このブログについて

自身の体験をつづりたいと思います。
拙い文章ではありますが、お暇ならお付き合いください。

2017年7月31日月曜日

追憶 1758

人間的な感性で捕らえれば、それは醜い姿をしていた。
それは、人間の欲望そのものであり、人間が欲望に溺れた姿であろう。
わたしの自尊心がそれを否定していた。
わたしの自尊心は、自分はあのような姿には陥(おちい)りたくはないと主張した。
気持ちは分かるが、それは余りにも偏った考え方であり、同じように自らも既に欲望に溺れた姿であることを自覚していないのである。
わたしの自尊心は、高尚(こうしょう)でいたいという欲望に溺れているのである。
黒い獣とは陰陽で対極に位置するものの、状態に違いはないのだ。
わたしは自らの自尊心を窘(たしな)めた。
それは、自尊心が愛情に欠けていたからである。


2017年7月30日日曜日

追憶 1757

親友の父親をここから動かすには、黒い獣を処理する必要があった。
彼は、黒い獣によってこの場に縛られているのである。
黒い獣は、鎖(くさり)のようなものなのだ。
過去を手放すことをしなければ、人はその場を離れることが出来ないのである。
親友の父親は沈黙の時間の中で自分と向き合った。
それは、過去と向き合うことにも等しいだろう。
彼は過去を手放す決心を固めたのである。
わたしも、わたし達を見守っている霊的な存在達も、彼が変わろうとしていることを理解した。
わたしの右手が宙に十字を描くと、光の十字架が暗闇を押し退けた。
すると、暗闇の中から、犬のようでもあり、猫のようでもあり、猿のようでもある獣が輪郭(りんかく)を現した。

2017年7月29日土曜日

追憶 1756

彼の発言は、苦しみから逃れたいという意思からのものではないだろう。
わたしには、自分を変えるための発言だと感じたのである。
人は、大切なものを失って初めて、自分の愚かさに気が付く。
親友の父親が”帰りたい”と発言したのは、死後に人生や家族や家庭というものが大切だと気が付いたからだろう。
人生や家族や家庭の在り方には様々な形があって良いと思う。
しかしながら、後悔するようなものにしてはいけないのである。
既に肉体を離れた彼に何が出来るのかは分からないが、帰ることが許されるのであれば、何か出来ることもあるだろう。

2017年7月28日金曜日

追憶 1755

親友の父親にとって、黒い獣は必要な存在であったのだろう。
それは、自分を変えることが出来なかったからである。
変化とは、どのような場面においても可能性である。
既に生きている立場からすれば、自らの命を絶つという行為に可能性を見出すことは難しいだろう。
親友の父親が、自分を変えることが出来たなら、今こうして風呂場に停滞しているようなことはないのである。
親友の父親がこうしているのは、自分を変えるためである。
それをわたしが手伝っているのだ。

沈黙を破り、親友の父親が意思を投じた。

”帰りたい”

わたしには、その一言で十分だと感じた。

2017年7月27日木曜日

追憶 1754

黒い獣に従えば、後悔を残す選択をしてしまう。
建設的な欲求に従うのではなく、破滅的な欲求に従ってしまうのである。
しかしながら、後悔を残す選択が悪いということではない。
結局のところ、人は誰もが頑固である。
人の忠告を受け入れることや、自らの間違いを認めることは難しい。
そのため、どうすることも出来ないような状態まで追い込むことによって、謙虚さを手に入れる必要があるのだ。
後悔を積み重ね、自分の力量ではどうすることも出来ないことを理解することが必要なのである。
そこでようやく、人は変わることが出来るのだ。
自分が変わることによって、選択が変わる。
そうなれば、黒い獣は必要ないのである。

