このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2014年6月30日月曜日

追憶 660

多くの人は心に歪みが存在していることに気が付かない。
多くの人はその傷を抱えたままで死んでいく。
歳を取っても愚かな者がその類(たぐい)である。
自らが直そうと考え、行動しなければ直らない。
しかしながら、多くの人は自分自身を正当化しようとするために、自身の心の状態の把握ができないのである。
Cさんは自らの心の歪みに何と無く気が付いたのではないだろうか?
苦しみから逃れるためにわたし(の後ろの神々)に会いに来たのだろうが、結果的には心の傷を癒し、歪みを直すことになるのである。
しかし、どのくらいのことをすれば歪みが解消され、傷が癒えるのかは分からないことなのである。

2014年6月29日日曜日

追憶 659

Cさんは良い人である。
わたしは個人的に好きな人であるが、やはり心の歪みを感じることがある。
わたしは自身の心の歪みを知って、人のことを言うのである。
自身がそうであるから、他人のことが理解できるのだ。
わたしは幼い頃から今に至るまで、自らの心の中の怒りの感情に苦しんできた。
それが苦しいことを知っているから、今、直そうとしている。
Cさんは見せないように努めているが、様々なことに不満を抱いているに違いない。
そして、それは心の中から生じる感情や思考によって導かれる当然の結果なのである。
人は感情や思考によって状況を選択し、人生を築いているのである。

2014年6月28日土曜日

追憶 658

話を聞くと、Cさんの家庭は少し複雑であり、祖母に育てられたのだというが、その祖母が理不尽な人物であり、虐待にも似た育て方をしたそうだ。
そのような環境が幼いCさんに特殊な価値観を植え付けてしまったのだろう。
愛情を受けずに生きる人の心は必ず歪んでいく。
どのような人物であっても、愛情を得なければ必ず傷付いてしまうのである。
幼い子どもにはそれが顕著(けんちょ)であり、それを修正することはとても難しい。
多くの人はこの傷を治すことができない。
心の歪みによって生涯苦しむようになるのだ。
人からの愛情を知らない人は、人を愛することができないのである。
人を愛することができないのは辛いことだ。
人を愛することができなければ、自分自身を愛することもできない。
自分自身を愛することができなければ、それ以外の何も愛することはできないのである。

2014年6月27日金曜日

追憶 657

天が閉じると光が失われた。
光が失われたわたしの目の前には、瞼(まぶた)の裏側の景色があった。
わたしには、疲労感に勝る充足感があった。
そのおかげで辛さは無かった。
ゆっくりと瞼を開けば、Cさんの背中がわたしを出迎えた。

わたしがCさんの心の中で出会った少女は、Cさんの心の一部であるのではないだろうか?
わたしにはそのように思えてならないのである。
少女が怒りの感情に支配され、わたしを睨み付けて拒絶していたのは、その心が傷付いていたからに違いない。
Cさんは幼い頃に、何らかの心の傷を受けたのではないだろうか?
そうでなければ、心があれほど荒れるはずがないのである。

2014年6月26日木曜日

追憶 656

少女をこちら側へと引き抜くと、扉は自動的に塞がった。
わたしの膝(ひざ)の上で眠るように沈黙している少女の表情は、安らぎに満ちている。
わたしは愛情に従って少女を抱きしめた。
すると、天が開けて眩(まばゆ)い光が降り注ぎ、わたしたちを包み込んだ。
それはとても温かな気持ちにさせる素敵な光であった。
すると、少女がわたしの手を離れ、光の方に向かって昇り始めた。
それを見ると、わたしはなんとも言えない嬉しい気持ちになった。
少女は少しずつ天へと向かい、やがてその姿を光に溶け込ませた。
少女の姿が見えなくなるのと同時に、天が閉じて光が消えた。
わたしは強い充足感によって抱かれるのである。



