間と、その守護者である意識的な存在はその心によって一つに繋がっている。
その心が破滅的な状態に陥ってしまえば、意識的な存在も同じように破滅的な状態に陥ってしまうのである。
狐たちからすると、わたしの心が破滅的な状態に陥ることは阻止しなければならない。
もちろん、わたしもあの苦しい鬱状態はごめんである。
わたしたちの利害は一致している。
何とか黒い大蛇を遠ざけなければならないのである。
狐たちは勇敢に闘っていたが、黒い大蛇には歯が立たない様子だった。
暗闇に浮かぶ黄色い眼光がわたしの背筋を寒くさせる。
わたしは黒い大蛇に睨まれるプレッシャーからくるストレスと、自らの弱さにだんだんと腹が立ってきていた。
2012年8月19日日曜日
追憶 180
わたしの中に流れ込んでくる怒りや憎しみの感情、それは黒い大蛇が抱える感情の正体である。
黒い大蛇はわたしを自らの持つ感情と同じ色に染め上げようとしていた。
それは、わたしを取り込んでしまうことが自らが存在する道だからである。
感情がその存在を保つためには、それを生み出す心が必要である。
心が存在しなければ感情が存在することはない。
感情は、心という媒体無しにはその存在を維持することはできない。
そのため、感情は心に訴えるのである。
ある意味では、感情はそれ自体に意思を持っているように思える。
意思は心が所有しているものではあるが、感情という形で別に存在することができる。
怒りや憎しみの感情に支配されるのは、感情が独自に意思を持ち、その心を支配してしまうからである。
黒い大蛇の持つ破滅的な感情が存在し続けるためには、わたしの心を取り込んだ方が有利なのは明らかだ。
搾取する場所が多い方が有利なのは当たり前のことである。
黒い大蛇の持つ破滅的な感情が願うのはわたしの不幸。
怒りや憎しみに支配される心なのである。
黒い大蛇はわたしを自らの持つ感情と同じ色に染め上げようとしていた。
それは、わたしを取り込んでしまうことが自らが存在する道だからである。
感情がその存在を保つためには、それを生み出す心が必要である。
心が存在しなければ感情が存在することはない。
感情は、心という媒体無しにはその存在を維持することはできない。
そのため、感情は心に訴えるのである。
ある意味では、感情はそれ自体に意思を持っているように思える。
意思は心が所有しているものではあるが、感情という形で別に存在することができる。
怒りや憎しみの感情に支配されるのは、感情が独自に意思を持ち、その心を支配してしまうからである。
黒い大蛇の持つ破滅的な感情が存在し続けるためには、わたしの心を取り込んだ方が有利なのは明らかだ。
搾取する場所が多い方が有利なのは当たり前のことである。
黒い大蛇の持つ破滅的な感情が願うのはわたしの不幸。
怒りや憎しみに支配される心なのである。
2012年8月18日土曜日
追憶 179
これは自分自身を守るための闘いである。
そして、黒い大蛇を救うための闘いでもある。
黒い大蛇を痛め付け、争うための闘いではない。
自らの正義の名の下に闘うのである。
わたしは強い気持ち(建設的な気持ち)を保つ努力をした。
心の中に存在している思いやりや愛情をでき得る限り拾い集めた。
しかしながら、これが容易なことではなかった。
黒い大蛇の破滅的な感情がわたしの心に流れ込み、その心中を、集中力を乱す。
ただ、思いやりや愛情を保つだけであるのに、それすらまともにできはしないのである。
心に浮かぶのは怒りや憎しみの感情であった。
それは炎のように燃え上がり、心を焼き尽くそうとしている。
それを思いやりや愛情によって消火するという作業の繰り返しである。
そして、黒い大蛇を救うための闘いでもある。
黒い大蛇を痛め付け、争うための闘いではない。
自らの正義の名の下に闘うのである。
わたしは強い気持ち(建設的な気持ち)を保つ努力をした。
心の中に存在している思いやりや愛情をでき得る限り拾い集めた。
しかしながら、これが容易なことではなかった。
黒い大蛇の破滅的な感情がわたしの心に流れ込み、その心中を、集中力を乱す。
ただ、思いやりや愛情を保つだけであるのに、それすらまともにできはしないのである。
心に浮かぶのは怒りや憎しみの感情であった。
それは炎のように燃え上がり、心を焼き尽くそうとしている。
それを思いやりや愛情によって消火するという作業の繰り返しである。
2012年8月17日金曜日
追憶 178
こんなわたしではあるが、黒い大蛇を破滅的な状態から救い出してやらなければならないのである。