2017年7月26日水曜日

追憶 1753

黒い獣を見ていると悲しくなってきた。
以前のわたしも、自身の心の中に獣を飼っていたことがある。
わたしの心の中には、獣が20年間住み着いていたのである。
親友の父親に至っては、50年以上の歳月に渡り、獣を飼っていたことになるだろう。
それは、自分自身と違和感なく共存し、やがてはそれを自分だと思い込んでしまう。
多くの人は、欲求がどこから生じているかを知らないのである。
獣とは、弱い心のことであり、それは様々な不足の感情によって形成される。
そのため、獣の欲求は歪んでいるのだ。
それは、ニーチェでいうところのルサンチマンであるだろう。

2017年7月25日火曜日

追憶 1752

親友の父親の頭や肩の辺りから、黒い煙のようなものが立ち上(のぼ)った。
それは、獣のような姿となって頭上にとどまった。
黒い獣と向き合うと、わたしは強烈な吐き気に襲われた。
そして、ゲップと共に黒い煙を吐き出した。
その時、黒い獣が、親友の父親の抱えていた欲望だと直感したのである。
人は誰でも欲望を所有している。
それは、未熟から生じる弱さであるだろう。
人は誰もが弱いのである。
そして、弱い者ほど欲望の虜(とりこ)となる。
親友の父親は、生きることを諦めてしまった。
それは、弱いからである。
わたしには具体的なことは分からないが、親友の父親の現状から推測すれば、弱さと欲望を抱えていたのだろう。
親友の父親は、自らの弱さと欲望によって命を失ってしまったのだと思えるのである。

2017年7月24日月曜日

追憶 1751

部屋が散らかっている人の人生は、やはり乱れている。
余計な考えである悩みを抱えたり、誰かや何かと無闇に争っていたり、時間や財産を浪費している。
そのような人の部屋は散らかっているはずだ。
部屋を見る機会がなければ、庭でも良いし、車やハンドバッグの中身でも良いし、身なりでも良いだろう。
整頓することを怠けていたり、汚れをそのままにしていたりするのである。
普段の思考体系が普段の生活態度に現れる。
普段の生活態度が人生を築くのである。

2017年7月23日日曜日

追憶 1750

親友の父親は、自分自身に対して怠慢だったのであろう。
自分とは何か?
人生とは何か?
という問いに対して怠慢だったのである。
そのため、部屋は汚れてしまったのだ。
部屋を汚せば、いつかはそれを掃除しなければならない。
親友の父親にとっては、それを今行っているのである。
沈黙の中で自分自身と向き合うことは、自分自身を整えることだ。
それは、部屋を綺麗にすることである。
わたし達は、心の状態が人生の状態であることを理解する必要があるだろう。
実生活における部屋の状態と、心の状態と人生の状態は同じなのである。

2017年7月22日土曜日

追憶 1749

多くの人は沈黙を恐れている。
それは、沈黙が自己の正体を教えるからだ。
沈黙には、人を強制的に内省させる力がある。
多くの人は自己の正体が暴かれるのを恐れている。
それは、自己とは未熟な存在であり、歪んでいるからだ。
汚ない部屋を他者に見られるのを恐れるのに似ているだろう。
多くの人は、有りの儘(まま)の生活を他者には知られたくないのである。
内省するということは、自らの汚ない部屋を客観視するようなものだ。
多くの人は、部屋が汚ないことに気が付いていながらも、それを改善することを恐れているのである。
それは、気楽な怠慢(たいまん)生活を手放すことになるからだ。

2017年7月21日金曜日

追憶 1748

わたしも詳しく聞いた訳ではないが、親友の父親の霊的な状態を見て、彼の生前の生き方に思い当たる節があった。
今から考えると、様々なことが繋がり、現状に納得するのである。

親友の父親は何も語らなかった。
わたしはただ黙ってそれに付き合う。
霊的な存在との対話とは、決して騒がしいものではない。
意思疎通とは、本来静かに行われるものである。
わたし達は、黙って向き合うことに意味があるのだ。
それは、沈黙が内省を後押ししてくれるからである。
多くの人は騒がしく、思慮に浅い。
口数ばかりに気を取られ、考えることをしない。

