この一言で、現時点においてはKがわたしと同じ方向性を持つことはないと悟った。
わたしは寂しい気持ちがしたが、それがわたしにとってもKにとっても悪いということではない。
寧ろ、良いことであるだろう。
人にはそれぞれに学びがある。
その学びに従って行動を選択し、人生が築かれていくのである。
わたしの選択は意識的な世界の追求であり、霊的な観点からのアプローチである。
Kの選択は実世界の追求であり、人間的な観点からのアプローチだった。
ただ、それだけである。
人はそれぞれの道を認めなければならないし、祝福しなければならない。
それを否定することは誰にもできないのである。
「神様」がそれを許しているのに、たかだか小さな人間であるわたしが、他人の道や学びを否定するのは間違っているのである。
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