親友の父親にとって、黒い獣は必要な存在であったのだろう。
それは、自分を変えることが出来なかったからである。
変化とは、どのような場面においても可能性である。
既に生きている立場からすれば、自らの命を絶つという行為に可能性を見出すことは難しいだろう。
親友の父親が、自分を変えることが出来たなら、今こうして風呂場に停滞しているようなことはないのである。
親友の父親がこうしているのは、自分を変えるためである。
それをわたしが手伝っているのだ。
沈黙を破り、親友の父親が意思を投じた。
”帰りたい”
わたしには、その一言で十分だと感じた。
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