2017年7月20日木曜日

追憶 1747

わたしは親友の父親と対話を始めた。
彼を取り巻くエネルギーも、心に占めるエネルギーも、黒く重たいものであった。
恐らくは、生前に蓄えた破滅的なエネルギーであるだろう。
それは、思考や感情や行為の結果である。
自分本位な選択によって、人は破滅的なエネルギーを得るのだ。
種を蒔(ま)けば、いつかはそれを収穫しなければならない。
種を蒔かなくても、土地を所有すれば、そこには様々な種類の野草が勝手に茂る。
わたし達は誰もが、因果の中に存在しているのである。
誰もが、自分自身の因果を刈り取らなければならない。
親友の父親は、自分自身の因果によって、黒く重たいエネルギーが茂っている状態なのである。

2017年7月19日水曜日

追憶 1746

わたしがここに来たのは、親友の父親を自縛(じばく)から解放するためである。
親友には時間をくれるように頼み、わたしは親友の父親と話をしてみることにした。
しかしながら、磨りガラス越しにでも暗い印象を受ける。
生前の明るさはどこにも見受けられない。
下手をすれば、室内の暗闇に溶けてしまいそうである。
わたしは親友の父親を説得するのは簡単ではないと感じた。
まぁ、これはいつものことである。
大切なのは、対話であるだろう。
力を以て制するのは簡単なことである。
しかしながら、それは後に歪みを引き起こすことになる。
それでは、せっかくの行為も価値を得ないのである。

2017年7月18日火曜日

追憶 1745

すべての状況は、自らの選択によって築かれる。
教育や誘導によって何かを選択させられたとしても、それは自らの選択に他ならない。
親友の父親が、どのような思いで自らの命を絶つという選択に至ったのかは分からないが、そのような状況に至るまでの選択をし続けたのは自分自身なのである。
多くの人は、目の前の状況に対して右往左往するが、それは自らの選択の積み重ねに他ならず、冷静に振り返ってみれば何の不自然さもないことを理解することができるのである。
例えば、食品添加物や医薬品、農薬や除草剤、化粧品や水道水…
このようなものを摂取し続けていれば、自然環境と同じように身体が壊れるのは当然の結果である。
”医療先進国”である日本では、癌や糖尿病を始めとした病気が増え続けている。
精神病と呼ばれる病もあるらしい。
それに、奇形児は世界でも上位(一位か二位)の頻度で生まれているというデータもある。
放射能や晩婚化や霊的な学びなどの様々な要因も考えられるが、普段摂取しているものが強く影響しているとわたしは考えるのである。
わたしには、これ等の状況が当然のことだと思うのだが、残念ながら、多くの人にとっては偶発的な悲劇であるようだ。

2017年7月17日月曜日

追憶 1744

親友の父親が自らの通夜に参加していなかったのは、ずっとこの場所にいたからであろう。
父親の時間は、この場所で止まっていた。
それは、思考が停止していたからに他ならないだろう。
より良い可能性を導くのが思考の仕事である。
主観的にも客観的に見ても、親友の父親の選択が最善だとは思えない。
何かの理由で仕方なく選択したようにしか思えないのである。
思考が働いているのであれば、仕方なく何かを選択するという状況には至らない。
多くの可能性の中から、一つを選択させることが思考の仕事なのである。
自らの命を絶つという選択は、極端な選択肢である。
思考が働いているのであれば、もう少し柔軟な発想ができただろう。

2017年7月16日日曜日

追憶 1743

わたしは親友の許可を得て、敷地を散策した。
玄関を過ぎて、家の端まで歩いた。
すると、端の勝手口のような扉の磨りガラス越しの室内に、人の姿が浮かんでいるのが見えた。
その姿は磨りガラスによって滲(にじ)んでいるものの、体型から親友の父親だと一目で理解した。
わたしは親友に対して、父親の所在を告げた。
しかしながら、親友には何も見えていないようである。
わたしが出来る限り明確に見えているものを伝えると、それが風呂場から外へ通じる扉だと教えてくれた。
親友の父親は、この場所で自らの命を絶ったのである。



