願望としては、Kに自らの持つ力をより良いことのために使って欲しかった。
Kの身体が自らの意思に反して動くという体験は、そのための可能性の提示であったように思える。
Kには霊は見えているが「神々」は見えていなかった。
物心付いた頃から霊を見てきたが、それ以上の存在を見ることは無かったのである。
Kの場合は、現時点においては自らの霊的な力を自らの楽しみのためだけに使っている状態である。
肝試しの目的で心霊スポットと呼ばれる場所に何度も足を運んでいるということを笑い話として話していた。
わたしたちの持つどのような力も、より良いことのために使うことが求められるだろう。
自らの快楽だけのためではなく、自分自身と他人の両方の快楽を満たし、そこに喜びを導くためであると、わたしはそう思うのだ。
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