子どもにとって、遊ぶことは造作も無いことである。
しかしながら、何等かの苦しみを抱えている子どもにとって、遊ぶことは難しい。
心を閉ざしていれば、子どもは遊びを失ってしまうのである。
わたしの腰に縋(すが)って泣いていた子ども達は、心を閉ざした状態であったに違いない。
白い象は、そんな子ども達を無理に変えようとはせずに、自発的に変わろうとするまで見守ろうとしていたのではないだろうか?
わたしを使ったのは、心を開くことができるにもかかわらず、その勇気を持てなかった子ども達を後押しするためだったのではないかと思う。
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