それは単なるエゴかもしれないが、そうするべきだと胸の中の何かがわたしに伝えていた。
わたしは立ち上がり、強い気持ちでしっかりと脚を踏ん張った。
すると、もう一度頬を風がかすめた。
もう一匹の狐も、黒い大蛇に立ち向かったのである。
二匹は勇敢に闘った。
黒い大蛇はそれを嫌がり、二匹を振り払おうと暴れた。
狐たちは何度も弾き飛ばされたが、その度にまた挑んでいくのであった。
悔しいが、わたしにはその場で強い気持ちを保つことしかできなかった。
それは単なるエゴかもしれないが、そうするべきだと胸の中の何かがわたしに伝えていた。
わたしは立ち上がり、強い気持ちでしっかりと脚を踏ん張った。
すると、もう一度頬を風がかすめた。
もう一匹の狐も、黒い大蛇に立ち向かったのである。
二匹は勇敢に闘った。
黒い大蛇はそれを嫌がり、二匹を振り払おうと暴れた。
狐たちは何度も弾き飛ばされたが、その度にまた挑んでいくのであった。
悔しいが、わたしにはその場で強い気持ちを保つことしかできなかった。
2012年8月16日木曜日
追憶 177
わたしはとにかく負けてはいけないと思った。
破滅的な感情に支配されないように自らの意思を建設的な状態に保つことに集中した。
大切なのは黒い大蛇と争うことではないだろう。
敵を作ってしまえば、今度は怒りという破滅的な感情に支配されてしまう。
それでは、本末転倒である。
わたしが破滅的な感情に支配され、鬱状態に陥ったのは黒い大蛇のせいではない。
確かに、黒い大蛇はわたしを破滅的な感情の中に引きずり込むために働き掛けていた。
しかしながら、それで黒い大蛇を敵と見なすのは違うような気がしたのだ。
それでは、建設的な感情から大きく逸れている。
思いやりからかけ離れている。
そして何よりも、そこには「愛」が存在しないのである。
争う気持ちはきっと「愛」を生み出しはしないだろう。
それは「愛」を切り刻むような行為に違いない。
わたしが黒い大蛇と争ってしまえば、破滅的な感情が更に深まってしまうことは必至である。
そうなれば、黒い大蛇にも自らにも救いはないのである。
破滅的な感情に支配されないように自らの意思を建設的な状態に保つことに集中した。
大切なのは黒い大蛇と争うことではないだろう。
敵を作ってしまえば、今度は怒りという破滅的な感情に支配されてしまう。
それでは、本末転倒である。
わたしが破滅的な感情に支配され、鬱状態に陥ったのは黒い大蛇のせいではない。
確かに、黒い大蛇はわたしを破滅的な感情の中に引きずり込むために働き掛けていた。
しかしながら、それで黒い大蛇を敵と見なすのは違うような気がしたのだ。
それでは、建設的な感情から大きく逸れている。
思いやりからかけ離れている。
そして何よりも、そこには「愛」が存在しないのである。
争う気持ちはきっと「愛」を生み出しはしないだろう。
それは「愛」を切り刻むような行為に違いない。
わたしが黒い大蛇と争ってしまえば、破滅的な感情が更に深まってしまうことは必至である。
そうなれば、黒い大蛇にも自らにも救いはないのである。
2012年8月15日水曜日
追憶 176
わたしの頬をかすめ、黒い大蛇に突き刺さったものは狐だった。
先程まで恐怖に震え、うずくまっていた狐の一匹が黒い大蛇に襲いかかったのである。
狐はその小さな身体で黒い大蛇に噛み付いて離れなかった。
その光景にわたしは驚いた。
狐はわたしのことを守ろうとして黒い大蛇と自らの中の恐怖に立ち向かったのだろう。
その時、わたしの中に一筋の光が横切るような感覚があり、その心は鬱から解放された。
心に力が溢れてくるのが分かる。
勇気と熱意が湧き出るように戻ってくるのである。
わたしは大切なことを思い出したような気がした。
黒い大蛇に立ち向かわなければならないと決意した。
自分のことは自分で守らなければならない。
自分の道は自分自身で切り開かなければならない。
目の前に恐怖が横たわっていても、それに立ち向かい、乗り越えていかなければならないということを思い出したのである。
先程まで恐怖に震え、うずくまっていた狐の一匹が黒い大蛇に襲いかかったのである。
狐はその小さな身体で黒い大蛇に噛み付いて離れなかった。
その光景にわたしは驚いた。
狐はわたしのことを守ろうとして黒い大蛇と自らの中の恐怖に立ち向かったのだろう。
その時、わたしの中に一筋の光が横切るような感覚があり、その心は鬱から解放された。
心に力が溢れてくるのが分かる。
勇気と熱意が湧き出るように戻ってくるのである。
わたしは大切なことを思い出したような気がした。