2014年6月25日水曜日

追憶 655

光の杭を掴む手の力を緩めると、ゆっくりと少女がわたしから離れるように後ろに倒れた。
少女はまるで眠っているかのようであった。
その顔には、幼子に似合う汚れのない純真無垢な表情があるのみだった。
わたしは全身に込めていた力が一気に抜けて、疲労感が停滞しているのを認識した。
その時、わたしは自分自身の感覚と視点が肉体に戻っていることに気が付いた。
瞼(まぶた)を閉じているのだが、そこからCさんの背中の奥に少女が倒れているのが見えるのである。
わたしは右手の人差し指と中指によって、Cさんの背中を円形に二回なぞった。
すると、その線は黄金に輝きを放って、背中に穴を開けた。
その穴はCさんの肉体と霊体の壁を越えて、わたしと少女を繋ぐ扉であった。
その扉に手を差し込むと、わたしは少女の身体をしっかりと掴んだ。

2014年6月24日火曜日

追憶 654

突然に耳をつんざくような甲高い音が頭の中に響いた。
わたしはそれが何だか分からなかったが、次の瞬間にはそれが少女の悲鳴であったと理解した。
少女は目と口をこれでもかというくらいに開き、驚愕(きょうがく)の表情を浮かべていた。
そして、目と口からは黒い煙のようなものが溢れ出ている。
それを見て、わたしは光の杭を掴む手に更に力を込めた。
やがて、目と口からは黒い煙のようなものが出尽くした。
それに比例して甲高い悲鳴は枯れていく。
悲鳴が枯れた時、少女は沈黙した。
そして、わたしは光の杭を掴む手の力を緩めるのであった。

2014年6月23日月曜日

追憶 653


「皆、死ねば良い」

少女の言葉にわたしは悲しくなった。
まだ5歳くらいに見える少女の口から出て良い言葉ではないのである。
子どもは何の心配もなく、ただ楽しく遊んでいれば良いのだ。
これは異常事態である。
この少女をこのままの状態にしておく訳にはいかない。
少女に何があったのかは分からないが、辛いことがあってこのような状態になってしまったのは明らかである。
わたしは心の底から少女を助けたいと願った。
すると、右手が空中に一筋の線を描いた。
そこに金色に輝く光の杭が現れたので、わたしはそれを掴んだ。

「苦しみに心を合わせ、喜びを求めなさい」

大天使ミカエルの言葉に従った時、わたしは少女の胸に光の杭を突き刺していた。

2014年6月22日日曜日

追憶 652

黒い液体を吐き出すと、気分の悪さが無くなった。
少女は今だにわたしのことを睨み付けている。
「話をしなければならない」と心の中に聞こえた。
わたしは少女に歩み寄り、膝(ひざ)をついて肩を掴み、目線を合わせた。

「わたしは君のことが知りたい」

わたしが告げると少女の恨みの感情の中に小さな歪(ひずみ)が生じたように思えた。
わたしの一言によって、少女の気持ちが揺れたのが分かったのである。

「嫌いだ…」

少女はわたしの目を睨み付けながら言った。

2014年6月21日土曜日

追憶 651

わたしの心の中に湧き起こった感情は、少女を救いたいと願う愛情であった。
まだ幼い少女がこのような歪みと苦しみの中に存在していることが悲しかった。
わたしはもう、少女がどのような態度を見せても怒りに支配されることはないだろう。
心の中には慈悲が溢れていたからである。
その時、わたしは気分が悪くなり、猛烈な吐き気に襲われた。
自分自身の意思に反して口が大きく開かれると、そこからコールタールのようなどす黒い液体が大量に流れ出た。
嘔吐する時にはとても辛い。
あの辛さが更に大きくなって襲い来るような感覚である。
吐き出したそれは、わたしの足元を黒く汚した。

