どういう訳か、わたしは遺影の笑顔や会場の雰囲気に違和感を覚えるのである。
そして何より、この会場に親友の父親の姿がないのが、わたしにとっては最たる違和感の原因であった。
わたしにとって、それは大きな違和感として感じられるのだ。
わたしが霊的な存在と向き合うようになってから、何度か通夜や葬儀に参加したことがある。
大抵の人は、自分の通夜や葬儀には参加していた。
彼等はそこで、参加者にお別れの挨拶をして回る。
親友の父親の性格ならば、参加者と一緒に一緒に酒を飲んでいてもおかしくはない。
しかしながら、見渡してもどこにも姿が見当たらないのだ。
そのため、わたしにはこの通夜が”空っぽ”なものに思えたのである。
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