黒い大蛇に立ち向かわなければならないと決意した。
自分のことは自分で守らなければならない。
自分の道は自分自身で切り開かなければならない。
目の前に恐怖が横たわっていても、それに立ち向かい、乗り越えていかなければならないということを思い出したのである。
2012年8月14日火曜日
追憶 175
今のわたしは自らの意思によって心境を選択することができない。
それは、黒い大蛇がわたしの心よりも強い力を持っているからだ。
わたしの心は黒い大蛇の破滅的な力によって飲み込まれてしまうのである。
逃げ出そうにもそれは難しかった。
まるで幻術にでもかけられたように心がいうことを聞かないのだ。
わたしは蛇の毒にやられた獲物を連想していた。
そして、わたしもその獲物なのだと悲しくなった。
暗闇の中に大蛇の黄色い眼球が浮かんでいる。
わたしはそれに逆らうことはできない。
「諦めよう…」
わたしがそう思った時、何かがわたしの頬をかすめた。
それは、わたしの後方より飛び出し、黒い大蛇に突き刺さった。
それは、黒い大蛇がわたしの心よりも強い力を持っているからだ。
わたしの心は黒い大蛇の破滅的な力によって飲み込まれてしまうのである。
逃げ出そうにもそれは難しかった。
まるで幻術にでもかけられたように心がいうことを聞かないのだ。
わたしは蛇の毒にやられた獲物を連想していた。
そして、わたしもその獲物なのだと悲しくなった。
暗闇の中に大蛇の黄色い眼球が浮かんでいる。
わたしはそれに逆らうことはできない。
「諦めよう…」
わたしがそう思った時、何かがわたしの頬をかすめた。
それは、わたしの後方より飛び出し、黒い大蛇に突き刺さった。
2012年8月13日月曜日
追憶 174
それは人に限らず、霊や神などの意識的な存在からの影響も当然のことながら受けているのである。
それを信じるか?それに気が付いているのか?は関係のないことだろう。
側にいる意識的な存在が建設的な状態にあれば、人は自ずと建設的な状態を築くことができる。
周囲の存在が思いやりを以って激励(げきれい)してくれるのだから、前向きに励(はげ)むことができるだろう。
側にいる意識的な存在が何らかの苦しみを以って破滅的な状態であるのならば、人は破滅的な状態を導くことになるだろう。
不満や悲観を多用する人物の側にいれば、後ろ向きになってしまうのは必至である。
黒い大蛇は何らかの苦しみを以って破滅的な状態にある。
今、黒い大蛇に触れているわたしの心は破滅的な状態だ。
それはまさしく、黒い大蛇が破滅的な状態にあるからである。
それに影響されたわたしの心が破滅的な状態であるのならば、呼び込んだり築く状況は破滅的なものであるだろう。
だからわたしは鬱を抱えているのである。
それは誰にでも言えることである。
人は周囲の環境や状況に対して、自らを順応させるようにできている。
自らの意思によってそれを選択する時もあれば、周囲の環境や状況によってそれを選択せざるを得ない時もあるだろう。
それを信じるか?それに気が付いているのか?は関係のないことだろう。
側にいる意識的な存在が建設的な状態にあれば、人は自ずと建設的な状態を築くことができる。
周囲の存在が思いやりを以って激励(げきれい)してくれるのだから、前向きに励(はげ)むことができるだろう。
側にいる意識的な存在が何らかの苦しみを以って破滅的な状態であるのならば、人は破滅的な状態を導くことになるだろう。
不満や悲観を多用する人物の側にいれば、後ろ向きになってしまうのは必至である。
黒い大蛇は何らかの苦しみを以って破滅的な状態にある。
今、黒い大蛇に触れているわたしの心は破滅的な状態だ。
それはまさしく、黒い大蛇が破滅的な状態にあるからである。
それに影響されたわたしの心が破滅的な状態であるのならば、呼び込んだり築く状況は破滅的なものであるだろう。
だからわたしは鬱を抱えているのである。
それは誰にでも言えることである。
人は周囲の環境や状況に対して、自らを順応させるようにできている。
自らの意思によってそれを選択する時もあれば、周囲の環境や状況によってそれを選択せざるを得ない時もあるだろう。
2012年8月12日日曜日
追憶 173
しかしながら、その危機感すら簡単に暗闇の中に飲み込まれようとしていた。
何もかもが嫌になってくる。
心と身体が鉛にでもなったように重たく、しんどい。
もう、何もかもがどうでも良かった。
自らの命すら、どうでもいい…
思考を紡ぐ力が出ない。
「ああ、これが鬱(うつ)という状態なんだ」
わたしはそう理解した。