2014年6月20日金曜日

追憶 650

わたしはただ、この少女を「壊す」ことに専念した。
わたしには少女の睨み付ける眼差しが許せなかったのである。
力を込めて細い首を絞め上げると、少女は何かを企むようにいやらしく笑って見せた。
その表情を見て、わたしは背筋が凍り付くのを覚えて我に返った。
わたしは何ということをしていたのだろう。
わたしは自分自身の愚かさに吐き気がした。
首を絞める手を離すと、少女は再び睨み付けた。
今度は少女の眼差しにわたしの心は静けさを取り戻していった。
そして、胸を熱いものが込み上げてくるのを感じるのである。

2014年6月19日木曜日

追憶 649

少女は精一杯にわたしのことを睨(にら)み付けていた。
その表情からは深い憎しみが溢れている。
わたしは少女の恨みの感情に晒されると、それに対抗するように怒りの感情が噴出するのを感じた。
わたしはこの少女を「壊したい」と思った。
憎たらしく、邪魔な存在であると思ったのである。
わたしには冷静な判断というものが欠けていた。
相手は幼女なのだ。
幼い子どもがどのような態度を見せても、それに対して憎しみを覚えるなどということは有り得ないことであろう。
わたしは自分自身でもなぜそのようなことをするのかは分からなかったが、少女に近付いてその細い首に手を伸ばした。
白い肌は冷たく、わたしの手の温もりを奪おうとしていた。

2014年6月18日水曜日

追憶 648

次にわたしが見たものは赤黒い煙のような怒りの感情の中にいる自分自身の姿であった。
やはり、ここは不快である。
息苦しく心が落ち着かない。
こんな場所からは早く抜け出したいと強く願う自分がいた。
その時、赤黒い煙の先に人の気配のようなものがあるのに気が付いた。
その気配はまるで蝶を誘う花香のように、わたしに何らかの信号を送っているように思えるのである。
この気配の主が何者であるのかは分からないが、その他には何も無かったので、そこに向かう他方法はないように思えた。
重たい心を精一杯に支えながら、赤黒い煙を掻き分けて進んだ。
進むに連れて、わたしは心が重たくなっていくのを感じていた。
奥に行くほどに心が乱れ、腹立たしさが増していく。
わたしの我慢は限界に近付いていた。
何もかもを投げ出しそうになった時に、目の前に少女が立っているのを見た。

2014年6月17日火曜日

追憶 647

緊張感を引き摺るようにして、Cさんはわたしの目の前の座布団に背中を向けて腰を下ろした。
わたしはあの少女に再び会わなければならない。
彼女に会って事情を聞かなければならないのである。
Cさんにリラックスしておくように告げて、わたしは静かに瞼(まぶた)を下ろした。
すると、右手の人差し指と中指がCさんの背中に何かの文字を記し始める。
これは無知なわたしが見たこともない文字列であり、わたしは天使の使う文字なのではないかと推測していた。
天使文字は黄金に輝きを放ち、わたしはそれを四角の線で囲った。
そして、両手でそれを背中に押し込んだのである。
天使文字は吸い込まれるようにして背中へと消えていった。
それと同時に、わたしは瞼の裏側の視界でさえ失った。

2014年6月16日月曜日

追憶 646

赤黒い煙の中を進むと、思考が乱されていくのが分かる。
わたしは冷静な判断を失い、自分自身という存在を保つことが難しかった。
そして、いつの間にかに全身に小さな赤黒い染みのようなものがあるのを見付けた。
それが少しずつ大きくなってわたしを飲み込もうとしているようである。
広がっていく染みに全身が覆い尽くされようとする時、わたしは目の前に一人の少女が立っているのを見た。
そこで、視界はブラックアウトして、気が付くとわたしは自分自身の視界を取り戻していた。
一瞬の出来事ではあるが、それはとても長い時間に感じられた。
わたしが見た光景は、Cさんの怒りの感情に関係しているものに違いない。
意を決して、わたしはCさんを目の前の座布団に招いた。