2017年7月15日土曜日

追憶 1742

道の突き当たりに、親友の父親の実家があった。
それは道路から一段高い場所に建てられているため、ヘッドライトによって照らし出された家は闇夜にぼんやりと浮かび上がり、とても幻想的に見えた。
定期的に掃除をしていたのか、今でも人が住んでいるかのような外観をしている。
わたしは親友の指示で、家に隣接する空き地にヘッドライトが家までの道を照らすようにして車を停めた。
車のヘッドライトがなければ、携帯電話のライトを頼りにする意外に方法はなかった。
ヘッドライトを消せば、わたし達は一瞬の内に光を失うだろう。
わたしには、あの暗闇の中で家に辿り着く自信はなかった。


2017年7月14日金曜日

追憶 1741

親友からすれば、父親の選択肢は逃げのように感じたのかも知れない。
親友は困難に立ち向かって行くような性格である。
そのため、自分とは正反対な父親を”馬鹿”だと言ったのだろう。
道幅が狭くなるに連れて、わたしにはこれが親友の父親の心境を現しているように思えた。
自らの命を絶とうとする動機には様々なものがあるだろう。
わたしも、霊的な生き方を志す前には、前向きに自殺を検討していたものである。
わたしの場合は、何か辛いことがあった訳ではなく、やりたい仕事があった訳でも無く、この世界が詰まらないものに思えたからであった。
結果的には、新たな可能性を見出して今も生きている。
わたしには、ヘッドライトが映さない世界が見えたのかも知れない。
しかしながら、街灯も民家もないこの道では、何も見えはしないだろう。

2017年7月13日木曜日

追憶 1740

親友の父親は、目の前の小さな世界しか見えず、結果的に極論に至ったのであろう。
人生を終わらせたい気持ちは分からないでもないが、いつかは必ず迎えがくるのだから、急ぐこともないのである。
しかしながら、目の前の小さな世界を生きている人にはその余裕がないのだろう。
ヘッドライトの先にも、恐らく世界は広がっている。
確認することができないために確信は無いが、わたしはそう信じている。

親友と親友の父親について様々な会話をしながら、わたし達は集落を抜けて、狭い脇道に侵入した。
親友は、父親のことを”馬鹿”だと言った。
父親の死を悲しむ気持ちも多少はあるかも知れないが、それを受け入れる気持ちの方が強い奴である。
父親の死は悲しいことではあるが、彼にはそれを糧(かて)にして成長する強さがあった。
親友の自慢をしておくと、彼はある分野での日本代表である。
拠点は日本に置いているが、海外の舞台で活躍しているような人物だ。
親友とは高校の時からの仲だが、わたしは今までに彼から数え切れない程の刺激をもらい、(勝手に)ライバルとして尊敬している。
そのため、わたしは親友として付き合うことができるのだと思っている。

2017年7月12日水曜日

追憶 1739

親友の父親を探しに行く日、二人の都合により出発が遅れた。
陽は完全に没し、雲の立ち込める夜空には遠慮がちに星が瞬(またた)いている。
車で山奥の父親の実家を目指している時に月を探したが、わたし達には見付けられなかった。
真っ暗な山道にはヘッドライトの明かりの中だけに世界が存在している。
それは、親友の父親の見ている世界なのかも知れないと思った。
月明かりでもあれば、別の選択肢も思い付いたかも知れない。
もちろん、わたしは人の選択はそれがどのようなものであっても最善だと思っている。
例え、それが自ら命を絶つ行為であろうとも、それ以外にはできないのだ。
できないことを嘆(なげ)いても仕方はない。
とはいえ、違う結果を求めるのは、人の傲慢(ごうまん)であるだろう。