正確には分からないが、鬱病という状態にある人の苦しみが分かった気がした。
人の本質はその意識にある。
簡単に言えば心だろう。
心境によって人はどのような形にも変化する。
建設的な心境にあれば、人は前向きに在ることができる。
破滅的な心境にあれば、人は後ろ向きに在るだろう。
そして、厄介なことに意識は繋がっている。
周囲の人に何らかの影響を受けるのもこのためである。
意識は意識によって影響を受けているのである。
何もかもが嫌になってくる。
心と身体が鉛にでもなったように重たく、しんどい。
もう、何もかもがどうでも良かった。
自らの命すら、どうでもいい…
思考を紡ぐ力が出ない。
「ああ、これが鬱(うつ)という状態なんだ」
わたしはそう理解した。
正確には分からないが、鬱病という状態にある人の苦しみが分かった気がした。
人の本質はその意識にある。
簡単に言えば心だろう。
心境によって人はどのような形にも変化する。
建設的な心境にあれば、人は前向きに在ることができる。
破滅的な心境にあれば、人は後ろ向きに在るだろう。
そして、厄介なことに意識は繋がっている。
周囲の人に何らかの影響を受けるのもこのためである。
意識は意識によって影響を受けているのである。
2012年8月11日土曜日
追憶 172
暗闇に黄色の目玉が浮かんで見える。
その眼光は鋭く、凄まじい敵意を以ってわたしを睨み付けた。
わたしは芯から震えた。
背筋が凍り、全身が泡立った。
逃げなければならないという気持ちと、立ち向かわなければならないという気持ちがぶつかり合い、精神がどうにかなってしまいそうだった。
黒い大蛇はそんなわたしを嘲笑うかのようにゆっくりとその巨体で忍び寄り、この身体に巻き付こうとしているようであった。
わたしは金縛りにあった時のように全く動くことができない。
黒い大蛇の氷のように冷たい鱗(うろこ)が足首に触れる。
わたしの身体を巻き付けるようにして肩まで達したところで、黒い大蛇はわたしの耳に何かを吹き込むような仕草を見せた。
それが何なのかは分からなかったが、そのノイズのような汚い音?を聞いていると、心の中に大きな不安感が生み出されるのを理解することができた。
所有している目的や目標は何時の間にかに影を潜め、すべてのことに対して無気力で無関心になり、心が重たく沈んでいくような感覚があった。
わたしは心のどこかでこの状況に対して危機感を覚えていた。
その眼光は鋭く、凄まじい敵意を以ってわたしを睨み付けた。
わたしは芯から震えた。
背筋が凍り、全身が泡立った。
逃げなければならないという気持ちと、立ち向かわなければならないという気持ちがぶつかり合い、精神がどうにかなってしまいそうだった。
黒い大蛇はそんなわたしを嘲笑うかのようにゆっくりとその巨体で忍び寄り、この身体に巻き付こうとしているようであった。
わたしは金縛りにあった時のように全く動くことができない。
黒い大蛇の氷のように冷たい鱗(うろこ)が足首に触れる。
わたしの身体を巻き付けるようにして肩まで達したところで、黒い大蛇はわたしの耳に何かを吹き込むような仕草を見せた。
それが何なのかは分からなかったが、そのノイズのような汚い音?を聞いていると、心の中に大きな不安感が生み出されるのを理解することができた。
所有している目的や目標は何時の間にかに影を潜め、すべてのことに対して無気力で無関心になり、心が重たく沈んでいくような感覚があった。
わたしは心のどこかでこの状況に対して危機感を覚えていた。
2012年8月10日金曜日
追憶 171
黒い大蛇が所有する目的はわたしにとっては不利なものであるだろう。
そして、恐怖心や危機感を覚えるほどに怖い。
しかしながら、そのような状況にあっても助けてやらなければならないと思うのである。
意識的な力を以って、人々や意識的な者たちの力になりたいという目的、目標は持っていたものの、この様に大きな恐怖心の中でこの様な心境になるのは我ながら不思議であった。
わたしは黒い大蛇をどうにかして破滅的な感情から助け出す方法を探った。
しかしながら、何の知識もなく、経験も浅いわたしである。
黒い大蛇を破滅的な感情から助け出す最善の方法など分かるはずもなかった。
わたしはとにかく話をしようとした。
話せば何か解決の糸口が見えてくるのではないかと思ったのである。
わたしは黒い大蛇がなぜ今に至るのかを知るために話をしようとした。
すると、黒い大蛇はわたしの気持ちを叩き潰すかのようにプレッシャーをかけてきた。
そして、恐怖心や危機感を覚えるほどに怖い。