2014年6月15日日曜日

追憶 645

Cさんの心の中には様々な感情が入り混じって見えた。
その中でも多くを占めていたのが怒りの感情である。
これは、感情の中でもCさんに最も影響力を持っているに違いない。
きっと、普段から強弱はあるにしても、不満を抱えながら生きているのだろう。
不満の感情を抱えながら生きるのは辛い。
心にこれがある以上は幸福を得ることはできない。
だから、Cさんは現時点において幸せではないのは明らかなのである。
わたしがしなければならないのは、この怒りの感情の原因を探り、それを断つことであろう。
わたしは様々な感情の中から怒りの感情である赤黒い煙のように見える場所に向かった。

2014年6月14日土曜日

追憶 644

深呼吸をして平然を装い玄関に向かうと、そこにはCさんと共通の知人が立っていた。
軽い挨拶を交わして、二人を招き入れたが、Cさんからは緊張感が伝わってきていた。
Cさんに会うと、わたしは自分自身の心の中に怒りの感情が濃くなるのを感じた。
どうしようなく腹が立ち、わたしはため息を吐いてそれをどうにかしようと試みたが無駄なようである。
部屋に入って、彼女等を入り口の辺りに座らせ、わたしは部屋の中央に置いてある座布団の前に座った。
わたしはCさんにこれからわたしがすることを簡単に説明し、目を閉じて天の意思を待った。
目を閉じて集中すると、わたしは心の中に存在している怒りの感情に対して焦点が合ってしまう。
どのように努めても、怒りの感情に至るのである。
わたしは諦めて、怒りの感情に意識を合わせ、そこから得られることを探し始めた。

2014年6月13日金曜日

追憶 643

Cさんを迎える日、わたしは怒りに支配されていた。
明確な理由は無いのだが、ちょとしたことで不満が沸き起こり、心が定まらないのである。
この状態に自分でも驚いた。
そして、心を整えようと努めるのではあるが、無駄な足掻きのようである。
Cさんを迎える数十分前、わたしは一人で瞑想を試みていた。
しかし、不満によって心は乱され、静寂に至ることは叶わなかった。
その時に、わたしは自分自身の表情が自分の意思に反して動くのを認識する。
それは、犬が敵を威嚇(いかく)する時のように、歯を剥き出しにして唸(うな)るような表情であった。
わたしはため息を吐いて、胸の中のストレスを押し出そうと努めた。
しかしながら、それも無駄であった。
その時、来客を告げるチャイムがわたしを瞑想から引き上げた。

2014年6月12日木曜日

追憶 642

ある日、わたしはCさんという女性から、見て欲しいという依頼があった。
これは霊視のことである。
わたしは快くそれを承諾(しょうだく)し、後日会うことにした。
とは言え、このCさんという女性は知人である。
この人の嫁ぎ先は家業として養殖の仕事をしている。
言わば仲間内である。
わたしたちは、わたしが霊や天使などの意識的な存在に会う前からの付き合いであった。
共通の知り合いの女性を通じて、わたしがやっていることを知り、そういうことに興味があったと言うのだ。
そして、今までにそんな話をしたことが無かったので驚いているようであった。

2014年6月11日水曜日

追憶 641

わたしがKに対して行えることは、天使の出現であった。
きっと、そのためにわたしたちはここに集ったのである。
その後はいつものように他愛もない世間話をして、次の約束をすることもなく別れた。
わたしたちは仲が悪くなった訳では無いと思うが、今回の出来事によって交わる機会が減っていった。

学びが無ければ人は共に歩むことにはならない。
わたしたちの人間関係というものは、学びによって構築されているのである。
どのような人との出会いも別れも、すべてが学びによるものなのだ。
わたしたちは何の意味も無く出会うのではない。
そして、何の意味も無く別れるのではないのだ。
わたしたちは成長するために出会い、成長するために別れるのである。
そこには幸福と豊かな人生への扉(可能性)が存在している。
だから、わたしたちは出会い、そして別れるのである。

