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自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2017年7月17日月曜日

追憶 1744

親友の父親が自らの通夜に参加していなかったのは、ずっとこの場所にいたからであろう。
父親の時間は、この場所で止まっていた。
それは、思考が停止していたからに他ならないだろう。
より良い可能性を導くのが思考の仕事である。
主観的にも客観的に見ても、親友の父親の選択が最善だとは思えない。
何かの理由で仕方なく選択したようにしか思えないのである。
思考が働いているのであれば、仕方なく何かを選択するという状況には至らない。
多くの可能性の中から、一つを選択させることが思考の仕事なのである。
自らの命を絶つという選択は、極端な選択肢である。
思考が働いているのであれば、もう少し柔軟な発想ができただろう。

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