しかしながら、そのような状況にあっても助けてやらなければならないと思うのである。
意識的な力を以って、人々や意識的な者たちの力になりたいという目的、目標は持っていたものの、この様に大きな恐怖心の中でこの様な心境になるのは我ながら不思議であった。
わたしは黒い大蛇をどうにかして破滅的な感情から助け出す方法を探った。
しかしながら、何の知識もなく、経験も浅いわたしである。
黒い大蛇を破滅的な感情から助け出す最善の方法など分かるはずもなかった。
わたしはとにかく話をしようとした。
話せば何か解決の糸口が見えてくるのではないかと思ったのである。
わたしは黒い大蛇がなぜ今に至るのかを知るために話をしようとした。
すると、黒い大蛇はわたしの気持ちを叩き潰すかのようにプレッシャーをかけてきた。
2012年8月9日木曜日
追憶 170
黒い大蛇は自らの存在を維持するために、わたしを犠牲にする必要があった。
破滅的な力に支配されてしまった存在は、破滅的な状況を次々に呼び寄せる。
彼らはそうしなければならないのだ。
わたしたち人間が命を維持するために呼吸をし、水を飲み、肉を食らうのと同じで、破滅的な存在はその命を維持するために破滅的な状況が必要なのである。
そのため、破滅的な存在は破滅的な状況を必要とし、それを導こうとする。
その様に破滅的な力に支配され、溺れてしまった存在を人は悪霊と呼び、忌み嫌う。
破滅的な状況を次々に呼び寄せるため、嫌われるのは仕方のないことだ。
それが普通である。
しかしながら、わたしはそれとは少し違う価値観を持っていた。
破滅的な力に支配されてしまった者をどうしても悪くは思えないのである。
どうにかして助けてやりたいと考えるのがわたしなのである。
それは、わたし自身がかつて破滅的な力に支配され、多くの人に迷惑をかけてしまったという経験を所有しているということがあるだろう。
彼らの気持ちが何となく分かるような気がするのである。
破滅的な力に支配されてしまった存在は、破滅的な状況を次々に呼び寄せる。
彼らはそうしなければならないのだ。
わたしたち人間が命を維持するために呼吸をし、水を飲み、肉を食らうのと同じで、破滅的な存在はその命を維持するために破滅的な状況が必要なのである。
そのため、破滅的な存在は破滅的な状況を必要とし、それを導こうとする。
その様に破滅的な力に支配され、溺れてしまった存在を人は悪霊と呼び、忌み嫌う。
破滅的な状況を次々に呼び寄せるため、嫌われるのは仕方のないことだ。
それが普通である。
しかしながら、わたしはそれとは少し違う価値観を持っていた。
破滅的な力に支配されてしまった者をどうしても悪くは思えないのである。
どうにかして助けてやりたいと考えるのがわたしなのである。
それは、わたし自身がかつて破滅的な力に支配され、多くの人に迷惑をかけてしまったという経験を所有しているということがあるだろう。
彼らの気持ちが何となく分かるような気がするのである。
2012年8月8日水曜日
追憶 169
恐怖を前にして、今度はわたしが弱い者を守る立場である。
恐怖に打ち震える狐たちを守れるのは、わたししかいないのだろう。
それに、これはわたし自身を守る闘いでもある。
この黒い大蛇はわたしに「取り憑いている」からである。
黒い大蛇はわたしが気が付かぬ間にわたしの心の中に侵入し、居座っていたのだ。
黒い大蛇の目的はわたしの不幸である。
わたしを破滅的な状態に追い込むことによって、破滅的な心境を生み出させるのが狙いである。
もしかすると、わたしの命(魂)を狙っているということも有り得るだろう。
そうでなければ、ここまでの危機感や恐怖を感じることはないであろう。
本能が命を守ろうとしているように思えるのであった。
破滅的な存在がその「形」を維持するためには、破滅的な感情や状況が必要である。
破滅的な心を維持するために、破滅的な感情が必要であるのと同じことである。
破滅的な存在は破滅的な状況を欲しているのである。
それは、自らが存在するために必要なことであるからだ。
恐怖に打ち震える狐たちを守れるのは、わたししかいないのだろう。
それに、これはわたし自身を守る闘いでもある。
この黒い大蛇はわたしに「取り憑いている」からである。
黒い大蛇はわたしが気が付かぬ間にわたしの心の中に侵入し、居座っていたのだ。
黒い大蛇の目的はわたしの不幸である。
わたしを破滅的な状態に追い込むことによって、破滅的な心境を生み出させるのが狙いである。
もしかすると、わたしの命(魂)を狙っているということも有り得るだろう。