2014年6月10日火曜日

追憶 640

それ故にわたしは残念でならなかった。
わたしはKに天使や「神々」のことを話した。
わたしの話をKが受け入れるとか、信じるとか、そんなことはどうでも良い。
わたしは自分自身がしなければならない仕事をするだけである。
わたしが話すことを受け入れるも受け入れないも、すべては本人の自由なのだ。
Kの心の中には、自分自身の常識を超えた力に対する恐怖が根を張っていた。
この時点において、Kはこの力を拒絶したのである。
正直にKがわたしに怖いと言った時から、わたしはKとの間に見えない壁のようなものを感じるようになった。
Kがわたしを拒絶していたのかは分からないが、わたしたちは人生の方向性について天界によって選別されたのである。
人は自身の学びに従って生きる。
今回のことで、わたしとKの学びには決定的な違いが生じた。
ならば、わたしたちは一緒に歩むことが出来ないのである。

2014年6月9日月曜日

追憶 639

願望としては、Kに自らの持つ力をより良いことのために使って欲しかった。
Kの身体が自らの意思に反して動くという体験は、そのための可能性の提示であったように思える。
Kには霊は見えているが「神々」は見えていなかった。
物心付いた頃から霊を見てきたが、それ以上の存在を見ることは無かったのである。
Kの場合は、現時点においては自らの霊的な力を自らの楽しみのためだけに使っている状態である。
肝試しの目的で心霊スポットと呼ばれる場所に何度も足を運んでいるということを笑い話として話していた。
わたしたちの持つどのような力も、より良いことのために使うことが求められるだろう。
自らの快楽だけのためではなく、自分自身と他人の両方の快楽を満たし、そこに喜びを導くためであると、わたしはそう思うのだ。

2014年6月8日日曜日

追憶 638

この一言で、現時点においてはKがわたしと同じ方向性を持つことはないと悟った。
わたしは寂しい気持ちがしたが、それがわたしにとってもKにとっても悪いということではない。
寧ろ、良いことであるだろう。
人にはそれぞれに学びがある。
その学びに従って行動を選択し、人生が築かれていくのである。
わたしの選択は意識的な世界の追求であり、霊的な観点からのアプローチである。
Kの選択は実世界の追求であり、人間的な観点からのアプローチだった。
ただ、それだけである。
人はそれぞれの道を認めなければならないし、祝福しなければならない。
それを否定することは誰にもできないのである。
「神様」がそれを許しているのに、たかだか小さな人間であるわたしが、他人の道や学びを否定するのは間違っているのである。

2014年6月7日土曜日

追憶 637

その時、驚きの声を上げてKが倒れた。
遠心力に負けて転がったようである。
そこで、わたしはKの背中から手を離した。
わたしはKが起き上がるのを手伝った。
そして、自分たちが自己を磨き成長しなければならないということ、自分たちが人助けをしなければならないこと、どのような人も霊も状況も敵では無いということ、感謝の気持ちを以て生きなければならないということなど、Kの守護者である天使や大天使ミカエルからの伝言を伝えた。
Kはわたしの話を上の空で聞いているようであった。
糠に釘を刺しているように手応えが無かったのである。
わたしは悲しかったが仕方のないことだと思った。
Kは普通ではないこの状況を怖いと言った。

2014年6月6日金曜日

追憶 636

Kは状況に対して軽く混乱しているのであろう。
動揺が伝わってくる。
わたしには掛けであった。
Kがどちらに転ぶのか、今のわたしには分からないからである。
希望としては、この感覚を受け入れ、共存共栄していって欲しいと思う。
幼い頃から霊が見えていたKならば、きっとその能力を使って苦しんでいる人や霊を助けることもできるのではないかと思うのだ。
今のわたしには人や霊を助けるということはおこがましく思うが、いずれはそういうことがしたいのである。
そして、そうなるために自分なりに努めているのである。
わたしは歩き始めたばかりではあるが、Kには入り口に立って欲しいと願っているのだ。
そして、この状況が正に入り口に立つか立たないかを決めているのではないかと思える。