2017年7月11日火曜日

追憶 1738

時刻は深夜に近付いていたが、わたしは今すぐにでも親友の父親を探しに行きたかった。
しかしながら、親友が通夜を抜け出す訳にもいない。
そこで、わたしは一人で探しに行こうとしたが、どうやら今住んでいる自宅ではなく、山奥の今は空き家になっている父親の実家だと言うことだった。
わたしは場所だけ聞いて一人で行こうとした。
すると、親友も同行したいと言うのである。
わたしは親友の申し出を当然のことだと思い、後日二人で親友の父親を行くことになった。

2017年7月10日月曜日

追憶 1737

わたしは気持ちを押し隠せるほど出来た人間ではない。
我慢ができなくて、親友を表に呼び出した。
そして、わたしの感じている違和感を素直に伝えた。
すると、親友の表情が少しだけ曇ったように見えた。
少しの間を置いて、親友が口を開いたが、それは、謝罪と真実の吐露(とろ)であった。
親友の話によると、父親は農作業中の心不全で亡くなったというのは嘘であるそうだ。
真実は、浴室で自らの命を絶ったということである。
その話を聞いて、わたしは今までの違和感が一気に腑(ふ)に落ちるのを認識した。
親友の父親が自分の通夜に参加していないのは、参加することが出来なかったからであろう。
きっと、自らの命を絶った浴室に今もいるのではないかと思えるのである。



2017年7月9日日曜日

追憶 1736

どういう訳か、わたしは遺影の笑顔や会場の雰囲気に違和感を覚えるのである。
そして何より、この会場に親友の父親の姿がないのが、わたしにとっては最たる違和感の原因であった。
わたしにとって、それは大きな違和感として感じられるのだ。
わたしが霊的な存在と向き合うようになってから、何度か通夜や葬儀に参加したことがある。
大抵の人は、自分の通夜や葬儀には参加していた。
彼等はそこで、参加者にお別れの挨拶をして回る。
親友の父親の性格ならば、参加者と一緒に一緒に酒を飲んでいてもおかしくはない。
しかしながら、見渡してもどこにも姿が見当たらないのだ。
そのため、わたしにはこの通夜が”空っぽ”なものに思えたのである。


2017年7月8日土曜日

追憶 1735

会場に到着すると、親友が出迎えてくれた。
彼はわたしを労(ねぎら)ったが、それはわたしの台詞のようにも思えた。
会場には、多くの親戚縁者が料理を囲んでそれぞれに言葉を交わしていた。
父親のキャラクターの影響もあるのか、通夜はとても明るい雰囲気だと感じる。
親友の母親がわたしを出迎え、親友よりも丁寧にわたしを労ってくれた。
わたしは簡単に挨拶を済ませて、父親の霊前に腰を下ろした。
それは、常識的な考えからではなかった。
何か感じるものがあれば良いと思ったからである。
父親の写真は満面の笑みを浮かべている。
それは、生前に良く見た笑顔であったが、わたしはそこに何か不自然なものを感じた。

2017年7月7日金曜日

追憶 1734

久々の親友からの連絡は、わたしを驚かせた。
それは、親友の父親の訃報(ふほう)であったからだ。
親友の父親は60代の前半だと思われる。
人当たりの良い楽しい人で、その場の雰囲気を明るくする不思議な魅力を持った人であった。
親友の話では、農作業中の心不全が原因である可能性が高いと聞かされた。
親友の父親は肥満体型であり、お酒が好物だったので、その説明にも納得することができた。
人生は、どう転ぶか分からない。
人生は、思わぬ展開を見せるものである。
わたしはその日の晩のお通夜に参列することにした。




2017年7月6日木曜日

追憶 1733

子ども達を見送ることで、わたしの仕事は終わったようである。
それ以上、わたしを訪ねる者はいなかった。
そこで、もう一つの仕事である清掃活動の続きを始めることにしたのである。
持参した袋からは、ゴミが簡単に溢れてしまった。
そこでわたしは清掃活動をやめることに決めた。
まだまだ、ゴミがたくさん捨てられていることは知っている。
しかしながら、何事も焦りは禁物である。
人は、今の段階で確実にできることをするべきであって、確実にできないことを無理に推(お)し進めるのは健全ではないと思うのだ。
続きは次の機会と決めて、わたしは山を降りた。