そうでなければ、ここまでの危機感や恐怖を感じることはないであろう。
本能が命を守ろうとしているように思えるのであった。
破滅的な存在がその「形」を維持するためには、破滅的な感情や状況が必要である。
破滅的な心を維持するために、破滅的な感情が必要であるのと同じことである。
破滅的な存在は破滅的な状況を欲しているのである。
それは、自らが存在するために必要なことであるからだ。
2012年8月7日火曜日
追憶 168
それは暗闇の中からそれはゆっくりと姿を現した。
艶めく鱗(うろこ)が暗闇の中に更に黒く不気味な光を放っていた。
黄色い目玉がギロリと動き、わたしを捕らえた時、全身が金縛りにでも合ったかのように身動きが取れなくなってしまった。
それは明らかに蛇の姿をしていた。
とは言え、頭だけでもわたしには抱え切れないほどに大きな蛇であった。
蛇に睨まれた蛙のように身動きが取れなくなったわたしに、黒い蛇はゆっくりと近付いてくるのであった。
プレッシャーと共に恐怖心が襲ってくる。
そう言えば昔、子どもの頃に父親とお化け屋敷に入ったことがあった。
あの頃、年長児だったわたしはお化け屋敷の暗さが怖くて、目を瞑(つぶ)り、必死に父親の腕にしがみ付いていた。
結局、わたしは怖くて一度も目を開けることができなかった。
父親の太い腕がとても心強かったことを今も覚えている。
あの時と同じような恐怖心が込み上げてくるが、あの頼もしい父親の腕はここにはない。
その代わりに、守るべき狐たちがここにはいた。
艶めく鱗(うろこ)が暗闇の中に更に黒く不気味な光を放っていた。
黄色い目玉がギロリと動き、わたしを捕らえた時、全身が金縛りにでも合ったかのように身動きが取れなくなってしまった。
それは明らかに蛇の姿をしていた。
とは言え、頭だけでもわたしには抱え切れないほどに大きな蛇であった。
蛇に睨まれた蛙のように身動きが取れなくなったわたしに、黒い蛇はゆっくりと近付いてくるのであった。
プレッシャーと共に恐怖心が襲ってくる。
そう言えば昔、子どもの頃に父親とお化け屋敷に入ったことがあった。
あの頃、年長児だったわたしはお化け屋敷の暗さが怖くて、目を瞑(つぶ)り、必死に父親の腕にしがみ付いていた。
結局、わたしは怖くて一度も目を開けることができなかった。
父親の太い腕がとても心強かったことを今も覚えている。
あの時と同じような恐怖心が込み上げてくるが、あの頼もしい父親の腕はここにはない。
その代わりに、守るべき狐たちがここにはいた。
2012年8月6日月曜日
追憶 167
それは暗闇に身を潜ませ、その眼光を鋭く光らせていた。
とにかく嫌な感覚しかなかった。
胸に襲うプレッシャーはわたしに今すぐにそこから逃げ出すように訴え掛けている。
しかしながら、逃げ出したい気持ちはあるけれど、なぜかわたしはその黒いプレッシャーから目が離せずにいたのである。
恐怖も大き過ぎるとその感覚が麻痺して笑えてくる。
それは精神を守るための自衛的な働きであるだろう。
わたしが後に引くことができないのも、それと同じような状態だったからではないだろうか?
蛇に睨まれた蛙のようだ。
わたしは自らの非力さ、そして、意識的な世界の怖さを知ることになる。
とにかく嫌な感覚しかなかった。
胸に襲うプレッシャーはわたしに今すぐにそこから逃げ出すように訴え掛けている。
しかしながら、逃げ出したい気持ちはあるけれど、なぜかわたしはその黒いプレッシャーから目が離せずにいたのである。
恐怖も大き過ぎるとその感覚が麻痺して笑えてくる。
それは精神を守るための自衛的な働きであるだろう。
わたしが後に引くことができないのも、それと同じような状態だったからではないだろうか?
蛇に睨まれた蛙のようだ。
わたしは自らの非力さ、そして、意識的な世界の怖さを知ることになる。
2012年8月5日日曜日
追憶 166
目を凝らし暗闇の先を狙う。
鼓動が高まり、場を満たしているようである。
不気味な雰囲気に気分が悪くなる。
この先に何があるというのだろう?
恐怖心はわたしの好奇心を駆り立てた。
本能?はよせと言っている。
しかしながら、気持ちは暗闇の先に潜んでいる危険を求めているのであった。
この時のわたしには好奇心に勝るものはなかった。
恐怖に震える狐たちを背に、わたしは暗闇の先へと進んだ。
ある程度進んだところで、猛烈な異臭と吐き気に襲われた。
その腐敗臭にわたしは思わず足を止める。
生ものが腐ったものと、ドブの臭いが混ざり合ったような強烈な臭いである。
何があるのだろう?