2014年6月5日木曜日

追憶 635

その場所が光で満たされるのと同時にKの身体が大きく揺れ始めた。
わたしは瞼(まぶた)を上げてその光景を見せられた。
Kはまるでコマのように、全身で大きな円を描くように円運動をしているのである。
その揺れ方がひどく、今にも遠心力に負けて倒れてしまうのではないかと思えるほどであった。
しかしながら、上手くバランスを取るようにして倒れなかった。

「えっ…何これ?」

Kが自分の状態の異常に気が付いて背中越しに問うた。

「何の心配もないよ」

わたしはそれだけを返した。

2014年6月4日水曜日

追憶 634

かざした手は、磁力に引き寄せられるようにしてKの背中に触れた。
すると、Kの背中の奥の黒く何も無い場所にオレンジ色に輝く球体が現れた。
わたしはそれをとても綺麗だと感じた。
それは、硝子玉のようでもあり、太陽のようでもあった。
形容し難いほどに美しい球体がそこに存在しているのである。
球体が輝きを増したのは、わたしの掌(てのひら)から出ている光に呼応してのことであった。
わたしの掌からは金色の光が溢れているが、それがKの中に存在している球体から発せられるオレンジ色の光と交わってとても幻想的である。
金色とオレンジ色に輝く光は徐々に広がりを見せ、やがては黒い場所を光で満たした。

2014年6月3日火曜日

追憶 633

わたしは身体が自分自身の意思に反して揺れるこの感覚を、Kに対して理解させる必要があると感じた。
この感覚に慣れ、いずれは自由に使いこなす必要があると確信するのである。
それが天使の意思であると思えるのだ。
明確な理由はない。
何と無くではあるが、「絶対」にそうだと思えるのである。
わたしはKに瞑想状態を体験させる必要があると感じた。

「これから、何があっても驚かないで欲しい。どうなるのかはわたしにも分からないけど、良いと言うまで目を閉じて座っていてくれ」

Kは一瞬考えるように間をとって返事を返した。
深呼吸をして、わたしはKの背中に手をかざした。

2014年6月2日月曜日

追憶 632

そっと瞼(まぶた)を上げると、そこには何の変哲もないいつもの世界と、見慣れたKの背中があった。
そこでわたしは、自分が体験したことを出来る限り詳しくKに伝えた。
Kは理解することが難しいのか、または驚くことでも無かったかのように何気無い返事をしていた。
わたしは天使に出会えたことに感動し、心の中には抱え切れないほどの喜びが溢れていたので、Kとの温度差に少し寂しいと感じていた。
気を取り直して話を続けていると、Kの身体が微かに揺れているのが見えた。
わたしは瞑想をしている時に身体が自分自身の意思に反して揺れるのを知っている。
天使が身体から出てきたという共通点を持つKにも、わたしと同じ現象が起きているとしても不思議ではなかった。
そこでわたしはまた感動し、更なる喜びを抱えるようになった。


2014年6月1日日曜日

追憶 631

顔を上げると目の前の男は優しい笑顔をわたしに向けた。

「わたしは○○エル。光の使いである。この者(K)を守護し、導く。共にあれ」

男は透き通る声で響き渡るように言った。
(○○エルと表記したのは、天使の名前を忘れてしまったからである)
わたしは感動して心が打ち震えていることに気が付いた。

「ありがとう。よろしくお願いします」

わたしが精一杯の言葉を返すと、天使はまた優しく微笑んだ。

光が消えた。
わたしの眼前に広がっているのは暗闇である。
わたしは感覚的にこれが瞼(まぶた)の裏側であるということを理解した。