2017年7月5日水曜日

追憶 1732

子どもにとって、遊ぶことは造作も無いことである。
しかしながら、何等かの苦しみを抱えている子どもにとって、遊ぶことは難しい。
心を閉ざしていれば、子どもは遊びを失ってしまうのである。
わたしの腰に縋(すが)って泣いていた子ども達は、心を閉ざした状態であったに違いない。
白い象は、そんな子ども達を無理に変えようとはせずに、自発的に変わろうとするまで見守ろうとしていたのではないだろうか?
わたしを使ったのは、心を開くことができるにもかかわらず、その勇気を持てなかった子ども達を後押しするためだったのではないかと思う。

2017年7月4日火曜日

追憶 1731

わたしには、白い象が子どもの魂を慰(なぐさ)めているのではないかと思えた。
白い象の側にいる子ども達と、寂しくて泣いていた子ども達にどのような差があるのかは分からないが、泣いていた子ども達のことを気に掛けていたことには間違いないであろう。
白い象は、亡くなった子どもの魂が天国?へと旅立つ準備(心構え)ができるまでの間、優しく見守り続けているように思えるのである。
子どもは遊ぶことが人生の目的である。
子どもは、遊びを通じて様々な理(ことわり)に触れる。
そのため、子どもは遊ばなければならない。
しかしながら、何等かの理由で亡くなってしまった子どもには、学びが不足するのではないだろうか?
それは、歪んだ欲求になって残留するかも知れない。
そのため、必要な学びを得るためや、歪んだ欲求を解消するために、白い象の加護の下で遊んでいるのではないかと思うのだ。

2017年7月3日月曜日

追憶 1730

光の十字架によって、子ども達は泣き声を手放した。
そして、皆安心して眠っているかのように沈黙したのである。
わたしは子ども達を抱き締めて、お別れの言葉を伝えた。
すると、天から優しく光が差して、子ども達を連れ去っていった。
その時、渓谷の奥で鈴の音が鳴り、子ども達の笑い声が聞こえた気がした。
あれは、白い象の周りの子ども達の笑い声であろう。
姿は見えなかったが、どこかでわたしを見ていたに違いない。
もしかすると、わたしを働かせたのは白い象なのかも知れないと思った。

2017年7月2日日曜日

追憶 1729

わたしが子ども達の泣き声を哀れむと、腰の辺りが重たくなった。
見ると、幼い子ども達がわたしの腰に縋(すが)って泣いているのであった。
どうして、こんな山の中に子ども達がいるのだろう?
わたしの頭の中には、人柱(ひとばしら)という言葉が浮かんだが、それは推測であるかも知れない。
理由は分からなかったが、子ども達が悲しんでいることは理解することができる。
わたしにできることは、子ども達を安心させることくらいだろう。
腰に縋って泣く子ども達の背中に、わたしは光の十字架を優しく刺した。

2017年7月1日土曜日

追憶 1728

青年を見送ると、次は大勢の足音が聞こえてきた。
見ると、先程の青年と同じように、大勢の落ち武者のような男達が渓谷を下って来ていた。
わたしは、自分がするべきことを理解した。
わたしは彼等を一人一人、光へと導いたのである。
この場所では、以前に戦でもあったのであろうか?
この辺りにも昔は小さな城が幾つもあったのではないかと思える。
長い歴史の中では、戦の一つや二つはあっただろう。
すべては推測を脱しないが、彼等の姿を見ると、悲惨な戦があったに違いない。
男達を見送ると、今度はどこからともなく幼い子どもの泣き声が聞こえてきた。
それも、一人や二人ではない。
大勢の子ども達が静かに泣いているようであった。
それは、渓谷に反響するように、四方八方から聞こえてきた。