わたしは臭いに耐えながら、暗闇の先を凝視した。
すると、暗闇の中に更に黒いものが存在していることを認識するのであった。
鼓動が高まり、場を満たしているようである。
不気味な雰囲気に気分が悪くなる。
この先に何があるというのだろう?
恐怖心はわたしの好奇心を駆り立てた。
本能?はよせと言っている。
しかしながら、気持ちは暗闇の先に潜んでいる危険を求めているのであった。
この時のわたしには好奇心に勝るものはなかった。
恐怖に震える狐たちを背に、わたしは暗闇の先へと進んだ。
ある程度進んだところで、猛烈な異臭と吐き気に襲われた。
その腐敗臭にわたしは思わず足を止める。
生ものが腐ったものと、ドブの臭いが混ざり合ったような強烈な臭いである。
何があるのだろう?
わたしは臭いに耐えながら、暗闇の先を凝視した。
すると、暗闇の中に更に黒いものが存在していることを認識するのであった。
2012年8月4日土曜日
追憶 165
それは危機感や恐怖心に通じるところがある。
わたしはこの場から逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
しかしながら、ここから逃げてはいけないと食い止める気持ちもあった。
わたしは後者の気持ちを必死で掴むことに決めた。
それは、意識的なことに関しては逃げてはいけないと強く感じることがあったからである。
逃げ出したい気持ちと必死に闘いながら、暗闇の先に潜んでいるであろう恐怖の根源に対し、わたしはその意思を必死でぶつけるのであった。
その時、狐たちが暗闇の中にいるのが見えた。
わたしはそのことに安心感を得て、胸の緊張が少し解けた。
しかしながら、それもつかの間のことであり、すぐに緊張が蘇ってくるのであった。
それは、暗闇の中、狐たちが恐怖に駆られて明らかに怯えていたからである。
二匹は震える身体を寄せ合うようにして固まっていた。
普段、あれほど陽気な狐たちがこれほどまでに怯えているのはただ事ではないだろう。
この先に一体何があるというのだろう?
わたしは膨らむ不安と恐怖と必死で闘った。
わたしはこの場から逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
しかしながら、ここから逃げてはいけないと食い止める気持ちもあった。
わたしは後者の気持ちを必死で掴むことに決めた。
それは、意識的なことに関しては逃げてはいけないと強く感じることがあったからである。
逃げ出したい気持ちと必死に闘いながら、暗闇の先に潜んでいるであろう恐怖の根源に対し、わたしはその意思を必死でぶつけるのであった。
その時、狐たちが暗闇の中にいるのが見えた。
わたしはそのことに安心感を得て、胸の緊張が少し解けた。
しかしながら、それもつかの間のことであり、すぐに緊張が蘇ってくるのであった。
それは、暗闇の中、狐たちが恐怖に駆られて明らかに怯えていたからである。
二匹は震える身体を寄せ合うようにして固まっていた。
普段、あれほど陽気な狐たちがこれほどまでに怯えているのはただ事ではないだろう。
この先に一体何があるというのだろう?
わたしは膨らむ不安と恐怖と必死で闘った。
2012年8月3日金曜日
追憶 164
わたしにとって必要だと思われるものに狐たちは反応しているように思えた。
必要な学びに反応したり、危険を知らせてくれているような気がしていた。
いつもではないが、書店に行けばわたしに必要であろう本を指して止まり、それを掴ませることもあった。
近くに霊がいれば反応し、その存在をわたしに知らせてくれることもあった。
そんな状態が続いていたある日、わたしはいつものように部屋で瞑想をしていた。
様々な思想が目の前を飛び交い、それが少しずつ穏やかになっていく。
いつもならばそのまま静寂の中へと導かれるように落ちていくのであるが、その日は様子が違っていた。
自らの思想の中に何かは分からないが、何とも言い表し様のない違和感があったのである。
それは、心の中に不安を投げ掛けてくるようであった。
必要な学びに反応したり、危険を知らせてくれているような気がしていた。
いつもではないが、書店に行けばわたしに必要であろう本を指して止まり、それを掴ませることもあった。
近くに霊がいれば反応し、その存在をわたしに知らせてくれることもあった。
そんな状態が続いていたある日、わたしはいつものように部屋で瞑想をしていた。
様々な思想が目の前を飛び交い、それが少しずつ穏やかになっていく。
いつもならばそのまま静寂の中へと導かれるように落ちていくのであるが、その日は様子が違っていた。
自らの思想の中に何かは分からないが、何とも言い表し様のない違和感があったのである。
それは、心の中に不安を投げ掛けてくるようであった。
2012年8月2日木曜日
追憶 163
こちらから何かができる訳ではないと思われる。
霊感と呼ばれる能力やそれが発揮される状態は、意識的な存在に主導権があるようである。
意識的な存在からのアプローチがあって初めて成り立つものではないだろうか?
お客さんがいなければ商売が成り立たないのと同じである。
購入者がいなければ売り込みも必要がないのである。
本当に霊感というものを所有し、その能力を扱える?人は、それが例えば漫画のように自在に操れるものではないということを知っているだろう。
それを自在に操ろうとしたのがお経や法具や十字架などの道具や方法であるだろう。
それらが意識的な存在に対して有効的に機能するかは疑問である・・・
わたしの場合は、霊感というものについては道具に頼るのはどこか違うような気がするので興味はないが、霊感を自在に操ろうという欲求を持つ者や、霊感に触れたことのない者は、やはりそのような方法に行き着くのであろう。
狐たちはわたしの気持ちや都合などお構いなしに、好きな時に好きなだけ現れた。
その度にわたしの両手は狐の形をしなければならなかった。
それは運転中であろうと、買い物中であろうと関係なかった。
霊感と呼ばれる能力やそれが発揮される状態は、意識的な存在に主導権があるようである。
意識的な存在からのアプローチがあって初めて成り立つものではないだろうか?
お客さんがいなければ商売が成り立たないのと同じである。
購入者がいなければ売り込みも必要がないのである。
本当に霊感というものを所有し、その能力を扱える?人は、それが例えば漫画のように自在に操れるものではないということを知っているだろう。
それを自在に操ろうとしたのがお経や法具や十字架などの道具や方法であるだろう。
それらが意識的な存在に対して有効的に機能するかは疑問である・・・
わたしの場合は、霊感というものについては道具に頼るのはどこか違うような気がするので興味はないが、霊感を自在に操ろうという欲求を持つ者や、霊感に触れたことのない者は、やはりそのような方法に行き着くのであろう。
狐たちはわたしの気持ちや都合などお構いなしに、好きな時に好きなだけ現れた。
その度にわたしの両手は狐の形をしなければならなかった。
それは運転中であろうと、買い物中であろうと関係なかった。
2012年8月1日水曜日
追憶 162
それから、わたしと二匹の狐の奇妙な共同生活が始まったのである。
狐たちはいつも無邪気なものだった。
まるで友達のような感覚である。
かまって欲しいのか良くちょっかいをかけてきた。
「神様」のくせにこんなにも馴れ馴れしくて良いのだろうかと心配になることも頻繁にあった。
勝手なイメージである。
彼らが現れる時は、わたしの身体を使ってその存在をアピールするのが一般となっていた。
幼い頃は指で狐の形を作って遊んだものである。
日光にかざして映る影を楽しんでいた。
あれと同じように人差し指と小指を立て、親指と中指と薬指は前方に突き出すようにして結ぶ。
それを二匹がするものだから、第三者から見ればわたしは両手を狐の形にしている変態である。
狐たちはわたしの手を自在に操り、そこに表情を作った。
しかも、狐たちと接する中で理解したのだが、意識的な力は受動的である。
自分の要望が叶わないのがこの力の特徴であるような気がしてならない。
自分がしたいようにはできないのである。
見たいものを見れるという訳ではない。
やりたいことができる訳でもない。
すべては意識的な存在からのアプローチ次第なのであろう。
狐たちはいつも無邪気なものだった。
まるで友達のような感覚である。
かまって欲しいのか良くちょっかいをかけてきた。
「神様」のくせにこんなにも馴れ馴れしくて良いのだろうかと心配になることも頻繁にあった。
勝手なイメージである。
彼らが現れる時は、わたしの身体を使ってその存在をアピールするのが一般となっていた。
幼い頃は指で狐の形を作って遊んだものである。
日光にかざして映る影を楽しんでいた。
あれと同じように人差し指と小指を立て、親指と中指と薬指は前方に突き出すようにして結ぶ。
それを二匹がするものだから、第三者から見ればわたしは両手を狐の形にしている変態である。
狐たちはわたしの手を自在に操り、そこに表情を作った。
しかも、狐たちと接する中で理解したのだが、意識的な力は受動的である。
自分の要望が叶わないのがこの力の特徴であるような気がしてならない。
自分がしたいようにはできないのである。
見たいものを見れるという訳ではない。
やりたいことができる訳でもない。
すべては意識的な存在からのアプローチ次第なのであろう。
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